二章二話:仕事
ローテーションを挟まなかったため次のサーバーも金須である。速くて足の長いサーブが涼を狙った。だが彼はレシーブせずに迷わず前に出て、その横にいた久我山が野島にパスを通す。その直後の北雷の動きは三浦国際の森には完璧に予想がついた。彼が動いたのとほぼ同時に前衛の水林、三宅が森に従うように北雷のレフト側へと寄る。後衛の勝海と幸田はその対角線上に動いた。三枚ブロックが川村の眼前に迫ったが、川村は迷わなかった。万全のタイミングで上がったボールを三枚ブロックに叩きつける。そこで弾かれたボールは弧を描いてコート後方へ飛んでいく。それを追いかけた久我山がまたパスを通す。
「もう一回!」
という川村の怒号が響いた。そうして上がったトスはバカ正直に川村の右手に辿り着く。二本目のスパイクはブロックの上を越えようとしたものの、森の左手がかましたダイレクトアタックでまた弾かれた。しかしまだ川村は諦めない。三本目のスパイクは三枚ブロックを吹き飛ばした。強烈なストレートスパイクに金須が反応したものの、レシーブしきれずにボールは宙を舞う。北雷の三点目の獲得を告げたホイッスルの音を聞いた森は無表情だったが内心困惑していた。天井に設置された照明が彼の色素の薄い髪を照らす。
(ブロックされてダイレクトアタックまでやられて、それでもま〜だ打ってくるってどんなメンタルしてんだよ。しかも勝海と幸田を動かしてクロスも封じてたのにやらせたセッターもおかしいだろ。普通なら他のヤツら使うかツーとかで対応するだろうが……)
天を仰いで思考をリセットした森は三浦国際のブロックの司令塔だ。ブロックに合わせたディグの練習においては監督である紀平よりも存在感を見せつける。前衛にいるときはもちろん、後衛に回ったときの指示も抜かりない。思考をリセットするついでに次はどうやって止めるかということだけを考えていた。
ローテーションを挟んだことで北雷のサーバーは能登に変わったが早々にミスをして、三浦国際に三点目を与える。後衛に下がった森はボールを手に取って押し殺すような息を吐いた。三浦国際ベンチに鎮座している監督の紀平は、森の横顔をひたと見つめてから神嶋に視線を向ける。見る者に穴を開けそうな鋭い目つきに加えて堂々とした態度が只者ではなさげな雰囲気を漂わせていた。
森の打ったサーブは能登がきれいに拾った。それを見て紀平は小さく舌打ちする。北雷の後衛が五番、四番、二番なら四番を狙えと散々言ったはずだが全く違う相手を狙っている。案の定前に出た野島は川村と神嶋を囮にして涼に打たせた。完全にフリーの状態でインナースパイクが決まって北雷は四点目を奪う。そのタイミングで紀平はリベロの一条を手招きした。
「一条、向こうの一番とは元チームメイトだって言ったな?」
紀平の言葉に一条は頷いて見せる。京都出身の紀平は標準語で話してもアクセントは関西のものが残っている。
「だったら癖とかも覚えてるだろ。進歩しても人間の中身はそう簡単には変わらん」
「はい」
「あのサーブのライン際の見極めには注意しろ。こっちの前衛には勝海、水林、三宅が揃っていて相手の前衛は今が一番低い。高さで潰しにかかれと伝えろ。分かったら行け」
一条は紀平の指示をコートに残った勝海、幸田、金須、水林、三宅にそのまま伝える。その間に北雷は久我山と入れ替わった瑞貴が前衛のライトに入った。それに気がついた幸田が首を傾げる。
「向こうの七番、これまで大して試合に出てませんでしたよね」
「そうだな。わりといきなりかも?」
勝海の返事を聞いた三宅が豪快に笑った。
「てことは潰しやすい!」
その発言に金須がげっそりとした表情を見せる。それを見た三宅は眩しい笑みを振り撒いた。
「思ったことを言って何が悪い!」
言い方というものがあるんだよと金須は言いたかったが、この男にそう言ったところで無駄である。
審判の電子ホイッスルが高らかに鳴り響き、神嶋が動き出した。青と黄色の球体がふわりと宙に浮かんですぐに二〇二センチの身体から豪速球が放たれる。一本目のサーブは一条の手をかすって三浦国際のコート後方に突き刺さった。即座に五点目が記録される。一条は元の位置に戻りながら両手を合わせた。
(死ぬほど速いし重い……! アレでライン際なんか狙われたら手がつけられねえぞ!)
