そんなわけで、お言葉に甘えてお風呂をいただく。


檜の広い浴槽で、柔らかい香りが浴室に満ちていた。

いや、檜じゃなくサワラやヒバかも知れん。

 木の種類はよく分からん。


「ふぅ……」


 少し熱めな乳白色のお湯。

温泉を引いてるらしく、上質な湯だ。

外からのサーッという雨の音も心地いい。


トントンッ


「うん? はーい」『お湯加減いかがですかー?』「いいですよー」


扉越しの脱衣所からの声。

 龍湖ちゃんか。


……少し間を置いて、 ガラガラガラ 「失礼します」「おおっと」


タオル一枚で現れたぞこの子。

そりゃ風呂に入るんだからそうなんだろうけど。

いいですよー、は入っていいですよーって意味じゃないのに。

むむ、にしても綺麗な体だ。

それでいてムチムチ――太っているというわけでなく――してらっしゃる。

タオルで一枚で堂々としているのは、躰に自信があるから見せ付けてる、なわけは無いだろうが。


彼女は慣れたようにパシャリとかけ湯し、それから僕の居る湯船へと身を沈めた。


とても目の見えぬ者とは思えぬスムーズさ。

 因みにタオルを巻いたままだが、彼女の実家でマナーもなにもないだろう


「うーん、一応訊くけど、その日初めて会って間も無い男と風呂に入るって意味、おかしいって自覚ある?」

「えっ、寵さん、男性だったのですか? てっきり声色から同年代ほどの女性だと……、まぁ、たつ……わたくしは気にしませんよ。しかし、やはりわたくしのような一六という年齢ならば少しは羞恥心を持った方が……?」

「普通はね。でも君がいいならいいし、僕も構わないよ」

「では、ご一緒させて下さい。お婆ちゃんが、『背中を流してきな』と煽って来て」

「グイグイくるなぁ」


 大事な孫を傷物にする輩だったらどうするんだ。

 寧ろそれが『狙い』か?


「ふぅ……(ちゃぷちゃぷ)……ウチのお婆ちゃんには本当に感謝しているんです。『実の孫でも無いのに』、面倒を見てくれて」


急に重い話ぶっ込んで来たなぁ。


「そうなんだ。でも、ちょっと見てて大変そうだね。腰とか良くなさげだし」

「おっしゃる通りです。昔は、農業もバリバリこなす病気知らずな方だったのですが、最近は……」


少し沈む彼女。成る程ね。ならお婆ちゃんへの『恩返し』はその方面でいいか。


「それと、今更になりますが、申し訳ございません。元はと言えば、たつ……わたくしの所為で、寵さんがこの土地に留まる事になってしまって」

「ん? それは……ああ。もしかして、この『雨』?」

「はい」


 頷く龍湖。


「この村の雨は、ここ二百年ほど降ったまま。それも全て、代々わたくし達【龍の巫女】が原因なのです」


一つ、彼女は昔話を始めた。どこかで聞いたような昔話。


ここの村――といっても今は住人五〇ばかりの集落――は大昔、雨が降らず酷い旱魃に苦しんだ時期があったらしい。

水が無ければ乾涸びて死ぬ、そんな時代だ。

となれば、この頃の村人達は示し合わせたように雨乞いをする。

祈祷師や宮司主導の下、ハンニャラーハーラーと大麻(おおぬさ)をシャカシャカさせ天に祈る一同。

今の常識ある時代なら非科学的と一蹴するだろう。

が、しかし村人達の願いは本当に天に届いたのだ。

突如、天から降って堕ちたその【神】は村人に、『余へ定期的に上質な供物を捧げれば恵みを降らそう』と持ち掛ける。

戸惑う一同だったが、その時、一人の美しい巫女が贄を名乗り出たのであった。


「その後願いを叶えて下さった神は巫女を気に入り、それからというもの、定期的に巫女を差し出すよう命じました。初代の巫女には娘がおりましたので、その娘がまた子を産めば供物になり……をこんにちまで繰り返して来たのです」

「ふんふん。キッカケはまぁ理解したよ」


 だが、疑問も多い。

 龍湖も僕の含みある言葉で察してか。


「この雨は、その契約の日から降り続けているモノです。地盤沈下や洪水、家の腐食も起こらぬ不思議な雨。その制御不可能な雨を降らす力を巫女へと授けた神は、同時に、巫女から身体機能の一部を預かったのです。わたくしの母の場合、声、でした」

「それで龍湖は視力、ね」


 逃げられない為の縛り、か。

彼女は生まれてから晴れの空を知らぬ雨女。

 【低気圧ガール】。


「でも、昔ならいざ知らず、今の時代なら普通村人とか村から離れない?」

「それを試みた村人も居りましたが……神の恩恵を受けた村の血族は皆、神の力の宿った水で生きてきました。買い物程度で村から街に出るのは問題無いのですが、そのまま戻らぬ意思を抱けば……息絶えてしまうのです」


