15.生の旋律2
何度かほのかを家まで送ったことがあった。部活帰りに少しだけ遊ぶつもりが長く遊びすぎて、さすがに一人で帰すのが憚られることが度々あったからだ。ほのかはいいよ別にと嫌がったが、僕は無理やりについていった。まだ僕が彼女に対しての感情にそこまで気づいていなかった頃のことだ。
冷たく静かな夜の住宅街の一角に彼女の家はあり、僕は門前で立ち止まった。その日は、月が出ていたかもしれない。満月に雲がかかり、おぼろげな光を地へと降らしていた。
「それじゃあ、また明日」
「あぁ、また明日な」
僕はそう言い、彼女は門を開けて家の玄関に手をかけた。彼女がもう一度だけこちらを振り返り、小さく手を振った。やけにそれが寂しげで、僕は何だか踵を返せずに呆然と手を振り続けた。
「どうしたの?」
さすがに怪訝に思ったのだろう、ほのかが眉を潜めて首を傾げた。
僕は慌てて首を横に振り、それじゃあな、と言って駅への道を戻り始めた。よくわからない不安が胸に残っていたが、気のせいだと言い聞かせてゆっくりと道を歩いた。
だが数十メートル程歩いて、その不安が間違いでは無かったことに僕は気がついた。
ほのかの家から、凄まじい怒声が聞こえるのだ。その中にはほのかの悲痛な声も混じっている。ほのかは一人っ子だから、恐らく親とケンカしているのだろう。
僕は歩き続けることも出来なくなり、立ち尽くし、ゆっくりと振り向いた。ありふれた住宅街の静けさの中で、その叫び声はやけに歪に響いていた。自然と耳が音に集中し始め、やがてその声がどんな言葉を放っているのかを知った。
僕はそれを聞いて、全身が打ち震えるのを知覚した。掌をぎゅっと握り締め、唇を強く噛んだ。悔しさにも似た悲しみに唆され、彼女の家を睨み付けるように見つめた。
それはいつも、僕が親にかけられているような言葉ばかりだった。それに対してほのかは懸命に反抗し、対峙し、叫んでいるのだ。
その時ふと、あぁそうか、と僕は思った。怒りや憎しみを凌駕する理解が僕を包み込んだ。どうして彼女が普段、誰かに対し距離を置こうとしているように見えるのかが分かった。
寂しいからだ。そこにいることを許されないからだ。
消極的で自己の存在を隅に隠し、必要以上に他者と関わらない。そんなの、そこにいないのと、たいして変わりはしない。そこにいないのなら、それは生きていると言えるのだろうか……。
そういった迷いや絶望を、抱えているからだ。僕と、同じように――。
僕は、ほのかのことが好きだ。それは友達としてではなく、それを超えた先のカタチだった。
彼女なら僕のことをきっと分かってくれるだろうし、僕は彼女のことを誰よりも理解していたいと思っていた。理解なんて、仲が良くなるほど遠くなってしまうことのようにも思うけれど、それでも僕は彼女の様々なことを受け止めたいと思っていた。
同じ境遇で育ち同じ言葉を投げかけられ、同じ迷いを持って生きてきた僕らなら、お互いを普通よりも多く理解し合えるかもしれない。
その時僕は、確信にも似た強さで、そう思ったんだ。
でもそれも、もはや意味の無いことになってしまった。彼女が諦め、僕が諦めてしまった以上、未来は既に確定されてしまっていたのだ。むしろ、これまでよく持った方だとも思う。余命二年と言われていたほのかの命がこれまで続いたことには、ある種の奇跡のようなものを感じなくもない。
でも、現実は現実だ。
寺内ほのかは今日、死んだんだ。
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