一章三話:夢
県大会初日の全試合を問題なく終えた北雷だったが、実は試合以外にも大きな問題が残っている。何を隠そう、その問題とは二学期期末考査であった。翌週末に控えた県大会決勝が終わるとすぐに二学期期末考査が待ち構えているのだ。これが例えば静岡青嵐のような強豪校であれば多少時期がズレていたり、スポーツ特待生であれば点数のハードルが下げられている。しかし北雷ではそうもいかない。
そして県大会初日翌日、北雷高校図書室にて。
「もうダメだ。オレは昨日の試合の振り返りをやる」
「諦めるな、火野。赤点取ったらそれこそもっと大変なことになるぞ」
「でももう分からねえ……! 生物だけは本当に出来ないんだよ!」
生物の授業時間内で設けられた試験勉強タイムに火野は悲鳴を上げていた。ノルマのグループ学習を終わらせたら各自で自習と言われたのだが、開始十数分で火野は諦めの境地に入った。それをどうにか涼が繋ぎ止めようとしている。しかし当の涼も既に集中力の限界が近い。五人ほどがいる机の周りで黙って勉強しているのは海堂のみだったが、他の生徒が海堂に話しかけた。
「海堂さん、日本史のプリントっていつ提出だっけ?」
それを聞いた海堂は答えることなく顔を上げる。シャープペンシルの芯をしまい、それからようやく口を開いた。
「私はもう進学したい大学を決めた」
突然の言葉に全員が呆然として海堂を見た。
「北雷にはその大学の推薦枠があるって分かったから、推薦で行けるように良い成績を取りたい。でも今は大事な大会が近くて部活が忙しい。だから学校のこういう時間をきちんと活用したい。なので、私には必要なこと以外で話しかけないでほしい」
海堂はそれだけ言って口を閉じるかと思われたが、まだ言葉を紡ぐ。
「あと三十分も無いから少し配慮してくれると嬉しい」
至って真面目な声と顔での言葉には有無を言わせない響きがあった。火野と涼は慣れた様子で謝ってから自分の勉強に戻る。しかし残りのクラスメート二人は困惑していた。普段クラスではバレー部の火野と涼とバレーボールの話しかしない海堂からの突然の「お願い」ではそれも当然だろう。見かねた涼が助け船を出す。
「海堂はプロのアナリストになりたいんだよ。アナリストって知ってる?」
「いや、全然知らない」
「海堂の場合はスポーツアナリストって言って、チームに対戦相手の数値化された情報を提供し、その情報を使って監督や選手が試合の作戦を考える。試合中の作戦の立て直しにも貢献する。まだ北雷のバレー部じゃ本格的にはやれてないけど、海堂にはいずれプロのスポーツアナリストとしてバレーボールの国際大会で活躍したいって夢がある。ま、今は来年の全国大会に出ることが一番の目標だけどね」
すると、何も知らない二人組は嘲るように大きな声で笑った。
「何それ! 夢デカすぎ! 意味分かんないし無理でしょ!」
「てかバレー部って全国大会目指してたの? 初耳! 無理だから止めときなって!」
発された言葉に涼の纏う空気が冷え込んでいく。その隣の火野も唇を曲げて二人組を見ている。かと思うと火野は長机の下で足を伸ばし片方の椅子を強く蹴飛ばした。涼も同じことをしたおかげで、その二人は椅子ごと床に倒れたのであった。
その日の放課後、旧体育館にて。
「県大会初日、お疲れさまでした」
設楽を加えての反省会で海堂は初めにそう言った。その直後に設楽が話し出す。
「無事に四試合を勝ち抜いたことで俺達は晴れて県のベスト十六に入った。とは言え最終的な目標は緋欧を倒して神奈川県第一代表になることだから、まだ道半ばだ」
彼はそう言って旧体育館の床に腰を下ろした面々の顔を見た。真剣な表情を崩さずに丁寧に言葉を選びながら続ける。
「プレッシャーもあるだろうが、お前達みんなに一つ一つの試合に真摯に向き合ってほしい。トーナメント戦は一度負けたらそこでお終いだ。ここまでの全てが水の泡になっちまう」
最後のフレーズに空気が一気に引き締まり、二年生の顔に凄味が増す。一年生の夏からこのときのためだけに力を蓄えてきた彼らがかける思いは熱い。その様子を見て、設楽は口を閉ざした。海堂がパソコンの準備をしているのを確認し、設楽は手元のクリアファイルをヒラヒラと振る。
「次の試合に向けての対策と反省を話し合うぞ。まずはブロックとディグから。ブロックでコースを絞れたけど拾いにくのが追いつかないなんてことがあった。特に第一試合はひどかった。みんな動きが少し遅いんだよ。アタックのときにちゃんと備えられるならディグのときも出来るだろ?ブロックでコースを絞って拾う練習なんかバカみたいにやったんだから出来てくれ」
設楽の言うディグとは、レセプションと呼ばれるサーブレシーブを除く全てのレシーブを指す用語だ。
「海堂、何かデータは無いか?あったら見せてくれ。ちゃんと考えたい」
久我山に頼まれた海堂が、プリントアウトした表を持って来た。第一試合に出た面々がその表を見るとズラリと数字が並んでいる。それを見た火野が海堂に問いかけた。
「これ何?」
「得点と失点の状況、関わった選手の背番号を簡潔にまとめた表。で、総失点数とディグが原因の失点数を割り算するとパーセンテージが出る。大体四十パーセントはディグが原因で失点してるのが分かるでしょ?」
「感覚的にはサーブミスやドシャット食らったりしたのが多かった気がするけど数字で見ると四割強がディグなんだ。これはまずいと思う」
長谷川の冷静な反省に涼が続く。
「防げるミスだ。しかもボクら一年生がミスを連発してる。久我山さんに頼りすぎた。もっと自分でも動かないと負けるね」
「いくらスパイクを打ってもディグがダメじゃ話にならない。だからあの試合は追い込まれたんだ!」
火野の後に近くにいた高尾が感心したように声を上げる。しかし海堂はストップをかけた。
「ここで大事になるのがディグのミスの原因だと思わない?」
「ただ追いつけなかったからなのか、追いつけたけどダメだったのかのどちらかで練習の内容も大分変わってくるもんな」
水沼の言葉に海堂は深く頷く。
「それが分かったところでこれから試合映像を見る。自分達が何をすべきか分かった?」
その様子を見た設楽は一人で小さく笑った。一年生の思考の練度が夏休み前とは大きく異なっている。これは海堂が根気強く思考のアシストをすることで起こった進化だ。加えて全員に客観的な数字を見るクセがつき始めた。夏休み前はただ主観的な意見が飛び交うだけだった反省会は、具体的で客観的なデータを用いた分析大会に様変わりしている。ところが面白いことに本人達はその変化に気がついていない。
(この環境、状態を普通として認識してる。面白えなあ〜!)
設楽がニヤニヤしている横で、海堂は職員室から借りてきたプロジェクターを起動させた。映し出された試合映像を止めたり巻き戻したりしている間に、海堂の出したデータを片手に意見が飛び交う。それを見ながら、設楽は次の対戦相手について調べ始めた。
(二試合中一試合目の相手は三浦国際高校か。今年のインハイ県予選はベスト十六止まりで、……おいおい、ここ十年ずっとベスト十六ってことか?)
そこまで戦績を調べて設楽はスマートフォンから手を離す。水筒の中のホットコーヒーで唇を湿らせ、旧体育館の古い天井を見上げた。
「厄介な気配しかしねえな〜……」
その声は、他の誰にも届いていなかった。
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