アバターバード

桂詩乃

第1話

「スタート。登録:操縦席パラサイター アメ・ベンガル。エンド」

「スタート。登録:副操縦席ミストレイター スギ・ボブテール。エンド」

『スタートアップ完了。システムオールグリーン。樹精海特務機関ソード・ブリアー、ソード3所属アバターバード「パノラマ」、フライト準備完了』


 晴れた空に、小さな島がポツンと浮いている。空は青々と透き通り、白い雲が薄く流れる日だ。しかし、その島の下は大地の黄土色ではなく、一面、緑に覆われている。新緑から深緑まで、重なりあって青々と茂るその緑を、人々は「樹精海(ドライアド・シー)」と呼んでいた。


 この浮遊島は一般的に「クリスタル・アイレル」と呼ばれ、全世界に12,000以上はあると言われている。

 そして、この「クリスタル・アイレル」の正式名称は「2020」。比較的最初期に製造され、その製造番号がそのまま正式名称になっている。

 ここに住まう人は、自分たちの住処となるこの島を、ただ単に「アイレル」と呼称していた。


「了解。操縦席アメ・ベンガル及び…」

「副操縦席スギ・ボブテール」

『発進します』


 唱和した号令と共に、その浮遊島から数機のヘリのようなものが飛び出していく。「アバターバード」と名付けられたそれらは、奇妙な鳥のような形をしていた。


 始祖鳥のように両翼の先に鉤爪のある機構をしており、大きさは約全長18m、二人乗り。内部は上下段に分かれており、上部に操縦者である「パラサイター」が、下部に副操縦者であると同時に、動力源の役割を果たす「ミストレイター」が搭乗する。


 そしてここに、一機のアバターバードが空中に向けて発進した。それは島から樹精海に向かって飛び立ち、下降していく。


 一定の高度に達したところで、上部の操縦席に座るアメが、前に倒していた右手用の片手操縦桿を定位置に戻した。

 アバターバードは速度を緩め、機体は水平の保ちながら、ゆっくりと緑の海の上を横に滑っていく。


「こちらコールナンバー・ソード303、アバターバード『パノラマ』。現在AM9:30。ただいまの速度1,800、気圧の抵抗0.6。高度6,000を航行。本日の哨戒区域は…」


 バイク式のシートにグラスコックピットが採用された操縦席で、アメが左手で目の前の操作パネルを操作し、運転を自動操縦モードに変更する。そして、通信用の無線マイクをオンにして報告をしていたが、ふと、顔を上げた。


 操作パネルの右上部には、アバターバードの外部に取り付けられたメインカメラの映像が流れる10インチサイズのモニターがあり、アバターバード前面を守る強化ガラスの窓、「ウィンドウシールド」から飛び込んでくる光が反射している。


 反射光に映し出されたのは、薄い紫色の短髪に金色の目をした、浅黒い肌の大柄の青年であった。


 きついツリ目に三白眼が、彼のトレードマークではあるが、それがコンプレックスなのか、前髪を長く伸ばして普段は目元を隠している。しかし、こうしてアバターバードを操縦する際は髪を上げ、髪が落ちてこないようにワックスで固めていた。


 アメは操縦席から少し身体を横に傾け、下を覗き込む。

 アバターバードの下部は通常のヘリと異なり、下部の操縦席の足下が「シーサイト」と呼ばれるウィンドウシールドと同じ強化ガラスの窓になっていた。汚れなく磨かれた窓の先から、緑の海を直接目視することが出来る。


「スギさーん、今日の持ち場ハ?」

「アイレルの3時方向だよー」


 アメの視線の先にいるスギと呼ばれた青年が、間延びした声で応えた。優男風の色白な青年で、黒い長髪に紫色の目をしており、アメより10cmほど背が低い。髪を切るのが面倒という理由で、髪を伸ばしっぱなしにしているが、前乗りの姿勢を取ると、その髪が邪魔なのか、これまた紐で適当に結んでいた。


 スギが着席するアバターバード下部の副操縦席は、上部の操縦席とほぼ同じ機構が備えられている。


 グラスコックピットにバイク型のシート、転落防止用のベルトを腰と太ももを押さえ、上から伸びているジェル状のN&B(ネック&バックボーン)シールドが首と背骨を守っている。N&Bシールドの内部には無数の黒く細い繊維が縦横無尽に走っていて、いくつかの鍼が、搭乗者の首の皮を軽く突き破って刺さっていた。その鍼には搭乗者の神経に作用し、肉体を強化する効果があるのだ。


 そして、座席で唯一、差があるとすれば、スギの首を覆うN&Bシールドから伸びた鍼が、気泡を吐きながら盛んに動いていることぐらいか。


 搭乗者である二人とも、伸縮素材で作られたアバターバード専用のスーツに身を包み、胸元には俗に「ドックタグ」と呼ばれるIDタグを下げていた。


「あー、本日の哨戒区域、アイレルの3時方向。予想帰還時刻11:00、オーバー」

『こちらソード3管制塔。了解。アウト』


 首を伸ばして下を覗き込んでいたアメが、首を元の位置に戻して報告を終え、マイクをミュートにする。そして、大きく欠伸をし、だらしなく身体と両手を座席に投げ出した。


 そんなアメの様子を気にすることなく、スギは粛々と手を動かしながら、自分の役割をこなしている。副操縦席に座る「ミストレイター」の役割、すなわち、アバターバードの動力部の確認だ。


