一章二話:双子
同じ頃、神嶋は川村と火野と階下の自販機の前にいた。廊下の角にある自分より背の低い自販機に小銭を入れた神嶋の背中を、川村が呆れながら見ている。
「マジで何食ったらここまで育つわけ?」
「急にどうした」
神嶋は小銭を入れてから緑茶のボタンを押した。ガコンと音をさせて落ちたペットボトルを取り出す。
「だっておかしいだろ! 二百二センチなんて!」
川村の叫びに火野も数回うなずく。言われた方は戸惑った様子で首を傾げた。
「俺にごちゃごちゃ言われても困る」
県大会進出が決まってすぐに、設楽と海堂は全員の身長を測り直した。そこで神嶋が二百センチを突破していることが明らかになったのだ。夏休み明けの身体測定では一九九センチだったが、さらに三センチも背が伸びたと分かって設楽と海堂は大喜びしていた。貴重な二百二センチのブロッカーをどう活かすかと考え始めた海堂の表情は、もちろん凶悪そのものである。
「オレなんて春から二センチしか伸びてねえぞ? つ〜かミコトより背が低いままなんですが?!」
突然の大声に神嶋と火野はビクッとして川村を見る。川村が荒ぶっている理由は神嶋への嫉妬以外にも、相棒の背丈を越えられないという悔しさも含まれるようだ。
「頭をぶつけまくるから痛いぞ」
しかめっ面の神嶋の言葉に、川村は額に青筋を立てて目をむいた。
「ハァ〜ッ! 嫌味ですか?!」
「川村さん、落ち着いて!」
火野がストップを掛けに入るほどの荒れように、さすがの神嶋も戸惑いを隠せない。
「一八五センチもあったらそれなりに十分なんじゃないのか……」
「せめてあと五センチ! 一九十センチは欲しい! オレ小さい!」
川村は叫ぶと同時に腕を勢い良く振る。そしてその手は角から現れた緋色のジャージにぶつかった。ぶつかった相手は北雷の三人組の予想より飛んで、さらに別の誰かにぶつかったらしい。うめき声と文句、激突音が聞こえる。
「痛え! 何すんだよ、誉!」
「誰かの腕がぶつかったの」
「は?! 誰だよ!」
「いや、分かんないけど、曲がり角の先にいた誰か」
誉、と呼んだ男の声に答えたのは誰がどう聞いても女のそれだ。途端に川村の血の気が引く。謝ろうと一歩踏み出した瞬間に長い腕がヌッと現れた。その腕は北雷の黒いジャージを強引に引き寄せる。
「おいコラ、危ないだろ! 周り見ろよ、クソ野郎が!」
「はぁ?!」
とんでもない暴言の嵐に川村の目が点になる。長い腕は川村の襟首を引っ掴んで顔を近づけた。どうやら相手は川村よりもかなり背が高いらしく、身体が上に向かって引っ張られる。浮くまいと抵抗すると凄まじい力が加わった。相手の手に自分の手をかけて離そうとしてもびくともしない。
「俺が怪我したらどう責任取るつもりだった⁈」
「すいません! 人が来てるとは思わなかったので!」
思わず相手の勢いに怯んだ川村の言葉を聞いて、相手は人が変わったように手を離す。緋色のジャージの下に着ているユニフォームには十五と数字が入っていた。それを見て神嶋と火野の目が光る。
「わざとじゃないならいいわ。急に怒鳴ってすいませんでした」
奇妙なほど丁寧に腰を折られ、川村は困惑する。すると相手の後ろから誉、と呼ばれていたのであろう少女が現れた。彼女は川村を掴んだ男の両手を押さえ、川村に向かって謝る。
「弟がすいませんでした」
「俺ら双子じゃん。姉貴ヅラすんなよ」
川村を掴んだ男の不満そうな声を聞いて、彼女は彼の背中を強く叩いた。叩かれた方は唇を曲げてから黙る。
「こっちも見てなくてすいませんでした。怪我してないですか?」
川村が謝ると誉は首を横に振った。
「私は大丈夫です。ご迷惑おかけしました。保多嘉、帰るよ」
立ち去る二人組の背中を見送り、声の届かない距離になってから火野が低い声で言う。
「あの二人のジャージ、緋欧のでしたね」
それを聞いた神嶋はペットボトルの蓋を開けながら目を伏せて答えた。
「緋欧の十五番と言えば全国屈指の大型セッターの羽村だ。緋欧がメインで使うのは兄だが試合に緩急をつけたいときに使われる。でもブロッカーとして使われている試合の方が多かった」
「詳しいな」
川村の感心したような声に、神嶋は何ともなさそうに応じる。
