二章 県ベスト十六
二章一話:万年ベスト16VS無名校
自販機から帰って来た神嶋は凶悪な目つきだった。気が立っているのが丸分かりで、それを隠そうともしていない。気がついた能登がそっと声をかける。
「神嶋、何かあったのか?」
「別に。嫌な顔を見ただけだ」
その返答に能登は一瞬躊躇って問いかける。
「……兄貴か?」
「いいや。また別の連中だ。俺の気が済むまで許さないと決めた相手ではあるけどな」
「お前ってホントに……、何て言うか……」
ため息混じりにうなだれると、神嶋のひび割れた唇が棘のある言葉を紡ぐ。
「どこまでも根に持つタイプだって言いたいのか?」
自嘲気味に笑った神嶋を見て、能登は口を閉ざした。副主将のその反応に神嶋は軽く能登の肩を叩く。
「絶対にこの試合は負けられない。頼むぞ」
「これまで負けて良かった試合なんか無いだろ。今更だぜ」
力強い返事に神嶋の唇の両端が上がり、ひび割れたところから赤い肉が覗いた。
アップが終わり、後は整列して審判の号令を待つだけとなってから設楽は全員をベンチの前に集める。一番初めに口を開いたのは神嶋だった。
「ここまで試合をやってきて痛感しているとは思うが、相手はみんな強い。でもだからと言って気後れする必要は全く無い。俺達は強いと信じて、ただひたすらボールを繋ごう。ここまで来たら出来ることはそれしかない」
いつになく気持ちのこもった言葉に誰もが頷く。こういうときの神嶋の言葉には、有無を言わさず他人の首を縦に振らせる力があった。
「俺からは以上です。コーチ、どうぞ」
神嶋に話を振られた設楽は自分の顎に手を添えて笑う。目の前に揃った部員達の顔に疑問が浮かぶのを見て、話し出した。
「実はあんまり言うことが無いんだよな。だから直志の言う通り自分達が積み重ねてきた強さを信じよう。胸張って挑んで、勝って戻って来い」
設楽はそれだけ言って海堂に目配せする。海堂はそれを受けたかと思うと、パソコンを抱えたまま無表情で言った。
「私は春高に行きたいです。……以上」
多くを語らない海堂だったが、誰よりもギラついた目を見ればその真意は明らかだ。挑発するでもなく煽るでもなく、ただ望みだけを述べた一文がその場の空気に火をつけた。
いつも通り円陣を組んだ神嶋がさらに喝を入れて両校の選手がエンドラインに整列する。審判の号令の後に各々自分の開始位置についた。サーバーは北雷の野島だ。主審の電子ホイッスルが鳴り響いてから数秒後に野島がジャンプサーブを打つ。サーブを拾ったのは十番の勝海。
「金須さん!」
ボールは弧を描いて空中を舞った。三年生セッターで主将の金須がその下に入る。
「フォロー!」
神嶋の声に後衛の涼、久我山、能登が動く。その後すぐに後衛の十二番、幸田にトスが上がった。神嶋と川村のブロックを避けて北雷コートのライト側にバックアタックが入る。野島と前後を入れ替えていた能登がボールを上げた。そのまま野島の手にボールが収まり、川村がレフト側から強烈なクロスを打ち込む。ボールが三宅の腕の中で跳ねてから主審が北雷の先制を告げた。
「川村、ナイスキー!」
「ハッハッハ! 褒めろ、褒めろ!」
「ディグとブロックめっちゃ機能したな!」
「よしよし、この調子だ!」
コート内で声をかけ合う姿を見ていた設楽は海堂の横顔を見る。
「分析ドンピシャ、予想的中。優秀だな〜、聖は」
「優秀に決まってるじゃないですか。私は海堂聖ですよ。この程度は出来て当たり前です」
いっそ驕っているようにも聞こえるフレーズだが、無表情な目の下には薄い隈がある。それに気がついても、設楽は何も言わなかった。