「エネルギー要求量は、っと・・・」


 スギは、機体のエネルギー予測要求量に対して、エネルギー供給量が少しばかり足りていないのを確認すると、座席の側面にあるスイッチを何度かプッシュした。


 それに応じてシート内部に備え付けられた、透明で色のない水晶を硬貨サイズに削った円盤がいくつかが機体の炉心に投入されていく。


 それは「クリスタル・ペンタクル」と呼ばれるエネルギー結晶だった。円盤に彫られた模様によって、発露する効果が異なっており、大きさも様々。


 この世界では発電機や、蓄電池など、動力源として、多種多様な機器に使用されている。もちろん、アバターバードにも補助エネルギー装置として組み込まれていた。


 「クリスタル・ペンタクル」は機体の炉心に到達すると、順調にエネルギーの需要を満たしていく。ようは火に薪をくべる要領だ。


「ふぁ~あ。今日も今日とて、哨戒任務デスが、意味のあるものになるとイイデスネェ」

「ん?どうしたの、いつもならすぐ、『ツマンナイデスネェ』って言いだすのに」


 操縦席でだれ腐っているアメに呆れながらスギが応えた。


 今日の彼らの仕事は、簡単にいうと樹精海のパトロールである。

「なぜパトロールが必要か」と言えば、アイレルの下部にある樹精海は魔の領域だからだ。


「イヤマァ…、その、チョッとイロイロありマシテ…」

「はぁ?ちょっと、アメはまた何をやらかしたの?」


 何か都合の悪いことを誤魔化すイタズラ坊主のように、口元のホクロを親指でぐりぐりと揉む仕草をするアメを訝しんで、スギは上を振り向き気安げに問う。


「別に…一度くらいは『ドライアド』とやりあわないと、きゅーりょードロボーかなと…」

「あはは、軍人警官消防士はそれくらいが一番平和でいいんだよ。

 まぁ、俺らが単独航行で哨戒するようになってから、一回もドライアドに遭遇してないから、刺激が足りないのは分かるけどさ。

 てーか、アメ、サボんなよー」


 仕事中にあるまじきやる気のなさで、愚図るアメに文句を言っていたスギは、アメが座席にうつ伏せになりながら目を閉じたのを良いことに、正面を向いて操縦パネルを弄り出した。


 先にも述べたが、副操縦席には、操縦席と同等の機能が備えられている。基本的にアバターバードの操縦は上部席のパラサイターが握っているが、非常時に備え、ミストレイターが操縦権を一時的に取得できる方法があるのだ。


 副操縦席のモニターに「grant succeeded(操縦可能)」とメッセージが表示されるやいなや、スギは自動運転モードを素早く解除し、操縦桿を握りしめる。


 モード変更の通知音に気づいて顔を上げたアメが動くより先に、突然アバターバードが速度を上げ、空中で鮮やか、かつ、アクロバティックに一回転した。

 バウンドして浮き上がった身体の中で胃がシェイクされ、咄嗟にアメは口を抑える。


「お、おぇぇ、スギィ!あなた何しやがるんデスカ?!」


 慌てて身体を起こし、パネルを押して操縦権を取り戻し、自動運転モードに設定し直すと、今度は操縦桿をしっかり右手で握りしめながらアメが叫んだ。


「ざまみろ!サボってるからだよ」

「だーかぁらって、操縦奪ってまで悪戯することないじゃないデスカ!酷いデスヨ!」


 げらげらと下品な顔でしてやったりと笑うスギに対して、怒りで口の端を震わせたアメは、首に掛ったIDタグを空いた左手で手繰り寄せる。


 アメはIDタグだけでなく、小さな硬貨サイズの円盤も一緒に着けていた。それは、透明で色のない水晶を円盤状に切り出した「クリスタル・ペンタクル」だ。

 彼自身が紋様を彫ったその円盤が、彼の首元で虹色の偏光が淡く輝き、ちかちかと瞬いている。


 アメは手触りだけで円盤を掴み上げると、見せびらかすようにして下に叫んだ。


「コノー!今度あんなことしたら、こいつ割ってぶつけマスヨ!」

「あはは、やってみろ!そーんなことしたらシーサイトまで割れてアメだって酷い目見るからね!」


 操縦席からの暴言に、副操縦席はアッカンベーしながら煽り返す。

 ぐぬぬと臍を噛みながら、振り上げた手を降ろさず、アメは懲りずに悪態をついた。


「じゃあアシエラさんに言いつけマス」

「おい!やめろ!なに母さんに告げ口しようとしてんだ!せめて班長にしろ!」

「その場合サボってたボクも叱られるからヤデス」

「いきなり冷静になるなよ…てか、一応自覚はあったんか」

「じゃあルブ君に叱ってらいマショウ」

「だ~から、な~んで、君が俺の弟に言いつけにいくのかな~」


 スギは頭をガシガシと掻きながらぼやいた後、


「ってーか、ペンタクルとかそう簡単に割れるもんじゃないでしょ」


 そう言って、おちょくる様子でペンタクルを指差すので、アメは一度ペンタクルを確認するように眺めてから、手を離す。


「出来マスヨ。ちょっとコツあって、こう、端の方をちょちょっと噛んでデスネェ…」

「げぇ、やめろよやめろ。つかそんな危ない物もってアバターバードに搭乗しないでくれます?良い子だからちゃんとお家に置いてきなさい」

「別に危なくナイデスー」


 スギの言うとおり、エネルギー源となる「クリスタル・ペンタクル」は基本的に簡単には割れない。ペンタクルを割れることによってエネルギーが発生し、爆発的な動力を得ることができるが、爆発物と同じで、不用意にエネルギー暴走など起こそうものなら大惨事だからだ。


