二章三話:マイペースの権化

 電子ホイッスルが鳴り、また神嶋がジャンプサーブを打った。三浦国際コートの後方右端、レセプションが不得手な幸田が狙われる。そこに下がって来た勝海が入り、幸田は前に出た。勝海の両腕がボールを上げるのと同時に彼は後転するが、彼がものにしたチャンスを金須は逃さない。綺麗とは言いがたいパスだったがそんなことは問題にはならない。さらにそこから上がったトスに反応した三宅、水林が助走に入る。北雷の前衛三人がどちらにつくかと迷った瞬間に、幸田も動いた。だが北雷の方は迷わなかった。水林の正面に三枚ブロックが立ち塞がり、水林にトスが上がる。水林が右腕を振り抜いて打ったスパイクを瑞貴の手が絡め取った。そのまま背後にいた野島がボールに触れ、能登のバックアタックがコートに入る。一条がボールを拾い、幸田が二段トスを上げた。三宅がそれを打つも、涼の手に弾かれてボールが戻った。その流れによって一度混乱が収まり、水林は三宅の真意を察する。幸田が送ったパスに追いついた金須が上げたトスに水林が追いついた。相手コート中心部の空白に、水林の強打が突き刺さる。やっと四点目を記録し、金須は小さく安堵の息を吐いた。

「さすがです、水林さん」

「水林さん、ナイスキー!」

 二人分の声に振り向くと、幸田と一条がいた。水林は両手を二人に向け、三人は手を打ち鳴らす。それとほぼ同時に紀平が選手交代を申請した。明石と水林が入れ替わる直前に紀平が明石を呼び止める。

「明石、好きに暴れて来い」

「は〜い。やりたい放題やってきますね」

 明石は暴れるという単語が恐ろしく似合わない柔和な表情で応じた。

 そのままコートに入ってボールを手に持つ。クルクルと手の中でボールを転がしていた明石は、今度はチームで揃いのシューズを見つめた。白い生地に黒いラインが入っただけのシンプルなデザインの足の甲の部分に目線が集中している。微塵も緊張などしていないどころかむしろリラックスしていた。審判が電子ホイッスルを鳴らした次の瞬間、その空気は霧散する。ボールと明石が宙を舞ってすぐに速いジャンプサーブが打ち込まれたが、それにいち早く反応したのは後衛に配置されていた能登だった。ドッと音をさせて浮かんだボールに野島が追いつき、前衛の瑞貴、涼、川村が動き出す。フロントセンターにいる勝海が右手を伸ばし、声を発した。

「明石、一条、ライト!」

 指示された二人が動いた直後、野島が上げたトスに食らいついたのは涼だった。そのままスパイクを打とうとして勝海と幸田のブロックに弾き飛ばされる。すぐ後ろにいた能登が失速したボールをオーバーレシーブで受け止め、さらに後ろにいた神嶋が高く遅いトスを上げた。それに瑞貴の右手が纏わりつき、ボールはふわりとブロックに飛んだ三宅の頭上を超える。これはいけると瑞貴も涼も思ったが、三宅は右手を大きく反らせ、ボールを叩き落とした。審判がホイッスルを鳴らし、得点板がめくられて四から五に数字が増える。三宅と明石が何か話しているのを見ながら、勝海は頭に刻み込んだ情報を反芻した。

(向こうの九番はインナースパイクを打たせなきゃ大して怖くねえ。七番は多分だけどバレーの競技経験自体が浅い。ここ二人は高いブロックで押し潰せばいい。二番はアタックも出来るが基本は守備中心。セッターはツーと三番を使った速攻以外は怖くねえ。一番難しいのが直志と三番!)

 数回両手を閉じて開いてを繰り返す勝海の目線の先には、神嶋がいた。中学三年間、勝海は散々負け続けた。もうこれ以上、神嶋に負けることは出来ない。

 それからの展開は一方的だった。明石のサーブが猛威を振るい、勝海が指揮するブロックが北雷の攻撃を阻んだ。たったそれだけのことなのに、なぜか北雷はペースを乱され続けている。既に三浦国際は八点目を記録して八点の北雷と同点までこぎ着けた。このままならばじわじわと点差を広げることができるだろう。明石のサーブは速さと絶妙な回転によってレシーバーの手からすり抜ける。手が届いても回転のせいで上手くレシーブ出来ない。北雷は序盤から次第に追い詰められ出していた。

 アップゾーンで試合を見ている水林は森に小さな声で話しかけた。

「ずいぶん変わったな、明石は」

「バレーの腕前だけなら別人級だぜ、マジで。今の明石を見ても、誰もアイツがマイペースの権化だとは思わねえだろうよ」

 二人の目線の先にいる明石は再びボールを持っていたサーブの位置に立つ。こんな試合の最中であっても、いつも通り彼の周りだけ時間の流れが遅い。緊張も興奮も全く感じ取らせないつかみどころのなさこそ、明石天音が明石天音たる理由であった。