「兄が持ち帰って来た試合映像のUSBがよく放置されてるんだ。使わない手は無いだろうが」
「それ許可もらってるんですか?」
火野の当然の疑問に神嶋は吐き捨てるように返す。
「バレないように見て、バレないように返すんだ」
神嶋は体育館の方を睨む。唇は乾燥のせいか以前よりもひび割れ、割れたところから血が滲んでいた。
「最後のチャンスは逃せない」
淡々とした口調の神嶋の目に異様に尖った光が浮かんでいる。見る者に漠然とした恐怖を与え、傷つけるような光だ。それに気がついた火野は小さくため息をついた。
昼食を済ませた海堂と神嶋が二階の観客席に上がると緋欧の試合が始まるところだった。並んで座った二人の視線は自然と緋欧の試合に向いた。緋欧のコートには見覚えのある茶髪を筆頭に全国大会の試合映像に映っているメンバーが揃っている。その中に見えた十五番の背中に、海堂の視線が固定された。緋欧の偵察に海堂が単騎で乗り込んだとき、セッターだと堅志に紹介された青年だ。しかし緋欧はツーセッターシステムを採用していないため矛盾が生じる。
「地区予選のときから思っていたんですが、十五番の彼は本当にセッターなんでしょうか?」
緋欧の六番が早々にサービスエースで先制する。好調な滑り出しを見ながら海堂は不思議そうに首を傾げた。十五番は前衛ライトにいる。長身選手の多い緋欧だが、その中でも目立つ背丈であった。
「どういうことだ?」
「緋欧のスタメンの中でも一番背が高い。正直なところセッターにしておくにはもったいない体格です」
「らしくないことを言うな。様々なポジションで大型化が進んでいるから、長身のセッターがいてもおかしくないってこの間火野に話していたじゃないか」
「その考えとはまた別の話です。それに二人のセッターをコートに入れているのにツーセッターじゃないんですよ。おかしくないですか?」
珍しく首を傾げて疑問を口にする海堂に神嶋は冷静に自分の意見を述べる。
「あれだけの長身ならブロッカーとしての役割も期待される。それに緋欧にいるくらいならオールラウンダーでもおかしくない。どちらも任されている万能型でブロック予選でのみセッターとして使われていると考えられないか?」
「もしくはブロック予選から県大会までの間にポジションを転向させられた?」
海堂がそういった瞬間、二人の背後から声が投げかけられた。
「ありえなくもないが、俺ならまず絶対にしないね」
声の方向には設楽がいた。彼は通路を通って二人の後ろの席に腰を下ろす。ジャージのポケットからカイロを出したところで、再度緋欧の六番によるサービスエースが決まった。神嶋は後ろを見て問いかける。
「どうしてそう思うんですか?」
「セッターを育てるのは難しいからだ。状況判断能力や高い思考力に加えて、持久力とバレーの技術、先を読む力、チームの状態を把握して試合を組み立てるゲームメイク能力がセッターには求められる。だからセッターはチームで一番上手いヤツにやらせろなんて言われてるしな。でもそんなヤツはそうそういねえ。だから俺ならセッターとしてある程度育ったヤツをミドルブロッカーにはしない」
「ですが緋欧の場合は事情が異なります。県内の上手い選手が集まる環境ですから、セッターだけでもかなりの数がいるんじゃないですか?」
「それもそうだな。選手層の厚さが違うか……」
神嶋の言葉に設楽が考え込んだところで海堂が口を開く。
「それはともかく確かにセッターは難しいポジションだと思います。私の中学だとポジションを入れ替えて練習することもあったんですが、セッターのときだけやたら苦戦する人は確かにいました」
「そんな練習してたのか。面白そうだな。今度北雷でもやってみようかな。聖はその練習で上手くやれたのか?」
「誰に向かって聞いてるんです?」
自信満々と言った表情の海堂を見て、設楽はニヤッと笑った。
「聞くまでもなかったな。とりあえず緋欧の試合見とけ! ぶつかる予定なんだから!」
海堂が設楽に叱られる様子を、神嶋は珍しいと思いながら見ていたのであった。