 ただ紋様を彫った本人なら、クリスタルの特性を見て、力を加え、割ることも可能だが…よほどの無鉄砲でなければそんなことをしないだろう。


「はいはい。

 まぁ、仕事がつまらんことこの上ない気持ちは分かるけどさ。

 パトロールって言っても、基本的にレーダー確認しながら一定区間を飛ぶだけだし。

 それでもちょっとは真面目に…」


 そう小言をスギが言いかけた時、するどい警戒音が鳴った。


 樹精海をモニタリングしていたレーダーに反応があったのだ。アメは素早く機首を反転させようと、目の前の操作パネルに集中した。


「アメ!6時の方向!」

「スギ!報告任せます!」

「オーライ、任せられた!」


 同じく、すぐさま仕事に専念したスギは、レーダーの反応を確認すると、


「こちらソード303・パノラマより、ソード301・インタールード。アイレルより3時方向、ドライアド動体反応あり。応答願う」


 通信回線を開いて、すぐさま上司に指示を仰いだ。その間にパノラマはゆっくりと旋回し終え、目的地への航路を計算し始めている。


『インタールードよりパノラマ、ただちにドライアド・フライ観測ポイントへ急行せよ。ドライアド動体を確認次第報告せよ。オーバー』


「パノラマ了解。アウト」


『ソード3、全機、観測ポイントに移動開始。

 ソード301・インタールードよりソード3管制塔。ドライアド動体発見。現場に急行する。オーバー』


 仲間達の無線が飛び交い、俄に騒々しくなった機体内で、


「よし、いきましょう、ミストレイター。エネルギー・チャージ。100%!」

「了解」


 モニターで航路計算の完了を確認したアメがそう言うと、応えたスギの首元を支えて覆うN&Bシールドが、生き物のように蠕動を始める。シールドから張り出した鍼は、スギの首から血管に差し込まれると、複数の管が脈動して、ミストレイターから命を吸い出していく。

 そうして「アバターバード」と直結し、エネルギーを「アバターバード」に注ぎこむことこそ、ミストレイターの役割。クリスタル・ペンタクルのエネルギーだけでは作動しない、アバターバード特有の機能を働かせるために、必要不可欠な存在である。


 しかし、自身のエネルギーをアバターバードに注ぐ行為は、身体への負担が大きい。操縦者がエネルギーチャージを行いながら航行した場合、飛行途中で意識を失う事例が多発したため、今はこうして役割を分担するのが主流だ。


「パノラマ、急加速準備完了。チャージ確認、エネルギー量よし。カウントダウン開始。3、2、1、スタート」


 加速して、重力を振り切るロケットのように、空中を奔る。風を切る轟音が、唸り声をあげ、二人押しつぶそうと重圧が生まれた。神経を限界まで拡張し、モニターに映るメインカメラの映像、そしてウィンドシールドとシーサイトから広がる景色を交互に二人は睨みつける。

 そして、経路図に従うままたどり着いたのは、白昼の悪夢だった。


「チョット、信じられますかスギさん。アレ、半径1キロメートルはありますヨ」

「ちょっと信じられませんねアメさん。いや、実際目にしてはいるんだけど」

「今まで見てきた中でも最大級デショ。ピザで例えるなら今まで見てきたのがスモールサイズで、これはエクストララージサイズ」

「あはは、まさにパーティーにぴったりのサイズ感。ここに二人しかいなくて残念だな。

 って、何を言わせるんだよ」

「自分で言ったんデショ」


 軽口とは裏腹に、焦燥感に苛まれ、じわりと額に汗を浮かべた二人が見下ろすモノ。

 それは、形を変えながら大きくうねって揺らめくアメーバ―に似た形状の緑だった。円形から楕円に、歪に蠢きながら横に拡がったり、縦に伸びたり…その緑の揺らめく膜から、先が4本、5本、6本などに複数に枝分かれした、無数の触手が伸びている。触手の先から、本体にいたるまで、夥しいほどに開いた穴は黒く、ぴくぴくと開閉して、まるで池の中から餌を求めて群がる鯉の大群に似ていた。あれが「樹精(ドライアド)」と呼ばれるもの。彼らソード・ブリアー、そして「アイレル」にとって最大の害獣である。


「あれがアイレルにひっついたら…どうなるカ」

「ぞっとしないなぁ…」


 ドライアドは「アイレル」を襲撃し、島を、人を飲み込む。生態は未だに不明。それ故、樹海からせり上がってくる死の使者として、人々に恐れられていた。


「それにしても、やっぱりちょっとデカ物すぎません?何かの見間違いとかだと嬉しいンデスケド!」

「残念!それはないみたいだ!自分の目を信じろ!」

「デスよね!回線オープン!班長に報告を!」

「こちらソード303・パノラマよりソード301・インタールード。ドライアド・フライ観測しました。ポイント・128.256、規模・半径1キロ以上あります!」

『インタールードよりパノラマ。ポイント・規模、了解。奴らが高度3,000を超えるまでは班の到着を待て、動向を注視しろ。480以内に急行する。オーバー』

「高度3,000を超えたら?」

『駆除を開始、オーバー』

「パノラマ了解」


 通信を終了し、スギは座席から下に目を凝らす。裸眼だけでなく、カメラを使って拡大しながら観察すると、それは、深緑から玉虫色まで、様々な色彩に移り変わりながら、上へ、上へと昇り続けていた。

 アメは忙しくパネルを操作しつづける。武装を通常の哨戒から攻撃に切り替え終えると、下に呼びかけた。


「…『駆除を開始』と、班長は言ってますけど、ドウシマス?」

「…あのドライアド、でかいくせに上昇速度が速いぞ」

「ンェー、…幅が大きいですが、層が薄いタイプなのかもしれませんネ」

「ああ、そうかもな」


 ドライアドの大きさは個体により差があるが、横幅が大きければ大きいほど、層と呼ばれる縦幅も厚くなる傾向がある。しかし、そういう個体は概して動きや上昇速度が鈍いはずなのだが…


