一章 県大会

一章一話:鉢合わせ

「身体が冷える前にストレッチしてください。怪我しますよ!」

 海堂がそう指示を出すと、県大会一日目の二試合目を終えた面々がそれに応じた。そのタイミングで海堂のスマートフォンが震える。海堂が通話のアイコンをタップしてからスピーカーフォンに切り替えた。

「次の相手は川崎市立中井田か県立横浜のどっちかです。第二セットに入ったところなんですけど、試合展開が早いのですぐに決着が着くと思います!」

 長谷川からの連絡を受けた設楽は、スマートフォンと第二試合を終えたばかりのメンバーに話しかける。

「竜也、ありがとな。じゃあ今のうちに餅食え、餅!」

「また餅かよ!」

 半分が悲鳴のような能登の声に設楽はうなずく。その隣で海堂がスーパーのビニール袋を回した。中には大福や団子といった餅菓子が大量に入っている。

「餅にはエネルギー源になる糖質がたくさん含まれてんだ。持久力や瞬発力が必要なスポーツをやる人間にとって重要な成分だから、摂っておいて損はねえぞ」

 ここまで北雷は二試合連続で連勝中だ。第二試合は神嶋、能登、川村、野島、久我山、涼、箸山、火野を中心に切り抜けた。大半が現在中核を担っているメンバーであったおかげで、何とかストレート勝ちで終わらせることができた。

 県大会初日の今日、北雷は四試合をこなさねばならないが、学校周辺の起伏のある地形で鍛えられた持久力と、設楽の糖質戦法が功を奏した。今のところ疲弊した様子は見受けられない。火野と川村に至っては恐ろしいほどピンピンしている。夏前から持久力が課題だった涼も問題なさそうに見える。海堂はそこまで確認して、設楽に声をかける。

「コーチ、長谷川が教えてくれた試合を観てきますのでこっちはお任せします」

「分かった。そっちは頼むぜ」

 海堂は早歩きで各校の待機場所を抜け、二階の観客席の方へと向かった。県大会の会場は平時は民間団体のために開放されている体育館を使用している。そのうち歩くのがじれったくなった海堂は、人が少なくなった通路を走り出した。二階に向かう階段まで行くために角の曲がった瞬間、目の前に飛び出てきたジャージと激突する。弾き飛ばされるような勢いに驚いて前を見ると、目の前には緋欧のユニフォームとジャージを着た男がいた。

(緋欧の二番のユニフォームってことは、副主将の片岡和也?!)

 片岡も海堂のジャージと顔を確認して軽く目を見開いた。

「堅志の弟のとこの一年生か」

「ぶつかってすいませんでした。怪我してませんか?」

「俺は何ともない。そっちは?」

「私はどうでもいいんです。とにかくそちらに怪我がないようで何よりです。急いでますのでこれで失礼します」

 そう言い置いて立ち去ろうとした海堂は、ふと立ち止まって片岡の方を見る。一つ訂正せねばならないことがあった。

「堅志の弟のとこの、じゃないです。私達には北雷高校という校名がある」

 きっぱりと言われた片岡は海堂の気分を害したのかと思い、素直に謝った。

「忘れてた。悪かったな」

「でもここで覚える必要はありません」

 整合性のない言動に片岡は眉をひそめる。だが海堂が片岡に向けた目の色を見て思わず背が伸びた。三白眼の中には灼熱の炎が燃え上がっていた。

「緋欧の連勝記録を破る学校の名前です。一生忘れられない名前になること、間違いなしですよ」

 それだけ言い残した海堂は、黒いジャージの裾を翻して階段へと消えていく。それを見送り、片岡は無表情で背を向けた。


 階段を一気に駆け上がった海堂は、二階で記録を取っていた瑞貴と水沼の隣に座る。長谷川はどこかに行っているのか荷物だけが残っていた。それを横目に瑞貴に問いかける。

「どうですか?」

「中井田の方が先に一セット取ってる。流れも中井田に寄ってるし、この分だと多分、次の相手は中井田で決まりだな」

 瑞貴が記録を取っていた紙を見せられ、海堂は思わずうなる。

「文字がきれいですね」

「そう?」

「私の走り書きみたいな文字よりずっときれいですよ」

 事前に海堂がパソコンでフォーマットを作ってプリントアウトした指定の紙に、試合の経過や得点した選手の背番号、状況が几帳面な文字で書かれている。指示通りの完璧な書き方に瑞貴と水沼に頼んで正解だったと思いながら紙の内容を確認した。

