3.選ばれないということ

 朝倉さんが泣いていた日のことを思い出す。

 だだっ広い基地の中を無意味に歩き回ったり、大きな部屋の中心に一人で立ったり、彼女は自分という存在に途方に暮れていたように僕には思える。

 彼女は長く真黒な美しい髪を持っていて、顔は少し幼い。いつも何かしかに緊張していて、顔は張り詰めている様子で手に取るように分かる程強張っていて、いつもちょっとのことで泣きそうだった。震える声で、彼女は言った。


「どうして選ばれたの?」

「誰が?」

「私達」

「僕達は選ばれてないよ」

「……選ばれたの、私達」


 彼女の声はあまりにも小さく、もし誰かの声が聞こえたら簡単に掻き消えてしまいそうだった。

 会議室にある大きな空の絵を見つめ、彼女はそこにある穴を見つめていた。それはたぶん僕らが知っている空の穴とは違って、単なる雲の隙間でしかないのだろうけれど、不思議とよく似ていて見分けがつかなかった。痩せ細った体に制服を好んで着続けている彼女がそれを見上げていると、何だか放課後の学校の匂いがした。


「皆は新しい世界に選ばれた。私達は“閉ざされゆく世界”に選ばれた。そう考えること、出来るよね……?」

「ポジティヴだね」

「佳孝君が言ってたの。そう考えてみたらって」

「佳孝は、優しいから」


 僕の言葉に、朝倉さんは表情を失った。


「佳孝君は、優しいんじゃないよ。色々なことから逃げたいだけなの」

「……どうしてそんな風に思うの?」

「いつか、彼は私を置いていくわ。絶対に」


 少し無言になった後、彼女は空の穴のようにも見える部分に手を伸ばし、触れようとした。


「佳孝君の言っている言葉が本当なら、じゃあ私達はどうして選ばれたのかな? この“閉ざされゆく世界”に」


 ねえ、と彼女は僕を見る。彼女の透明な涙が僕の目に映る。僕は少しだけたじろぎ、困り果てて眉を顰める。

 何だか芝居がかった現実だな、と思うと、途端に何もかもが冷めて見えた。光の無い、薄暗い会議室の少しだけ冷たい空気の中で、彼女という人間が僕に近づいてくる。空気が掻き乱され、足音が小さく響き、僕は呆然と立ち尽くす。


「ねえ、どうして選ばれたの?」

「朝倉さんは海へ行った日のこと、覚えてる?」

「……海に行ったことなんて無いよ」

「そう」

「ねえ、答えてよ。どうして!?」


 彼女が駆け寄ってくる。僕の胸を叩き、崩れ落ちた。映画のワンシーンのような一瞬に、僕は紡ぐべき言葉を失う。その時感じた激しい怒りに、今なお、僕の胸は震える。


「――だからだよ!」




 目を開く。僕はベッドにいる。夜だ。部屋は暗く、物の輪郭が闇の中でうっすらと浮かび上がっている。眠れずにラジカセを見つめると、昔のことをぼんやりと思いだしてしまった。スイッチを入れ、砂嵐の音に耳を傾ける。

 僕はよく、答えを求められる。美奈や朝倉さんや、かつての恋人に。けれどいつだって本当に告げたい言葉を失ってしまう、そんな気がする。

 また、目を閉じる。眠気は無いが、することも無い。

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