「現在、ドライアドの高度ハ?」

「1600、1700」


 静かに緊張を滲ませ、計器のカウントアップを読み上げるスギの声を聞きながら生唾を飲み込み、アメは操縦桿を何度も握り直した。掌に滲んだ汗が不快に湿る。


「1800…1900」

「ンェー、ウソデショ、吐きそうデス」

「絶対止めろよ。俺が下にいるんだぞ。ゲロは飲み込め」


 なおも、予想より速く上昇する不気味な緑のぶよぶよに対して、極限に張りつめた吐息を緩めようと、アメが冗談まじりの弱音を吐けば、神経質そうにスギが眦を尖らせた。下を見れば、深酒で悪酔いした日に見る夢のような、サイケデリックな色合いが近づいてくる。


「くそ、3,000を超えるぞアメ!」

「こちらパノラマよりインタールード!ドライアド、高度3,000オーバー!駆除開始、迎撃シマス!オーバー!」


 焦りを抑え、忌々しげに計器の数字を読み上げたスギの言葉を聞き終えてすぐ、アメは班長に報告した。


『インタールードよりパノラマ、300以内に急行する。無理はするな。オーバー』

「もちろんデス」


 指示に応えて、アメは自動操縦の停止飛行モードを解除する。そして機体を軽く浮き上がらせ、アバターバードの変形機構を作動させた。

 滑空するために広げられた翼は閉じ、穿たれる弾丸の如く円錐形となったアバターバードが機首を下げる。


(現在こちらの高度は5,500…)


 素早く手を動かし、ボタンを操作しながら、淀みなく目を動かし計器の数値を読み取った。下の海から生える悪意の勢いは衰えることなく、猛烈なスピードで上昇を続けている。


「スギ、エネルギーチャージ!15%!」

「わかった!」


 パラサイターが要求を通せば、即座にミストレイターは応えた。操縦者はしっかりとチャージ量を確認し、操縦桿をしっかりと握りしめると、


「急下降する。カウント3、2、1、GO」


 アバターバードは、まるでライフルから飛び出す弾丸の如く下降を開始する。薄氷の張った水面に飛び込むように、空気を割って下へと突き進めば、上から眺めるだけだった気味の悪い集合体が、間近に広がってきた。

 それらは、海に沈んだ無数の水死体が膨れ上がって、命もないのに助けを求めるふりをしているようだった。同情を引くように、憐れみを誘うように、わざとらしく振舞っている。

 笑顔で向こう岸から手を振っている者が、後ろ手にナイフを握りしめながら、握手しようと呼びかけてくるような、とにかく、薄ら寒い意志を感じさせるのだ。


「スギ、エネルギー再チャージ、20%」

「ああ」


 目下に迫りつつある悪夢を睨みつけ、操縦席から頼めば直ぐに下方から回答が返った。速度を落とし、衝突する前に声が奔る。


「ランブル・パノラマ!」


 押されるスイッチと声紋に反応して、一気に開いた両翼から、透明な円盤が複数出現した。上から注ぐ太陽光を浴び、七色に輝くそれは、光を収束させたかと思うと瞬く間に放出する。

 鉄をも溶かす光の熱線が、緑の触角達に突き刺さり、表面を焼いた。

 彼らは悲鳴を上げる。あるいは怒号だったかもしれない。アバターバードのマイクが音量を下げてくれなければ、耳を割るような不協和音が搭乗者達に届いたことだろう。

 絶叫と共に一斉の緑が、その顔を、敵対者に向けた。総毛立つほどの意識が上昇を止め、アバターバードを捕らえようと、その腕を伸ばしてくる。


 しかし、アバターバードに届いたその手は、空を切った。ドライアド達が掴まえようとした影は、パノラマよって作られた幻影、蜃気楼のようなものだったのだ。


 狐に摘ままれた、という心境をドライアド達が持ちうるのかは、わからない。戸惑ったように触角をうろうろさせて、敵を探す彼らを尻目にし、アバターバードは既にその場を離脱し、メインカメラと裸眼を総動員して、なにかを探していた。


「デカ過ぎて『種子』が見つけ辛いデスネ!」

「全くだ!何食ったらこんなに膨れ上がるんだろうな!」


 ドライアドの内部には、白い格子状の球体の中に、赤紫色の液体が満たされた「種子」がある。それはまさにドライアドの心臓部となっており、破壊すれば、ドライアドは例外なく腐り落ちる。

 それ故、交戦時の基本戦術はアバターバードの武装で表面を削り取り、種子を探すことになるのだ。


「スギ、応援がくるまで表面を焼きますヨ!20%!」

「おうさ!…四時の方向!」


 声に反応してアメが視線をやれば、横から伸びた多くの触手達がまとまって絡み合う姿が映る。それらは一枚の幕のように、横縦に伸びると、アバターバードに向かって覆い被さるように倒れてきた。津波が海岸に打ち寄せる様に似た攻撃を理解して、アメはチャージしたエネルギーを、迎撃ではなく推進力に変更。

 アバターバードは高度を下げながら直進、触手に絡まれないように振り切ろうとする。


「しつこい、デスネ!