緋欧の試合は一方的な展開を見せた。六番がサーブだけで五点を先制してから一度サーブ権を奪われたが、十五番が相手のスパイクをダイレクトアタックで打ち返す。強打と見せかけてふわりと浮かせて押し込む形を取ったおかげで、相手コートの前方にトンとボールが落ちた。
「きれいに入れたぞ」
「緋欧の選手です。その程度は出来て当然の世界でしょう。それよりあの六番のサーブは脅威ですね。六番がサーバーのときには絶対に久我山さんが必要ですよ。きっと信じられないくらい得点を許すと思います」
海堂はそう言いながらスマートフォンのメモ帳にその旨を書き留める。その横で神嶋は腕を組んで言い放った。
「サーブで取られた分は俺がサーブで取り返す」
「さすがMr. ミサイルサーブ」
「おい、バカにしただろ」
神嶋の苦言を海堂は半笑いで流す。テンポの良いやり取りをしていた二人だが、その目線はずっと緋欧のコートに固定されていた。緋欧が十五番によって六点目を取ったことでサーブ権が動き、十五番がサーバーになる。
「十五番のサーブのお手並み拝見……!」
設楽はそう言ってから冷静な目つきでコートを見下ろす。ホイッスルが鳴ってから、十五番は時間をたっぷりと使ってサーブを打った。極限まで高まった緊張を打ち破ったのは、足の短いジャンプフローターサーブ。アタックラインより手前に落とされたサーブで連続して得点する。
「六番が足の長いサーブを主に使っていたから短いのは予想外だったろうな」
「それなりに頭が回りますね、あの十五番」
「まあ、緋欧だしなあ」
神嶋は眉を寄せて設楽と言葉をかわした。
同じ頃、緋欧のベンチでは誉がスコアシートにスコアを記入していた。この試合は既に緋欧が十五点を先制している。第一セットの流れを掌握してこのままこちらのペースを崩さずにストレート勝ちを目指す。この流れは緋欧の常套手段である。県大会やブロック予選では極力短期決戦で試合を終わらせ、その先に向けて温存する。緋欧が目指すのは全国制覇。県予選程度でもたつくわけにはいかないというのが今の監督の方針であった。
今年こそ春高優勝の栄冠を、というのが今の部の総意である。一昨年は「長崎の闘将」を擁した長崎大参高校に敗れ、昨年は「北の猛者」こと室蘭国際に屈した。今年のインターハイは再び室蘭国際に敗れてベスト四で終わっている。まだ一度も優勝旗を手にしてない緋欧だからこそ、春高では優勝して凱旋したいという思いが共有されていた。そうでもなければ緋欧のプライドは満足しない。
「保多嘉!」
コートの中で片割れの名が呼ばれた。目を上げた瞬間には片割れの右腕がしなり速く鋭いスパイクが相手コートに突き刺さる。打点の高いスパイクはブロックには捕まりにくい。緋欧のスタメンの中で最も背の高い片割れは、相手のローテーションが最も高いとき、スパイカーとして多用される。
「ナイスキー!」
堅志に軽く背中を叩かれた片割れの表情は晴れない。一瞬ベンチを見た保多嘉と目が合って、誉は呆れ半分で首を横に振る。
(試合中に余計なこと考えるなっていつも言ってるのに……)
誉の横にいる監督の樽木には保多嘉をセッターとして育てるつもりは微塵もない。ミドルブロッカーやスパイカーの扱いで試合に出していることから、その真意は明らかだ。しかし保多嘉は樽木のその判断に納得していない。保多嘉はあくまでセッターとして認められることにこだわり、最早異様とも言える執着を見せている。ミドルブロッカーへの転向を条件とした緋欧のスポーツ特待生待遇を蹴るほどにその思いは強い。
それ以降も事あるごとに樽木はミドルブロッカーへの本格的な転向を提案しているが、そのたびに保多嘉は拒絶する。そして樽木と二人で話し合うも、結局は手がつけられないほど不機嫌になって帰ってくる。監督相手に楯突く怖いもの知らずな彼を、他の部員達はからかいの意味を込めて「爆弾保多嘉」と呼んでいる。
そんな爆弾だが、実力自体は緋欧の二年生の中ではトップクラスだ。だからこそ保多嘉には選択肢が与えられた。どうかその選択肢を存分に生かしてほしいと誉は願うが、同時に取り返しのつかないことをしたという念にも駆られている。全ての理由は、誉自身にあるからだった。
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