 明石は我が道を進む両親に育てられたせいか、元来その気質が強い。一人っ子であることもその気質に拍車をかけた。自分のやりたいことをやりたいときに出来ないことが明石にとって何よりものストレスになる。そのおかげで学校は嫌な場所だった。

 授業中は椅子に座っていなければ怒られ、窓の向こうにいる鳥を見ているだけで集中力が無いと叱られた。友達とは仲良くしなさいと言われても、誰かと一緒にいるより一人で自分の好きなようにやるのが一番楽しい。休み時間は友達と外で遊びなさいと言われて校庭に出されても、雲を見ているのが楽しかった。自分の好奇心を優先して動く明石を嫌う児童は多く、担任にも目をつけられていた。六年生の時の修学旅行ではグループ行動が出来ず、他の児童に迷惑がかかったと担任が家に電話をかけてきたこともあった。救いだったのは、両親が明石を叱らなかったことだろう。

 担任が家に電話をかけたことでさすがにまずいことをしたのではないかと気を揉んでいたときに、両親は明石をソファーに座らせた。程良く柔らかいソファーに座ると両親は担任からの電話の内容を全て教えてくれた。その上で、両親は明石に無理はしなくてもいいと言った。

「足並みを揃えることだけが全てじゃない。もしも辛いなら、学校には無理をして行かなくていいんだよ。先生にはお父さんとお母さんから話すから正直に言ってごらん」

 と言ってくれた。

 今思えば、きっと両親は同じような経験をしたに違いない。だから明石には辛い思いをさせないように言ってくれたのだ。しかし明石は首を横に振った。学校にだって楽しいことがあり、数は少なくても仲の良い友達もいた。行く理由はその程度でも、行かない理由は無かった。

 明石は地元の中学には行かず、三浦国際高校附属中学校に進学した。適度に自由な校風と生徒自身の興味関心を中心に学ぶスタイルが合うのではないかと考えた両親が決めたことではあったが、結果として明石にとっても悪くない選択になった。そしてこの附属中学校で、明石はバレーボールと運命的な出会いを果たす。

 中学入学後、すぐに仮入部期間が始まった。親にはせっかくだから入ってみたらどうかと言われていたが、明石はあまり興味が無かった。興味のないことはやりたくないと思っていたので、特に入る予定も無い。そう思っている間に六月になった。ある日の体育の授業で、明石の背中にボールが激突した。びっくりしているとボールを使っていたらしい少年が走ってくる。

「痛かったよな! ごめん!」

 鼓膜が破れたかと思った。何だか知らないがやたらめったら声の大きい彼に、明石は驚いて無言で首を縦に振る。絶対コイツには関わりたくないと思っていると顔の印象が薄い少年が追いついた。

「悪かった。大丈夫か?」

「ギリギリ大丈夫。でも死ぬほどびびった」

「いや、ホントにごめん」

「お! 快か! 相変わらず足が遅いな!」

「頼む、三宅、お前は口を開くな。鼓膜が破れて血が出るから。それから森のとこに戻ってろ」

 三宅は黙ってうなずき、軽い足取りでその場を立ち去った。その背中を見送る彼はじっと背中を見つめている。

「アイツ、悪いヤツじゃないんだけど声がでかすぎるんだ。何かちょっとずれてるし」

「じゃあ何で一緒にいたの?」

「バレー部で一緒だから。癖強いし声でかいし超マイペースだけど、一応、友達だから」

 マイペースの一言を受け、明石はぼんやりと考えたことを口にした。

「大変じゃない?」

「俺が一緒にバレーやってんのはあの三宅だ。三宅は三宅のままでいい。変わる必要なんてない」

 彼はそう答える。迷いのない答えが、この上なく好ましかった。

 それから数日後、明石はバレー部に入部届を提出した。両親は驚いたが、明石の決めたことならそれでいいと言ってくれた。決してバレーがやりたかったわけではない。ただ、あのときの水林の言葉が忘れられない。

「三宅は三宅のままでいい」

 あの言葉を水林がどういう気持ちで言ったのかは分からない。三宅が自分自身をどう思っているのかは分からない。それでも自分が三宅だったなら、友達にあの言葉をもらったら、きっと嬉しくて仕方なかったはずなのだ。

 両親は間違いなく明石を肯定してくれる。祖父母もそうしてくれる。けれど、家族以外の誰かが肯定してくれたことは無かった。だから、そういう誰かに会ってみたい。もしかしたら、バレー部なら会えるかもしれない。ただそれだけを考えてバレー部の門を叩いた。



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