 パノラマ・スターウェーブ!」


 なおも後ろから追い縋るドライアドの手先を、アバターバードは側面と上下に展開した無数の円盤から放射した光線で、弾幕を張って叩き落とし、触手の包囲から逃げ切って上昇を開始した。

 それを、緑と焼け焦げた黒のヘドロのようなものが追う。


「アメ!あそこだ!」


 スギが声を上げて、カメラを操作する。アメの見るモニターにポインターが表示された。カメラで拡大すれば、そこには確かに、グロテスクな赤紫色が見える。


「いええっさ行きますヨ!スギ、チャージ80%!」

「ああ!」


 ごぼごぼと音を立ててミストレイターのネックシールドが脈を打った。パラサイターは計器の値を確認し、スイッチを切り替え、照準を絞る。


「パノラマ・コントラクション!!」


 撃鉄の叫びに従い、出現した虹色の円盤群が輝く。緑色の伸縮を烈しく繰り返すドライアドの種子に向かって、光が照射された。光線は一直線に種子を貫き、濁った中身を焼き切って焦がす。光線に触れて燃え上がった種子から、異様な色をした煙が立ち上った。

 辺りに響き渡る奇声が、敵に充分なダメージを与えたことをアバターバードに教えてくれる。


「いよっし!やったか?」

 スギは叫んで、握りこぶしを軽く振り、アメはほっとしたように深々と息を吐きだした。

「状況は…」

 仕切り直すように、アメは敵の消滅を見届けようとカメラを操作しようと手を動かし、計器を確認して、ふと違和感に気付く。


「後ろに!」

「うわっ!」


 反射的に上昇しようと操縦桿を操作するが、尾翼を掴まれ、大きく機体が揺れた。驚いたスギが声を上げる。吊られるように持ち上げられ、アバターバードの後部が破れるような音を立てた。


「なんで!種子は破壊しただろ!」

「スギ、チャージ50%!」


 呻くように抗議の声を上げるミストレイターだが、上段からパラサイターが指示をとばせばすぐに応える。水濡れた啜る音が操縦席を満たす間にも、アメは操縦桿とエンジンをフル稼働させ、絡みつく触手を振り解こうと足掻いた。


 今度は右翼からガリガリと破砕音がする。引きずられ、右に落ちそうな機体を、咄嗟に平行に戻そうとして右のエンジンを噴射した。

 バランスを保とうとして右翼を持ち上げ、視線をそちらに向けたことで、二人はそれを認識する。

 サイトウィンドウから広がる世界の先に、焼き砕いたはずのドライアドの種子がある。白い骨のような檻に行儀よく収まったそれは、増殖する緑の中で誇らしげに光を反射していた。


「種子が…破壊できてなかった…?」

「…イヤ、違いますヨ!アッチを見てください!」


 前方、ウィンドウシールドの先には、先ほど貫いた種子がある。それは確かに砕かれ、ごぼごぼと中身を撒き散らしながら、崩れていた。当然、その周辺の醜悪な緑も、黒々と色を変えてゆっくり崩壊しつつある。


「種子が二つ…いや、まさか最初から二体いたのか?!」

「おそらくそうでしょうネ。迂闊デシタ」

「なんでだよ!二体がくっついて上がってくるなんて聞いたことないぜ!?」

「そうは言っても現実は変わらないデスヨ!」

「ぴえん!」

「言ってる、場合デスカ!」


 なんとか抜け出そうと藻掻くアバターバードは、蜘蛛の巣にかかった憐れな獲物に似ていた。一つの種子を失い、推進力は減じたものの、いまだ健在のドライアドはじりじりと昇り、二人の乗ったアバターバードに喰らいつこうとしている。


「パノラマ・フレア!」


 光の散弾を四方八方に撒き散らし、なんとか触手の網を喰い破ろうとするも、弾き飛ばした後から先から、ドライアドの腕は伸び、留まることをしらない。


 ついに触手が機体全体に巻き付き、アバターバードの自由を奪った。パラサイターはカメラの映像やウィンドウシールドの外を睨み付け、なんとか脱出出来そうな道を探す。しかし、ズルズルと下降していくドライアドに引き込まれ、軋む音を上げるアバターバードの高度は下がる一方だ。


 圧迫され、もはや悲鳴に近い音を響かせていた操舵室のフレームが、ついに拉(ひしゃ)げる。ついには機体下部、ミストレイターの座席の下方にある、分厚く、耐久性の高いはずのシーサイトが粉々に割れた。大きく虚空に口を開けたフレームにこれ幸いと、大量の鈍色の緑が盛り上がり、せり溢れる。


「うわああああ!」


 足下にそれを目撃したスギが堪え切れずに叫ぶ。歓喜に噎ぶように噴射したドライアドの触手が、アバターバードの内部にへばりつき、下段にいる搭乗者に襲いかかった。


「くそ、この!」


 パイロットスーツごしに絡みつく、ねっとりとした温い緑泥は、ミストレイターの座席まで這い上がる。そしてスギの足や腕、胴体に巻き付きながら、彼の身体の上をびちゃらびちゃらと叩きまわった。

 スギは、彼を下に下に引き摺り下ろそうとする緑の腕に剥がされまいと、自身の腕を振りまわし、喉元にせりあがってくる吐き気と絶望に抵抗する。スギを守る転落防止用のシートベルトがなければ、今にも触手に取りこまれてしまうだろう。


 ずちゅる、と不快な音を鳴らして、スギの目の前に何かが姿を現した。ぐるぐると渦巻いた緑色が形を成して、立体になったそれは、遠くから眺めた悪夢の顔である。不規則に拡がったり縮んだりする、黒く開いた三つの孔だ。

 何度も歪に形を変えて、定まらない液状から不安定な球形になったそれと、目が合う。

 ぱくぱくと不連続に痙攣するそれらは、暗がりの水底から浮き上がり、給餌(きゅうじ)を求める魚のように、なにかを必死に訴えていた。


「え、嘘だろ…父さん?」


 スギはふと、そう呟く。人間には似ても似つかぬそれを見詰めているうちに、何故か、そう思えて…


「…ギ、スギ!しっかりしてください!返答を!」

「ぁ…あぉ、ア、メ?」


 突然、悲鳴も上げず、音も発しなくなったミストレイターに向かって、パラサイターは必死に呼び掛けていた。


(なにか!)