再度野島がジャンプサーブを打つが、これは六番の三宅が拾う。セッターの金須に繋がり、勝海が重いストレートを打った。神嶋と能登のブロックを避けたその先で待ち構えていた涼が、姿勢を崩されながら野島にパスを通す。ネット際で待ち構えていた野島は川村と神嶋の動きにつられて空いたスペースに鮮やかなツーアタックを叩き込んだ。
「よくやった、野島!」
「まだ二点目だ! 気緩めるなよ!」
「ガンガン行こう!」
開始早々に二点を連取した北雷だったが、このまま順調に進むほど甘くないことは誰もが知っている。そのせいか取れるうちに取っておけという様子が目に見えた。何せ相手は県大会の常連校。流れが向こうに渡ればどうなるかは分からない。
ボールを手にした野島は電子ホイッスルが鳴ってすぐにジャンプサーブを打ち込む。鋭く速いサーブで相手方の十二番の幸田を狙う。
「金須さんッ!」
幸田が明後日の方向に上げたボールに金須が食らいついた。同時に三浦国際のアタッカー陣が動き始め、北雷のコート内での警戒度がマックスまで引き上がる。
金須は姿勢を大きく崩されたまま軽くジャンプしてボールを追ったせいで、トスを上げる余裕が無い。さらに北雷のブロッカー三人が金須から見てコートのレフト側に固まっている。追い込まれた金須の視界の端に、ポッカリと空いたスペースが入った。そこにツーアタックを叩き込む。すると、ドンッ!という音がした。着地しながら北雷のコートを見ると久我山がツーアタックをレシーブしたところだった。予想外の伏兵に金須は思わず目を見開く。
「野島!」
きれいなAパスが野島に通り、後衛にいた涼にトスが上がった。ほぼコート中央から放たれた速いストレートが炸裂する。ギリギリで追いついた勝海がレシーブし、ボールが六番の三宅に渡った。三宅の二段トスに三番の水林が反応する。まだ三浦国際コートから見てレフト側にいた神嶋と能登が壁として立ちはだかるが、水林は強打ではなく軟打でそれをかわした。久我山が拾いに走るが間に合わず、審判が電子ホイッスルを鳴らす。
「まずは一点。ここから反撃」
水林はそう言って人さし指を立てた。平坦な声音と表情はいつもと変わらない。
「ナイスキー、快!」
三宅が恐ろしい勢いで水林の背中を叩いたので水林は無表情で文句を言うが、三宅は聞いていない。
「あそこで軟打の選択はさすがっスね、水林さん」
一年生の幸田がそう言うと勝海が横から幸田の頭をスパンと叩いた。
「レシーブ下手すぎんだよ! スパイクばっか練習すんな!」
「でも勝海さんもブロックばっか練習してるじゃないスか」
幸田も感情と表情の波が少ないが、これが彼の本性ではなく水林に憧れて真似をしているだけだということは部員の間では有名な話である。
「がっちり対策されてんな。無名とは言え優秀だぞ、北雷」
「まあ、あの人がいるんじゃねえ……」
ため息交じりの副主将の森の言葉に金須は苦笑いで応じた。全員の目が北雷のベンチへ向けられ、数人が何とも言えない表情を見せる。
「とりあえず今は目の前の試合に集中! 今年こそ抜け出すんだから、万年ベスト十六だけは」
金須の言葉に全員が頷いた。
「それにしても海堂の分析が気持ち悪いくらいハマったな」
能登が神嶋にそう言うと神嶋は首を縦に振った。
「三浦国際の十二番はディグは上手いがレセプションは下手、だったよな。確かにそうだった」
「セッターの姿勢が崩れるかは賭けだったけど、向こうのレフトに人が寄ったのに合わせて動いたのが良かったのか?」
「おれが向こうのセッターだったらあの状態で打たせるのは悪手だと思うネ〜。まず神嶋がデカいし、朱ちゃんも能登も小さくない。しかも姿勢が悪いから良いトスが上げられない。そこにわざとらしく空けてたスペースがあったらああしてもおかしくないって」