ゾッとして反対側を見てしまうとそこにいた神嶋と目が合う。一条を捉える両目はあまりに冷たく、ただ慄くことしか出来ない。理知的に見えて激情に支配された目をしていた。
再び電子ホイッスルが鳴った。第二撃が襲いかかってくる。それに今度は幸田が食らいついた。どうにか追いつくところまではいったものの、勢いを殺しきれなかった。ボールを追っていた勝海が床に滑り込んだが、やはりどうにもならなかった。勝海はうめきながらすぐに立ち上がる。六点目を取られたからと言って、三点も差がついたからと言ってもたついている場合ではない。
あの男が生半可ではないことは中学校の頃から分かっていた。何かのために自分の全てを捧げられることも、その何かがバレーボールという競技であることも知っていた。いかなる苦境にも耐えて前だけを見続けるその目には、いつだって勝利しか見えていない。少なくとも勝海の知る神嶋直志とはそういう人間である。
その頃、神嶋は気持ち悪いほど冷静だった。指先と頭だけが冷たく、身体の他の部位は熱い。無駄な音が遮断されていて集中が最高の状態で保たれている。サーブを打つときは大体そういう状態に持っていくが今日はその必要が無かった。サーブだけであと四点は取れるような気がする。確証の無い自信だと海堂あたりには怒られそうだが、今はそんなことはどうでも良かった。
「今日の直志もキレッキレだな〜」
設楽は楽しげに言って肩を揺らす。ちょうど神嶋がジャンプフローターサーブで七点目を取ったところで、三点連続のサービスエースにギャラリーも注目し始めたところであった。無名校にやたらと大きいのがいるだけでも目立っていたが、やはり彼のサーブは目を引いたらしい。先ほど神嶋が三浦国際にくれてやったのはエンドラインの際を狙った判断の難しいものだった。後衛の一条、金須、幸田は揃ってアウトだろうと見切ったが、ラインズマンの判断は違った。圧倒的な精度の高さにギャラリーの目が北雷へと向きつつある。しかしながら海堂は険しい目つきであった。ただでさえ人好きのしない顔立ちなのに輪をかけて酷いことになっている。
「冷静さを失っているようにも見えます。多分ですけどこの後にもまだもう一試合あるの、忘れてますよね?」
「アレはもう後のことなんざ考えてねえ顔だな」
「マズイですよ、それ。いくらあの人でも体力は無尽蔵じゃないですし、明らかにおかしいですよね。そんなことする性格ですか?」
どうにも神嶋の様子が気になるらしい海堂に、設楽は笑って言う。
「まあまあ、直志にだってそういうときはあるさ」
まだ文句がありそうな海堂だったが、設楽は海堂のパソコンを指で示した。こっちに集中しろ、というサインに彼女は黙って目線を下ろす。その横顔を見ながら設楽はコートを見つめていた。
(ここで燃料を使い切られても次の試合の前半で温存すれば何とかなる。それよりもこの試合でアイツを下げるのは無理だ。思いっきりやっていいって言ったのは俺だしな)
設楽はこのことを海堂に伝えていない。伝えれば海堂が怒り狂うことは目に見えている。あの二人はバレーボールにひたむきという点では同類だが、その根源が根本的に異なっているのだ。加えて海堂は他者の感情に対して非常に鈍感で冷酷な一面を持つ。そして設楽が今守るべきなのは神嶋との約束と、誰も知らないところで繊細な彼の心だった。
神嶋の手にまたボールが渡る。ここで決めれば北雷は早速八点を手にすることになる。点差はジワジワと、それでいて確実に広がりつつあった。電子ホイッスルが鳴り響いてすぐに神嶋が動き出す。長身から繰り出されたジャンプサーブに幸田が飛びついたものの、回転を殺しきれず弾いてしまった。得点板の北雷側の数字が八に変わってすぐ、紀平がタイムアウトを申請する。その直後、落雷のような紀平の一喝が響いた。
「戻って来い!」
とのお言葉に従い、幸田、勝海、一条、三宅、水林、金須はベンチの周りに集まる。ベンチから立ち上がった紀平はこめかみに青筋を浮かべていた。全員で紀平を囲むと一六八センチしかない彼は完全に埋もれる形になる。だが威圧感が凄まじい。
「全員もう少しでいいから無理をしてでも拾いに行け。特に勝海、幸田、一条、何のためにお前ら三人を外から連れて来てると思ってるんだ。怪我をしない程度にボールを追え。前も言ったがこのチームは勝てないことが常態化し、負けることが当然になっている」
厳しい言葉に主に三年生が唇を噛む。紀平の言葉は事実だ。ここ数年、三浦国際は落ちることはなくとも大きく上がることがない。負けてもベスト十六まで行けたから十分、という雰囲気があることを否定出来ない現状だ。いつかは分からないが、このままではいずれ確実に落ちぶれるだろう。それから紀平は畳み掛けるように言った。
「だから万年ベスト十六でそれ以上を目指せない。このレベルから抜けられない。俺はその負け癖を叩き直すためにここにいるんだ」
一瞬言葉を切った紀平は目を閉じて続ける。
「次にサーブ権を取ったらそこで一度水林と明石を入れ替える。その間は三宅を中心に攻撃を組み立てろ」
誰もが驚いてもおかしくない選択だったが、誰一人異を唱えることはなかった。水林は不動のエースにして最大の得点源だ。北雷ならばありえないやり方を、三浦国際は躊躇わずに選ぶ。審判がタイムアウトの終了を告げ、紀平は平坦な声で言う。
「そら、行って来い」
コートに戻った水林とアップエリアにいる明石の目線が一瞬だけ交わった。明石はすぐに目線を逸らして虚空を見つめる。それを見ていたらしい三宅が口を開いた。
「変なヤツだよな、天音は!」
「お前にだけは言われたくないと思うぞ、三宅」
水林は三宅の白いユニフォームの背中を見てため息をついた。
三宅も明石もマイペースな男である。それはもう本当に、目を覆いたくなるほどマイペースである。およそ集団行動には不向きな性格だ。実際に二人は附属中学時代は一度も公式戦に出されなかった。悪意や自覚なしに和を乱す傾向が強く見られたためだ。しかし高等部進学後、この二人は紀平によって美しく絢爛に花開いた。あの猛攻をしのぎきれば、紀平が手塩にかけた恐るべき才が猛威を振るうだろう。
(俺もきっちり仕事をしないとな)
軽く曲げた首の関節が、ぺきりと音をさせた。
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