 外と内のドライアドに気を配りながらアバターバードを操作しながらも、アメは必死に考える。触手は全面のウィンドシールドを覆い隠しつつあった。ウィンドシールドから射し込む光は遮られ、細く、搾られていく。


 そして、その光が焦るアメの顔に落ち、頬を滑り落ちたあと、更に落ちて、何かに当たって反射した。ちりっと、痛みを伴う熱に肌を焼かれたのに気がつくと、アメはそれを見る。自身の首に掛けられた、それを。


「スギ!目と耳を塞いデ!」

「はい?!」


 爆発音が機体を充たした。警告の後に訪れたのは、目も眩まんばかりの閃光と破裂。連発された機関銃のように、連続する破壊的なエネルギーが、断続的に熱を噴射しながら弾けた結果、下段から侵入した緑の触手達は、勢いを失ってどろどろと流出していく。


「よっし!無事デスネ、スギ?!」

「うぇっぷ、ごほ…」


 ガッツポーズをきめるアメに対して、スギは咳き込んだ。顔についた触手の破片を手で拭いながら、スギが軽く周りを見渡せば、辺りには黒こげになった触手が散乱している。スギ自身は多少髪が焦げた程度だ。おそらく触手が緩衝材になったのだろう。


 アメが触手の根本に投げつけたペンタクルが、効を奏したのだ。小規模な動力源になるペンタクルを、アメはネックレスから引きちぎって指先でへし折り、触手に叩きつけたので、熱暴走を起こして爆砕したのである。


 触手たちがアバターバードから剥がれ落ちていく。怯んだように黙して、動きが鈍るのが見て取れた。この隙きを逃す手はない。


「すまん、アメ!助かった!」

「ドーモ!ボクもエネルギーチャージに参加しますヨ!なんとかして二人で抜けまショウ」


 アメはそう言って目の前のボタン群から、これまでOFFになっているものを幾つかONに切り替えた。アメの首元を支えながら、冷たく沈黙していたN&Bシールドが餌を求めて蠢き、じくじくとした痛みが彼を襲う。


「パノラマ!離脱シマス!」


 沈みこんでいくドライアドから、アバターバードは命かながら浮き上がった。細い梯子を伝うように、のろのろと昇っていく。が、時々揺れてバランスを崩してしまう。


 そうこうするうちに、ショックから回復しつつあるドライアドの触手たちがまた、そぞろに上に手を伸ばし始めた。


「くっそ!このままじゃ追い付かれちまう」

「機体が大分ヤられたせいで、速度がデマセンネ…」


 2人掛かりでエネルギーチャージしたというのに…そう歯噛みしながら眼下にあるドライアドを睨みつけても、彼らの動きは止まらない。


「スギ、班長に通信は出来マスカ?」

「…いや、さっき中に入られたとき、通信機がやられたみたいだ。うまくつながらない」

「ソウですか…もうソロソロ着いても良さそうなんですけどネ」


 アメはそう低く呻いた。下を覗きこんでは、喉が乾いてひりつく痛みを吐き、噛み締めた歯が軋んだ。そのとき。


「…狙えないか?『種子』は露出してるぞ…」

 一点を睨みつけながら、低く唸るようにスギが口を開いた。地獄に蠢く嚢は、依然として昂然と伸びている。

 すぅ、と息を吸い込んで、一拍。そして自身を落ち着かせるように深く、息を吐き出したアメは、墓原に吹く風の冷たさで、提案を断った。


「機体の損傷が激し過ぎマス。武装も破損してるし、撃っても火力が足りマセン」

「けど!」

「パラサイターとしてのボクの仕事は、ミストレイターを含む搭乗員全員を、アイレルまで無事に連れて帰ることデス」

「…」


 お互いに焦燥に焼かれたまま、僅かに視線を交わし合う。下に見えるスギの顔には、疲労の色が濃い。


「このまま班長の到着を待ちますヨ」

「…マジ?これいけそうだと思う?」

「…」


 心底うんざりとした顔をしたスギから更に下、割れたシーサイトの狭間に映るのは、嬉々としてめいっぱい腕を伸ばしてくるドライアドだ。


「…一か八かで挑むほど、ボクはギャンブラーじゃアリマセン。生き残る『確率』が高い方法を選択シマス」

「『確率』?おい、マジかよ。面白いこと言うよな、一秒先の確率なんて、結局『死ぬか、死なないか』のどっちかだっての」

「大概にしてクダサイ。ボク独りならともかく、スギにはアシエラさんとルブのところに帰ってもらわないといけないんデスから」

「こっちだって、生きて帰りたいっての。

 それで?どうなんだよ、この状況をパラサイターから見て、生き延びれそうな『確率』は?」

「それは…」


 問われてアメは口籠った。恨めしいことに、伸びあがるドライアドの速度より、パノラマが上昇する速度はやや劣る。じりじりと、着実に距離は詰められている。


「あのドライアドがパノラマを捕まえるのが先か、班長達がボクらのところまで辿りついてくれるのが先か…」


 独り言を呟きながら、もう一度、アメは下を見た。ゆっくりと瞬きをしているスギの瞳は濁っておらず、ぎらぎらとこちらに訴えかけてくる。彼は、おそらくすでに察しているんだろう。