突然背後から割り込んできた野島は妖しく笑う。いつにもまして血色の良い唇が三日月を描いた。
「同じセッターとしては心底同情したくなるけどこれは試合。勝たなきゃ今度こそ後がないからネ。アナリスト様の分析を信じてコーチの指示通りにやらせてもらおうヨ」
「うわ〜……、悪い顔……」
能登の感想に神嶋は心の底から同意を込めて首を縦に振る。
「何はともあれ今は相手のサーブを乗り切るところからスタートだ。分かってるだろうな?」
「分かってるよ、心配すんなって」
副主将のキレの良い返答を受けて、神嶋の唇はわずかに緩んだ。
三浦国際のサーバーは主将でセッターの金須。主審が電子ホイッスルを鳴らしてすぐに、彼は動き出した。空中で打たれたボールを能登が受け止める。
「野島!」
名前を呼ばれた野島がボールを追うのに合わせて、レフト側にいる涼、川村が動く。相手方の前衛にいる六番の三宅、三番の水林は川村を警戒して北雷のレフト側に走る。残った二番の森は野島の神嶋を警戒して他の二名と逆方向に向かった。能登からのパスを受けた野島はニヤリと笑う。その後にトスが上がったのはノーマークの能登だった。誰もいない場所を狙ったクロスの線上に十二番の幸田が突っ込んで来る。
「金須さん!」
叫んだ幸田は回転も速度も殺しきったパスを通した。金須がボールの下に入る。トスが上がった先は十番の勝海だ。
(ブロックはこっちの前衛に集中してる!)
そう思って打った鋭いスパイクがブロックを出し抜くはずだった。しかし神嶋が咄嗟に伸ばした右手がボールをネット際に叩き返す。飛び込んできた金須が床のスレスレのところで跳ねさせたボールに二番の森が追いついた。
「もう一回!」
久我山がそう言ってすぐに森が二段トスを上げる。二段トスに反応した水林がアタックラインより前に超鋭角のインナースパイクを叩き込んだ。能登は間に合わず、床にペンギンのように滑り込んだだけで終わる。これで双方が二点を手にした状態になった。
「快! さすがだ!」
三宅にバシバシ背中を叩かれる水林は奇妙なほど無表情で、全く表情を動かさずに親指を立てる。
「森さん、ありがとうございました。俺のミス、カバーしてもらって」
勝海の声に振り向いた森は首を横に振った。
「全然いいよ。でも向こうの一番、アレをこっちに戻してくるとは思ってなかったわ。そんな発想してなかった」
「アイツは映像で見たとおりブロックとサーブの変態です。ナメたらガチで痛い目見ますよ」
勝海が厳しい表情で言ってネットの向こうの神嶋を見る。一瞬だけ互いの目線が交差したが神嶋の目線は恐ろしく冷徹で鋭利だった。だがその奥に燃えたぎる炎があることを勝海は知っている。
同じ中学出身の元チームメイトと大会で戦ったことは何度もある。しかし勝海にとって神嶋は特別な存在だ。勝海をこの世界に引き入れた張本人であり、誰よりも敵に回したくなかった敵である。出来ることなら同じチームにいたかったという気持ちはあるが、それが叶わない望みだということは中学生の頃から分かっていた。
サーブで神嶋に勝てた部員は勝海の知る限り一人もいない。ブロックで勝てた部員もまた然り。文句なしの実力、豪胆とも言える精神力、恵まれた体格の三つが噛み合わさった神嶋は本当に強かった。上昇志向が強く日進月歩という言葉のよく似合う少年だった。だからこそ、勝海は神嶋が緋欧の推薦の話を蹴ったことが未だに信じられない。
本当ならば神嶋は、今頃緋欧にいたはずなのだ。
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