4.許せないこと
ノックの音が聞こえた。
ゆっくりと上体を起こし、欠伸をひとつ零す。ラジカセの電源を切り、それからドアに向かって覗き穴に視線を通す。
赤茶色の髪の下、パイロットスーツが目に留まった。色褪せた服の中に真新しさと若干の幼さが垣間見える。神谷はもう一度ノックをする。僕は扉を開け、首を傾げる。
「何か用?」
「相変わらず素っ気無いな。半年以上共に暮らしてるんだから、少しぐらい歓迎してくれてもいいんじゃないか?」
そう言って神谷は右手に持った一升瓶を掲げた。
「日本酒だよ。飲まないか?」
「どうして?」
「全ての終わりに乾杯、さ」
「……いいよ。どうぞ」
僕は部屋の明かりをつけ、彼を部屋に招き入れた。美奈の荷物はまとめてダンボールに仕舞っておいたから、部屋はとても広々としている。彼が来たことでようやく落ち着きを取り戻したかのような、そんな空虚さを抱えている。
「俺達が初めて会った時のことを覚えてるか?」
神谷は左手で持っていたコップ二つに日本酒を注ぐと、ひとつを僕に押し付け、もうひとつを手に側の椅子へと座った。それは美奈が座っていた椅子だったが、僕は何も言わなかった。彼のよくわからない微笑を眺めていると、自分がどういう風に考えるべきなのかもよくわからなくなった。
「目が覚めたら頭の中に神からの言葉が聞こえて、俺達は選ばれなかった。まっ平らになっていく土地から逃げ出していたら、この基地を見つけ、そしてお前は俺達のことを今にも死にそうな目で見た。お前はいつだって変わらないな。希望を失くし、絶望を抱え、自らを不幸とでも呼びそうな雰囲気だ。俺達だって同じクローザーのはずだ。何が違う?」
「……さあね」
僕は日本酒をぐいっと飲む。喉に痺れるような感覚がすうっと流れていき、胃の中が熱くなる。いい飲みっぷりだな、と言って神谷が僕のコップに酒を注ぎ足す。それから自分もぐいっと飲む。
僕はベッドに腰掛け、彼と対峙していた。壁紙の奇妙な輪っかが光に照らされ、不気味に浮かび上がって見える。タンスの上のラジカセが音を立てそうだと思う。けれど音は聞こえないし、神谷はイヤリングをつけていない。右耳をじっと見つめていると、神谷が口を開いた。
「俺達は最初戸惑うばかりだった。お前だけが既に絶望していた。何が違う?」
「なぜ、そんなことを聞きたがるの?」
僕の問いに、神谷は目を尖らせ顔を顰める。威圧感がそのまま僕に飛んでくるかのように、息苦しさが僕を拘束する。
「お前がなぜ生き続けるのか、俺にはよくわからない。死にたきゃさっさと死ねばいい。なんなら俺が撃ってやろうか、なんて、そんな気分にさえなる」
「どうして?」
「生きてるやつは生きようとする姿勢を見せるべきだからだ。生きようとする姿勢も無く生きてるやつを見ると、気持ち悪くて、殺したくなる」
神谷は僕に右手を向け、銃を形作って人差し指を僕の頭に合わせた。そしてばきゅーん、と言って反動から右手を軽くあげた。
何かが頭を通ることは無い。
「どんな理由であろうと、生きたいやつは俺にとって殺したい存在じゃない」
「だから君は女を抱くの?」
彼は先程と同じ微笑を浮かべると、空になったコップに酒を注いだ。
「それもまた、ひとつの理由だ。快楽を貪るのは、人間らしい行動だ。それを否定するのは、自分自身を否定することに他ならない」
「……僕はそのせいで、君を刺したことがある」
「は?」
僕は彼の胸に拳を向けた。そうしてグサッ、と呟いた。
彼はきょとんとした表情を浮かべた後、訝しげに僕の顔を覗き込んだ。酒臭い息を吹きかけられ、僕は思わず目を瞑った。
「お前、気は確かか? 俺はお前にそんなことされた覚えはないし、俺の体は現在進行形でぴんぴんしてるぞ」
「知ってる。でも、だからといって何かを許せるようになるわけでもない」
何を、と神谷が言いかけた瞬間、僕の枕音から電子音が鳴り響いた。僕はコップを床の隅に置いておくと、枕に近づいて携帯電話を手に取った。
「君の嫌いな音楽だよ」
僕が言うと、彼は小さく声を出して笑った。
「よく知ってるな」
「そして君の嫌いな僕だ」
「おお、正解」
けらけらと笑う神谷を無視して、僕は携帯電話を開いた。メールだ。でも僕にメールを送る人間なんてもうこの世のどこにもいないし、そもそも携帯電話が使えるはずが無い。
それでも、メールは来る。差出人は、小杉美奈。僕が殺した女の子。いつの間にか後ろから画面を覗き込んでいた神谷が、眉を顰めて唇を半開きにしている。そして徐々にその顔色が変わっていく。
――どうしてそんなに神谷君のことを憎むの?
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