「班長達の位置が分かりマセン。このままでは触手がこちらに届くのが先でショウネ」

「そうだろな」

「最後まで抵抗する気はありマスカ?」

「おっ!」

「嬉しそうにしないでクダサイ」


 口の端を持ち上げて喜色を漏らすスギにため息を返して、アメはもう一度気を取り直して操縦桿を握った。


「ところでミストレイター、何かいい作戦はありマスカ?」

「それを考えるのがパラサイターじゃん?」

「ンェー、とっても素敵な信頼をありがとうございますデス」


 呆れながら返事をして、いくつかの数字を計器から読み取りながらアメは思考する。アバターバードは上昇しながら、手を伸ばしてくるドライアドの種子の位置に近づこうと悪戦苦闘した。そして、種子の上付近に移動し、アメはこう思う。


(…エネルギーはスギとボクを合わせて、ギリギリ上に上がれるかドウカ。いずれにせよ、運任せデスガ…なら)


「スギ、機体の状態とエネルギーの残量的に、仕掛けるチャンスは二回だけデス。上手くいってもいかなくてもヒットアンドアウェイ。いいですね?」

「よっしゃ!」


 元気な返答で前を向くスギに頷き、アメは冷静に準備を進める。

 しげしげと下を眺めながら指令を待つパラサイターは、メインカメラで種子の位置を確認した。

 そして、


「それではミストレイター、今から5秒後に、浮力に回しているエネルギーを全てカット」

「はっ?えっ?」


 ヤル気があるのかないのか分からないアメのオーダーに、スギが落ち着いて応える前に、


「カウントダウン開始、5、4、3…」

「おい!それじゃ落ち…」

「2、1…」


 微力ながらも上を目指していたアバターバードは、力尽きるように下降し始めた。月並みに言うが、落ちている。


「ちょっ!ちょっ!怖い怖い!」

「おや、ジェットコースターはお嫌いデスカ?」

「そうじゃない!ノー自由落下!!

 このままじゃ…制御出来ずにドライアドに突っ込むぞ!」

「そのつもりデスヨ?」

「なんて?!お前どこが『ギャンブラーじゃない』だぁああああ?!」

「ははは、アメ・ベンガルって、ほんとバカですヨネ。

 ほらほらスギ、しっかりシートに掴まって下サイネ」


 転進したアバターバードは、ふらついたまま重いボディ部分から真っ逆さまだ。割れた窓から入り込んで暴れまわる風圧に耐え、目を細めて凝らしながらアメは下を見る。


 二人は割れたシーサイトから押し入りぶつかる風に翻弄されるまま、操縦桿とシートを握りしめ、歯を食いしばった。暴風に打たれるまま、なぎ倒される葦の如きしぶとさでしがみつく。アバターバードによって身体を強化されていなければ、耐えがたい辛苦だったであろうが、それでも。


 近づいてくる獲物に得も言われぬ歓声をあげながら、ドライアドが触手を震わせ、伸ばしてくる。その影響か、露出していた種子が触手に埋もれつつあった。それに歯噛みしながら、パラサイターはタイミングを見計らう。


「スギ!チャージ100%」

「わ、わかった!」


 触手の切っ先が目前に迫り、パノラマに触れる直前。


「パノラマ・ラウンドシールド」


 アバターバードの前方を覆うように、光の円が発生した。円盾のように広がったそれが、伸びきった緑の触手を先端から焼いていく。そして本体にぶち当たると、紙をライターで燃やすように穴をあけた。遂には、蠢く緑膜を突き破って、ドライアドの下方に飛び出す。

 目下には、魔境の空間、ドライアド・シーが森閑と佇んでいた。アメはすぐさま上を見上げる。


「体当たりは失敗デスカ…。でも、思った通り層が薄いデスネ」

「ばっか!これじゃ墜落死コースだろ!」

「触手に捕まらなきゃ、まだ望みはありマスよ。それに、下におびき寄せれば、班長達が来るまでの時間稼ぎができます。

 さぁスギ、もう一踏ん張りしてチャージ50%、浮力回復!」

「ああ、くそ!」


 同時にパラサイター自らのネックシールドからもエネルギーを吸い取らせた。自身の命が吸われる酩酊に、脳が揺さぶられて胃の中が湧きたち吐き気がする。代償と引き換えに、エネルギー計が必要十分な数値を指し示した。

 落下する機体が浮力の回復によってその速度を落とすと、舞う木の葉のようにぶれていた照準が定まりやすくなる。アバターバードを旋回させ機首を擡げると、パラサイターは上を向き、改めて狙いを搾った。この位置からでは『種子』見えないが、自分達とドライアドの位置から当たりをつける。


「パノラマ・ソーラーレイ!」


 幾つもの小さな光が、明滅を繰り返しながら上昇した。下から槍のように緑の壁を喰い破った数多の光が途絶えた時、開いた穴から見えるのは、半壊した種子を再構成しようと、ドライアドの爛れた表面が次々と隆起している様子だった。

 周囲一帯に憤怒に似た絶叫が木霊する。


「仕留めきれなかった!」

「いや、半分持っていけマシタ!」


 憎々しげにミストレイターが呻るが、パラサイターはすでに別の動作を始めていた。


「これで、あちらも動きが鈍るハズ!

