11.ユタカの旋律6
自転車だと三十分ほどで着く道を二時間ほどかけて、僕は大学まで歩いた。建物の看板や工事中の標識、いつも置いてある自転車などをゆっくりと眺めつつ歩き、長い坂を上って大学へと着いた。
木々が両脇にひしめき合っている、東京とは思えない緑のある校舎が眼前に映り、僕は足を止めた。坂の上にあることを覗けば、立地条件はとてもいい。緑は豊かだし、図書館などの設備もしっかりと整っている。僕はこの大学のことが、嫌いではない。
再び足を前へと進め校門を通り過ぎようとすると、友人とばったり出くわした。
僕は手をあげ友人に挨拶をし、友人と肩を並べて歩き出した。友人はこれから授業があり、僕には用事があった。その場所が同じ校舎内にある為、僕らは道を共にした。
雪が若干止み始めた空には小さな穴がいくつか開いており、光の柱が地へと降り注いでいた。その光が木々の生い茂る隙間から木漏れ日となって差し込み、冬の冷たい空気を微かに温め、震わしていた。ぴんと張り詰めた世界に薄く降り積もった雪を溶かすほどの力はないけれど、その温かさは寒さで痺れかけた僕の指先に確かに届いている。分厚いコートから伝わる温かさとは違う何かが、小さく僕の心を震わす。
不意に一陣の風がふっと吹いて、陽だまりが左右に揺れた。それには見覚えがあり、緑の葉を通った光が影を落とし直す様に目を奪われそうになった僕は、その瞬間に自分よりも別のところへと意識が離れていくのを感じていた。
自分が自分に同化できずに、ふらっとどこかへと消えてしまう。ここ数年の間感じるそれに対して、僕はいつの間にか慣れてしまっていた。
「お前、何も荷物持ってねえのな。大学行くってのに」
友人の声で我に返った僕は、そんなもんだろ、と軽い口調で切り替えした。
「お前だって筆記用具とルーズリーフだけしか持ってないじゃん」
「持ってるだけマシだろうよ、お前よりはな」
「五十歩百歩だろ」
「一緒にすんじゃねえ」
「大学二年生のする会話レベルじゃないな」
僕らは笑いあって、陽だまりの道を通り過ぎ、大きな校舎の前まで来た。他愛もない日常だ。目の前を通り過ぎる女子生徒の群れや掲示板を真剣に見つめる生徒、枯れ葉が地面に擦られながら風でアスファルトを滑っていく様だって全てが日常性を含んでいる。
その日常の中に、僕は立っている。でも僕がここにいることは、やけに不自然なことのように思える。
「なあ」
僕は友人に呼びかけた。
「お前、何で大学行ってるの?」
「はあ? 突然だな。びっくりすぎて思考が停止してる。少し待て」
「あぁ」
僕はぼんやりと校舎を眺め続けた。古くからある校舎には汚れが幾重にも重なっていて、綺麗な部分はあまり見当たらない。それでもここは僕の記憶にきっと残るはずだ。あるいはもっと綺麗だった頃の校舎が誰かの記憶にあるかもしれない。その人は今、夢を叶えたのだろうか。
顎に手を当て考え込んでいる友人に目を向けると、彼はこちらの視線に気づき、にやりと唇の端を釣り上げて見せた。
「わかんね」
「わかんねえのかよ」
「いや、まあ、皆が大学行くからってのもあるし、高校卒業してそのまま就職ってのに何だかつまらなさを感じたってのもあるし、四年間遊べるんかなと思ったってのもあるし、興味のあることを勉強してそれで就職出来たらなと思ったからってのがあるんだろうよ」
「うん」
「あの頃はよくわからなかったけど、今は少し未来が見えてきてる。このまま大学院に行くのもいいかなとも思うし、今やってるバイトと同じで、人と接する仕事に着くのもありかなとも思ってる。医者になるかはわからねえけどよ、せっかく医学部に入ったんだから、それで行くのもありかなとも思う。無限にあった道がこの大学三年間で狭まったんだろうな、きっと」
「そうか」
僕が頷くと、彼は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。普段真面目な話をすることなどあまりないし、将来のことについてなんてなおさら話さないからだろう。
ちらりと時計を見ると、授業まで後数分だった。おい、と僕が声をかけると、分かっていると彼は答えた。
「でもさ、俺だけってのは癪だよな。お前はどうなんだよ」
「ん……どうって言われても……」
「何で大学来てんの?」
彼の言葉を聞き、僕はここ数年間のことを考えた。そしてその中にその理由を見出そうとした。
けれど、何かしらが浮かび上がってはくるものの、それはすぐさま深い意識の底に沈みこんでいき、二度と上がってくることは無かった。僕の中には決定的な理由など無く、様々な理由が嘘と真実を混ぜ合わせて形作られているように思えた。
僕はぼんやりと数秒宙の一点を見つめた後、ゆっくりと首を横に振った。
「わかんね。お前以上に、大学行く理由はわかんね」
「だめじゃん」
「五十歩百歩だろ」
「一緒にすんじゃねえっての」
また笑いあって、授業を告げる鐘が鳴り、僕らはお互いに手をあげた。
「んじゃ、俺は授業いってくるわ」
「あぁ」
「またな」
「……あぁ」
僕は二つある校舎口の内、奥側にある方へと向かおうとした。しかし不意に友人からまた声をかけられ、振り向いた。
「なあ、ユタカ」
「何?」
「お前……大学辞めるのか?」
「……」
「あいつと同じになっちまうのか、結局?」
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