いつでも操作可能な毒か。全て、村の巫女を生かす為の人材と考えて良いだろう。


「同時に、水の力で村人には不思議な力も宿りました。わたくしの気を感じ取る能力もそうですし、お婆ちゃんにも『未来の出来事を夢で読む』という占いのような能力があって……昨日も何か『凄い内容』の夢を見たらしいですが、中身は教えて貰えませんでした」

「気になるねぇ。ま、いいや。オッケー、大体『把握』したよ。因みに、今浸かってるお湯とかさっき飲んだお茶とか、これだけでアウト?」

「御心配なく。一週間ほど継続的に摂取せぬ限り問題ございません。……しかし、意外です。寵さんは話を聞いた後でも落ち着いていますね。外の方は皆、この程度の話では動じないのですか?」

「や? 殆どの一般人なら驚く話だろうさ。でも僕も、生まれながらにして奇妙な生活環境でね。だから『そんな境遇もあるよねー』ぐらいの気持ち」

「……やはり、寵さんは、何か『普通』とは違うと思ってました。わたくしを……龍湖を特別扱いしてない感じです。龍湖も、世代の近い方とは初めてお話しするのに、何故だか緊張せず、お婆ちゃんと居るような居心地の良さで……」


よく言われる、

 家の子達に。


「けど、やっぱり。龍湖は『今日まで』よくやったよ。一人で色々抱えてさ。――頑張ったね」


言いつつ、僕は龍湖を抱き寄せ、頭を撫でる。

風呂の中なので髪はベチャリと濡れるけど御構いなし。


「え」


 何が起きたか分かっていない龍湖だったが、すぐに ツー と閉じた瞳から感情を溢しヒックヒックと僕に身を預けた躰を震わせた。

彼女と同世代の女の子が家に居る僕だ、女の泣かせ方は熟知してる。


――五分ほどで、龍湖は落ち着いて。


「申し訳ございません、お見苦しい所を。何故だがふと、優しかった母の事を思い出してしまって……、……強くて、芯のある人でした」

「ふわふわしてる僕とは真逆な人だねぇ」

「いいえ。同じ、安心する良い匂いと音がします」


風呂の中だってのに匂いも音も分かるのだろうか?

や、目が見えない分他の感覚が良いのかもしれない。

五感の一つが封じられた結果、聴覚やら嗅覚やら触覚やらが強化され、モノの気が見えるようになったと思えば説明がつく。つくかなぁ?


「……あっ、忘れていました。本来の目的は、背中流しでしたね」

「そーいえば。なんか急にのぼせてきたよ。ついでに髪も洗って」


クスッと龍湖は微笑み、「こちらへ」と僕より先に浴槽を出た。

――直後、「あっ」

つるり、龍湖が宙に舞う。

足下に石鹸でもあったのかな? ベタでおっちょこちょいな子だ。

受け身は取れるのかな? 取れても痛いのは変わらないだろう。

仕方ないなぁ……「ほいっ」

 彼女が後頭部を床に打ち付ける、直前、

僕は『止めた』。


「――え? え?」


 ピタリ、逆アーチを描くように浮かぶ龍湖。

普通でも驚く状態なのに目が見えぬゆえに更に混乱している。


「よいしょ(ザバァ)」と僕はゆっくり浴槽から上がり、浮かぶ龍湖の背中の下に両腕を構える。直後、魔法が解けたようにムチッと落ちた。お姫様抱っこ。

「ふむ(プニプニ)やっぱり、いいムチムチ感な躰してるよ君ぁ」

「んっ! ……な、何が、今、起きたんですか?」

「君が頭打ちそうなったのをこうして僕が受け止めたってだけよ?」

「ほ、本当に? 何だか数秒間、無重力を味わっていた気が……ああ、本当に何故でしょう……胸が、ドキドキします……」

「転んだからじゃないかな」

「顔も熱いです……、……寵さん。貴方は本当に何者なのですか……?」


さっきから本当本当ってくどいな。いや、それより、僕の正体か。

肩書きならまぁ多いけど、その中で一番カッコイイのは――。


「王子様、かな」

「王子、様? どこかのお国の、ですか?」

「国というか、集団? 一族? 世界? まぁ家臣は多いよ。時に、龍湖。物語の王子様の使命、って分かるかい?」

「使命? い、いいえ。悪者退治、ですか?」

「いいや」


 今思い付いたアレだけど。


「君みたいに困ってるお姫様を助ける事さ」

「――――」


 龍湖は数秒固まった後、「お、お姫様……っ」 更に顔を熱くする。

ボルテージは最高潮だ。


「た、龍湖なんて……で、でも寵さんが認めてくれるなら……はぁはぁ……たい」

「タイ?」

「龍湖は、こんなにも今、寵さんのお顔が見たいです……っ」

「『あとで』見せるよ」

「はぁ……約束……です、よ」


 ガクッ。龍湖が堕ちた。のぼせてしまったのだろう。

背中を流して貰う約束だったのに。


 しゃあねぇ、次回だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る