 スギ、全速撤退シマスヨ!!」

「分かった!…アメ!上に!」


 二人が見上げる先、欠けたウィンドシールドの先にちかちかと光を反射する物体がある。猛スピードで落下してくる塊に、二人が息を飲んだその瞬間。


『インタールード・メディテーション』


 祈るような悲痛に応えるように、青い炎が、滝の勢いで下り来た。瞬きをする間もなく、欠けて曝されていたもう一つの種子が、一片残らず蒸発した。


『こちらインタールド。無事か、パノラマ。…派手にやられたな』

「…班長!」

「こちらパノラマ!搭乗員は二人とも無事デス!」


 外部マイクを通じて直接耳に入る声に、隠しきれない安堵を滲ませて、二人は大声で返事をした。通信機が使えないことを察したのか、インタールードがパノラマの声が聞こえる位置まで近寄ってくる。


『損傷は?』

「右翼と尾翼を少し千切られました。胴体のフレームもやられてます。あと、シーサイトを割られてます。今はどうにか飛んでる状態デス」

『基地まで戻れるか?』

「ナンとか」

『よろしい。トルネードはパノラマをサポートしてくれ』

『了解』


 インタールードが離れると同時に、別のアバターバードがパノラマに接近してアンカーを打ち出した。パノラマを牽引するためのロープを取り付けているのだ。六本のアンカーでロープが固定されると、それまでガタガタと揺れながら上昇していたパノラマが安定し、引き上げられながら先程より速いスピードで上昇を開始する。


 班長機であるインタールードや、他のアバターバード達はその場に留まり、崩れていくドライアドを注意深く観察していた。

 ドライアドが崩れていく。アメ達が破壊した個体と同じように、緑がかった色は消え、黒ずんで腐食し、中央から端まで輪郭を溶かしながら崩落していく。

 幾ばくかの緊張と、確信をもって、最後の一欠けが緑の彼方に吸い込まれていくのを確認すると、


『よし、ドライアド動体の停止確認』


 号令と共に、どこか、ほっとした空気が流れた。沈黙が柔らかく流れ、


『こちらソード301・インタールド。ドライアド駆除完了。損傷率、パノラマ・60%程度。他機体は損傷無し。オーバー』


 その通信が聞こえるよう、パノラマを牽引して昇るアバターバード・トルネードが外部スピーカーから音を出してくれていた。

 しばらくすると何も聞こえなくなる。通信が終了したのだろう。

 耳を伝わる音声が、上昇する風の音だけになったのを理解して、アメは深々と息を零して緊張を解き、スギはぐったりと座席にもたれかかった。


 アバターバード達が一斉に帰還を開始する。黒く青く横たわる樹精海から遠く高く飛び立つと、静かに彼らの巣を目指した。


 そして、弛緩しきったパノラマの内部では、


「はー、本当に無理かと思いマシタ…」

「はは…脳味噌天気アメがそう言うんだから、これはほんと酷い」

「ボク…一応、同乗者であるミストレイターを頑張って助けたんですケド、なんで悪口を言われるんデショウネ」

「そりゃ、ミストレイターを助けるのはパラサイターの義務というやつさ」

「…気に入ってた自作のペンタクルまで潰したっていうのに、その言い草デスカ。頭からゲロかけてやればヨカッタ。というか、全身べしょべしょにしてカッコつけられても反応に困りマスネ」

「あ~はいはい、悪い悪い、俺が悪い子でした」

「安ーい謝罪ですね。ボクは『パノラマのプリン』をお詫びに貰うまで許さないデスヨ」

「アメはほんと『パノラマのプリン』好きだよな。自分達の機体に『パノラマ』ってつけたいって言いだした時は、どうしようかと思ったよ」

「…固いプリンじゃなくて、柔らかいプリンがいいんデス」


 けらけらけら、と、怪鳥の笑い声を立てるスギに、アメは不貞腐れた顔でため息をつく。


 その下に広がる樹精海は何事もないかのように静けさを湛え平穏に横たわっていた。それが、日常の風景だ。


 気も漫ろに外の風景を眺めていたアメであったが、ふと思いついたように口を開いた。


「そういえば、スギ」

「なに?」


 同じく気を抜いていたスギが、のんびりと返事をすると、アメは少し思案気に尋ねる。


「ドライアドに取りつかれた時、変なこと言ってませんデシタ?父さん…とかなんとか」

「…ああ。あれ?確かにそんなこと口走った気がする」

「…あなたのお父さん…亡くなってますヨネ」

「ああ、そうだけど」


 今度はスギが沈黙した。そして何か嫌な事を思い出したのか、今度は苦笑いをしながら、


「まあ、よく分かんないよ。母さんや俺と弟とを捨てた…妹をどこかに売り飛ばしたあの人のことなんて。

 …というか俺、なんであんな化け物見てそんな風に思ったんだろ?」


 不思議でしかたないと首を捻るスギに対して、アメは何度か言い難そうに口を動かした後、声を発した。


「ボク…、昔、あなたのお父さん、ぶん殴ったことありますけど」

「あ~それ、覚えてる。覚えてるよ。俺があの人に殴られてたときに、横から飛び出して殴りこんできたよな。あの時は助かったよ。

 それがどうかした?」


 戸惑うような無言の後、歯切れ悪くアメが話す。


「あの~、それってワリと恨まれてたりします?」

「はい?」

「いやあの、よく言うじゃないですか、隊員が死ぬ間際に『お母さん』とか、親しい人の名前を…なんで」

「は?…あっはは!おまえ!ははは!気にして…あはははっ!」

「…ナンデ笑うんデスカ」


 少し目線を逸らしながら話すアメだったが、突然笑い出したスギに、不貞腐れた顔で下を覗きこんだ。上を見上げて笑うアメの顔には、酷く疲れが滲んでいるものの、表情は快活としている。


「俺がそんな愁傷な性格かよ」

「…デスヨネ」

「マジで親父のことはなんでか分からないし、お前には感謝しかしてない」

「そうデスか…。なら良いですケド」


 そうして会話が途切れ、二人は遥かな緑の海を見下ろす。それは空の青と混じって途切れるまで、艶めきながら揺れていた。


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アバターバード 桂詩乃 @ShinoKatsura

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