六章十九話:心臓



 神嶋が一本目のサーブの標的に選んだのは、緋欧のバックセンターに陣取る佐和であった。サーブにおける定石はセッターかサーブカット力の低い選手、あるいはセッターの動線が中心。守備力の高いリベロなど、邪道中の邪道と言える。

 その選択に半ば呆れた青年が二人、山梨にいた。二人はだだっ広いリビングのソファーにだらしなく座り、大型テレビに映る試合映像を眺めている。

「やっぱやばいぜ、北雷の神嶋。普通この展開でリベロ狙う? ここまで来ると挑発だろ」

 声高に喚いたのは、甲斐南第一の一年生、唐草であった。横に座っているのは同じく甲斐南第一の二年の酒井である。

 唐草のスマートフォンで映している動画をスクリーンミラーリングでテレビに出しているらしく、途中でメッセージアプリの通知バナーが下りてきた。それが上がったタイミングで、神嶋のサーブが佐和の腕を吹き飛ばしていた。サーブ権を奪い返した直後に早速サービスエースで北雷は十七点目を奪ったことになる。緋欧との点差は現状一点に留まっているが、サーバーの実力を考慮するとこれからさらに差をつけられることは想像に難くない。

「合宿最終日の試合でサーブ受けたけど、引くほど重かった」

「一番厄介なのはそこじゃなくて、やっぱりあの精度だろ。しかもスピードが速いから、軌道から落下点を適切に判断するのが難しい。だからみんなあのサーブで点を取られちまうんだと思う」

 唐草はそう続け、クッションを抱きしめながらテーブルに出ている干し芋を口に入れた。再び画面上部に現れたバナーを一瞥し、酒井は言う。

「やっぱパソコンの方が良かったんじゃない? バナー邪魔だよ」

「しょうがねえだろ、母さんが壊しちまったんだから」

「伯母さん不器用だもんね」

「違う。物の扱いが雑なだけだ」

「まあまあ。また始まるよ」

 ホイッスルが鳴り、神嶋がボールを投げて助走を始める。踏み切ってから打ち込まれたサーブは、緋欧コートバックライトにいる堅志の方へと向かった。堅志はエンドラインより後ろに下がり、サーブを待ち構える。拾ったサーブをパスしようとするが、回転と速度が殺しきれなかったのかベンチの方にボールが飛んだ。このミスで、さらにもう一点加点された。

 これで北雷の持ち点は十八点。緋欧がつけた二点の点差は即座に巻き返され、同点となった。

「サーブの怖さってやっぱりこれだよな。どんなに点差を付けても、上手いヤツがサーバーになるとすぐに取り返される」

「サーバーが上手ければ上手いほど守備も難しくなるから余計にね」

 画面の向こうでは神嶋が川村に背中を叩かれている。その様子を見守りつつ、酒井が呑気に笑って言う。

「あの二人兄弟なんだろ? 俺兄弟と試合するのやだな~。マジで司竜がウチに来てくれてよかったよ。従弟と試合するのも嫌だから」

「甘ったれ」

「てか、身長伸びてよかったな」

「あ?」

「決勝前に測ったら、一七一だったんだろ? 県予選決勝のパンフレットに一七一で載ってたの見たよ」

 唐草は、従兄の台詞に軽く目を伏せた。

「さすがにもう何センチかは無いと厳しいけどな。正直、春高でどこまでやれるかは結構気にしてる」

「その点、司竜と神嶋堅志は似てるよな」

「どこが似てるんだよ。何も似てねえじゃねえか」

「体格で不便してるってとこ」

「ああ⁈」

 酒井の顔にクッションが叩き付けられる。叩き付けられた方はそれを自分の背中に差し込むが、その直後に唐草が掴みかかってきた。従弟の頭をテレビのリモコンで軽く叩いて撃退する。ちょうど頭を叩いたところで、審判が試合を再開させた。


 早速二点を連取した神嶋は、得点に見合わぬ落ち着きを見せていた。浮かれる様子も、喜ぶ様子も全く見せない。いっそ、気味が悪い。

 表情同様、神嶋の内心も冷静だった。

(このまま最低でもあと二点は取る。そうすれば持ち点は二十点になる。下手にラリーやらスパイクやらを挟むより、俺が点を取れるだけ取ってしまうべきだ)

 一方で、肋骨の奥、胸の左側が逸っている。拍動が全身を殴っているような感覚が、サーバーになってから一瞬たりとも止まない。

 原因は何だろうかと、一瞬だけ考えた。自分自身の技量への、それか負けることへの、あるいは負けた後の地獄を思った不安だろうか。そう考えてから、即座に否定した。これは不安故の逸りではない。その証拠に、指先は熱い。サーブへの不安を感じていれば、きっと自分の身体がこうならないという確固たる思いがある。それに何より、このサーブは兄を屈服させ、自尊心を叩き折り、玉座から引きずり下ろすための牙。自分の全てを否定した兄を否定し、己は兄の付属物ではないことを世界に示すための武器。