「中井田は五番を中心に攻撃を組み立ててますね。第一セットの得点の六割を出してる」

「五番が上手くてブロックをよくかわす。セッターの地力も相当あると思っていい。あと五番を止めても三番と四番の長いクロスがガンガン来るから、単独のみの警戒は悪手!」

「ありがとうございます」

「あのボールの集中具合から見るに五番がエースで間違いないね」

 水沼のコメントにもうなずきつつ、海堂の頭がクルクルと回る。しばらくコートを見つめていると中井田のセッターがサーブを打った。そして何かに気がついたように水沼を見る。

「水沼、向こうの守備は?」

「ブロックときれいに連携してハマってる。ブロッカーの絞ったコースには大体誰かがちゃんといるぜ。あと基本的にツーは使ってない。切り札かもしれないから気をつけろ」

「ありがとう」

「これが俺の仕事だから好きに使ってよ」

 そこで海堂はスマートフォンを取り出して神嶋に電話をかける。神嶋のスマートフォンでスピーカーフォンにしてもらい、それで下にいるメンバーに情報を共有することが目的だ。

「今のところは中井田が優勢。技術と力のあるスパイカーが一人と、さらに足の長いクロスを打てるのが二人。守備はブロックと連携してきれいにハマります。コースを絞って相手に打たせ、その先で誰かが待ち構えている形です。誘いこまれたら一発で封じ込められます。セッターはツーは使わないそうですが、今さっきのサーブでセッターが左利きだと分かりました。万一ツーが来たら厄介なのでよく警戒する必要があります」

 淡々と報告すると、スマートフォンの向こうから設楽の声が聞こえた。

「了解。こっちは把握した。瑞貴と潔と竜也に代わってくれ」

(今は長谷川いないんですけどね……)

 そう思いながらも、海堂はスマートフォンを二人に差し出す。スピーカーフォンに切り替えると

「三人ともお疲れさん! 中井田の試合が終わったら戻って来てくれ!」

 と指示が飛ぶ。二人が威勢良く返事をしたのを聞いて、海堂はスマートフォンを自分の耳元に持って行った。

「私は戻った方がいいですか?」

「戻らなくていい。瑞貴と潔と竜也と同じタイミングで帰って来い。上から見て、少しでも情報掻き集めろ。さすがのお前も情報が無いんじゃ、弾の入ってない銃と同じだからな」

「分かりました。切ります」

 通話を切った海堂は手近な席に腰を下ろす。眼下に広がる計四面のコートでは男子と女子の試合が同時進行で行われていた。今まで見たことの無かったユニフォームやジャージが行き来し、あちこちには各校の横断幕がかかっている。

(やっと県大会まで来た……)

 海堂は左手を握りしめながらそう思った。入学してから実に七ヶ月が経過し、季節が移ろうことも忘れて部活に没頭していたことを肌で感じる。過去にとらわれ、未練を引きずりながらここまでやってきたのだと思うとさすがに感慨深い。

 過去にとらわれて未練を引きずっているのは入部前と変わらないが、いくつか違うこともあった。今の海堂には役目と他者からの絶大な信頼がある。些細なことに思えても、それがあるのと無いのでは気の持ちようが全く違った。ふと高い天井を見上げてそっと息を吐く。

(北雷に入って正解だったよ、兄さん)

 北雷を勧めたのは何を隠そう吟介であった。自宅から程良い距離で校風も合っているだろうから、という理由で勧められたのである。当時は考えるのが億劫で北雷にしたのだが、ここ以上に自分を救ってくれる場所はなかっただろう。

「海堂?! 何で上にいんの?!」

 戻ってきた長谷川の裏返った声に海堂は振り向く。

「自分の目でも見たかったから。あと紙の方は確認した。丁寧に書いてくれてるからすごく見やすい。ありがとう」

「役に立ててるなら良かった」

 海堂が記録係に選んだメンバーは瑞貴、水沼、長谷川の三名だ。海堂の意図を理解し確実に丁寧な仕事ができることを期待しての人選だったが、期待以上の働きであった。

「試合が終わったら下に戻れってコーチが言ってた」

「サンキュー、ヌマヌマ」

「ヌマヌマって呼ぶな!」

 いつものやり取りを聞いて瑞貴と海堂は顔を見合わせて苦笑いした。

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