 今日のためだけに、これまで二年もかけて研ぎ続けた。

 今日のためだけに、これまであらゆることに耐え続けた。

 今日のためだけに、これまで考え続けた。

 今日のためだけに、全員で駆け抜けて来た。

 その全てを乗せる刃が、神嶋のサーブだった。

 審判がホイッスルを鳴らす。ボールを投げ、助走を始め、踏み切る。緋欧コートバックセンター、リベロの佐和に向けて速いサーブを叩き込む。誰もが佐和の手がボールに触れると思っていたが、その僅か手前でボールは床に落ちた。唖然とする緋欧の選手を審判が気に掛けることなどなく、得点板の数字が増える。北雷の文字の下に十九と数字が刻まれた。

「ナイッサー!」

 神嶋の背中を、能登が叩く。笑った神嶋は能登の背中を叩き返し、右腕を掲げて声を張った。

「このまま点差をつけるぞ!」

 主将の号令に、コート内が震えた。


 再び審判がホイッスルを鳴らし、神嶋は手に持っていたボールを投げた。助走を始め、踏み切る。その流れのまま、右腕をしならせる。狙うは堅志と佐和の中間位置のエンドライン手前。狙い通りのところにボールが落ちるが、これを堅志が左手の手の甲で弾いた。

「保多嘉!」

 想定外の動きである。フロントレフトの保多嘉の頭上に、不安定に揺れるパスが上がったかに見えた。滅茶苦茶な軌道を描いたパスがそのままコートを飛び出す。それを追った保多嘉は、防球ネットに突っ込んだ。一九五センチの身体がネットを倒した派手な物音が、北雷側の歓声を掻き消す。

「クソ、痛えな……!」

 立ち上がった保多嘉は、悪態をつきながらネットを立て直した。得点板に目を向けると、北雷の点数が二十に増えていた。先程までこちらが二点差をつけていたはずだったのに、一気に巻き返されている。

「保多嘉、大丈夫か?」

 コートに戻ると、片岡に声を掛けられた。

「はい。怪我はしてないんで大丈夫です。にしても、やっぱ堅志さんおかしいッスよ」

「どっちのだ?」

「ウチのに決まってるじゃないですか。だって横に佐和さんがいるのに自分から拾いに行ったンすよ? どう見たって天変地異の前触れですわ」

「余裕がねえってことは確かだ」

 片岡はそう返し、コート内のメンバーに向かって手招きする。

「これ以上点差をつけられるとまずい。最悪二段トスになってもいいから、とにかく後ろ三人でサーブを処理してくれ。前三人は手を出さない」

「よし分かった。そこまではっきり決めてくれると助かる」

 佐和が即座に返答した。

「つまり、セットアップは保多嘉がやると見ていいんだよな?」

 由利の問いを受け、五人の視線が保多嘉に向かう。保多嘉が何か言うより先に、堅志が口を開いた。

「それが合理的じゃない? オレはサーブカット要員になるわけだから、触れないかもしれないしね」

「ならこの方針で行く。ヤバいサーブが何だってんだ。いなして凌いで、点取り返すぞ!」

 片岡は今日一番の大声を出した。


 神嶋がボールを持ってエンドラインで待機する。しばらくすると審判がホイッスルを鳴らした。ボールを投げ、助走を済ませ、踏み切る。サーブはやはり佐和を狙っていた。サーブの標的がリベロであることには、この試合を見ている誰もが疑問に感じている。標的にされている本人ですらそう感じているが、言葉にしている暇はない。今度のサーブは想定よりかなり足が短く、前衛と後衛の中間の位置に落下していく。佐和は迷わず床を蹴り、前方に飛び出した。サーブが腕の内側に触れるその一瞬、僅かに肘を曲げる。

「保多嘉! 取れ!」

 ボールが保多嘉の方へ飛んだ。落下点を見定めようとするが、軌道が読みにくい。細かい予測は不可能だと諦め、おおよその位置へ動く。その状態でも頭を回すことだけは止めなかった。

(多分良いトスは上げられないし、これ以上相手に点をやりたくない。北雷のブロックはレベルは下がったけど高さはある。ここは火力と馬力で押し切る!)

 両手にボールが落ちてくる。トスを上げた後は祈ることしかできない。トスを受けた片岡は、涼、火野、川村の三枚ブロックにスパイクを叩き付けるように見えた。しかし、実際に彼が打ち込んだのは軟打だった。三人のブロックを破ったスパイクは、アタックラインの真上に落ちる。

 審判が得点を認めるホイッスルを鳴らす。二十点の北雷に対し、緋欧の持ち点は十九点となった。点差は一点。緋欧は、意地の猛追を見せようとしている。




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