第4話

 は、城からでもよく確認できた。

「GYAAAAAAAAOOOOOOOOONNN!!!!」

 燃える城下町。逃げ惑う人々。倒壊する家屋。

 そして、その中心で天へと吼える黒色の龍。

 絶望の顕現。破壊の権化というのは、まさにああいう存在を言うのだろう。そう納得させるだけの覇気がその巨体より発せられている。

 東の塔、その地下より出てきたシアンと彼、それからカティナの三人は南門に設けられた跳ね橋の上でその光景を見ていた。

 暴れまわる黒龍。まず間違いなく、その近辺にいたであろう人々の生存は絶望的といっていいだろう。

 だが、

「……行きましょう、カティナ」

 シアンは、燃え盛る街並みを見下ろしながらも温度のない声を従者にかけていた。そして、その内心を知る従者もまた特段気に掛けることもなく先を行く。

 国の一大事。王女と呼ばれる立場の人間の行動ではないだろう。しかしこの場には、それを咎める者はいない。

 城下町の対処に追われているのか見張りの兵士もいない跳ね橋を過ぎた後の道。

「……シアン、王女……」

「何ですか、タツミさん」

「普通……城で、指揮とったりするんじゃ……ないのか?」

 跳ね橋へと向かう道すがらに自己紹介を終えた辰巳は、シアンに支えられながらもそんな言葉を絞り出していた。

 この国に対する好感度などゼロに等しい彼だが、それでも人情のようなものを失った訳ではない。人並みの思いやりは持ち合わせているし、今起きている異常事態でこの国の存亡が決まるといっても過言ではないことを何となく察してもいた。

 だからこそ、違和感を覚える。だが、そのぼやける頭では答えなど出せる筈もなかった。

 まともに一人で歩けない人間一人抱えて進むというのは、その足を遅くするには十分すぎる。

 先導はカティナ。その鍛え上げた聴覚と経験を活かして、混乱極まる城下町を進んでいく。

 悲鳴が聞こえる。煤と土のニオイに入り混じって、血のニオイがする。揺らめく赤色が街を彩る。

 ついさっきまで、この国は明るい未来への一歩を踏み出す筈であった。それこそ、未だに一時間と経っていない。経っていないのに、世界は地獄へと変わろうとしていた。

 そして、

「……ッ!」

「タツミ?!」

 辰巳の体にも異変が。

 突如、まるで詰まっていた栓が抜けてしまったかのように彼の右肩口より、どす黒く変色した血が噴き出した。

 石畳を汚す血と、突然の激痛に硬直した辰巳は足をもつれさせてその場に前のめりに倒れこんでしまった。

 一応、シアンを巻き込まないように咄嗟に動いたおかげで彼女が一緒に倒れるような事態にはならなかった。だが、足が止まってしまったのは痛手過ぎる。

「姫様」

「分かっています。ですが、処置をしないと彼は動けませんから」

「……」

「とにかく、カティナ。包帯と、それから替えの服を――――」

「――――貴様か、シアン=エイスニック」

 シアンの声を遮るのは、老成した声。

 ハッとして声の方へと目を向ければ、そこにいたのは灰色のローブの裾を焦がし、目を血走らせた老人の姿が。

「貴様が、貴様らが、ソレを表に出さなければ……!」

「言い掛かりも大概にしていただけますか?ウィルゲンタース導師長。そもそも、人の手に余るような存在に手を出したのは貴方含めたあの人たちでしょう?」

「黙れッ!貴様らの行動が災禍を招いたのだ!!王も、兵も、民も!貴様がその手に掛けたも同然よ!」

「――――それが、何か?」

 激昂するウィルゲンタースに、シアンは冷や水を被せるような冷たい目と声色をもって返していく。

 睨みあう二人。この間に、カティナは手際よく痛みに呻く辰巳への処置を行っていった。

「しっかりしろ。意識をしっかり保て。姫様のご厚意を無下にするな」

「ッ、ぐっ……!ぁ……」

 巻かれた包帯は、瞬く間に赤く染まっていく。

 明らかな重傷。だがしかし、カティナの関心は痛みに呻く辰巳ではなく狂い始めた老人と相対している自身の主に対してのみ。

 怒髪衝天と言わんばかりの、憤怒と怨念を全身から発するウィルゲンタース。彼は、おもむろにローブの隙間より右手を突き出した。

 その手に握られているのは、黒曜石より削り出した儀式用の鉤のような形状のナイフ。

 儀式用、祭具というのは実用面など皆無である。何故なら、戦闘など想定したものではなく、あくまでも儀式などで用いる儀礼用でしかないから。

 この黒曜石のナイフもまた、切れ味こそ鋼鉄製の代物と遜色なく、場合によっては凌駕しているかもしれないが、如何せん強度が足りない。真っ向から打ち合えば、まず間違いなく刃毀れを起こし、最悪刀身が砕け散るだろう。

 もっとも、これらは白兵戦に用いた場合の可能性。

 ウィルゲンタースは、だ。彼らの主戦場は、近距離ではなく、中遠距離。アウトレンジこそが、その本領発揮の場となる。

「――――ウィルゲンタースの名において、火のエレメントをここに」

 文言を唱えながら、彼は右手で左手の平へとナイフを突き立てた。

 滴る鮮血は皿のようにされた左手を直ぐに溢れ、地面へと落ちていくがその雫は地面を汚す前に炎となって燃え上がる。

 肉体を循環する血液というのは、限りがあれども毛髪などと同じく術の行使などの際に使用されるポピュラーな媒体であった。

 ウィルゲンタースの場合、己の血液を媒体としてこの世界に存在する火を司る存在に助力を乞うた形。

けッ!」

 振るわれる左手。炎となって燃え上がる血液だが、その実一定の範囲を離れない限りは燃え上がることは無い。何故なら、血液全てが燃えるようになってしまえば、それはそのまま自爆となってしまうから。

 発動距離は、手より一メートルを離れた瞬間。溜まった血液は、手酌で水を撒くようにして広がり、ウィルゲンタースから一メートル離れた瞬間炎の壁となって対象を焼き尽さんと突き進んでくる。

 熱気に暖められた熱い風がシアンの頬を撫でる。しかし、彼女には一切の恐怖はなかった。

 何故なら、彼女の従者は優秀であるから。

「カティナ」

「御意」

 たった一言、名前を呼べばいい。

 黒衣の騎士が前に出る。放たれるのは神速の抜刀術。

 左下から右斜め上へと駆け抜けた剣閃は、巻き込んだ空気も相まって迫りくる炎の壁を見事断ち切り、斬られた壁は切断面を割断面として未知の左右へと分かれていった。

 艶消しの施された漆黒の刀身を持つブロードソード。それが、カティナの相棒であり。その力の源でもある。

 黒のガントレットに保護された右手に剣を持ち、カティナはウィルゲンタースと相対する。

 シアンが荒事をする必要はないのだ。彼女はあくまでも王女であり、戦士でもなければ兵士でもないのだから。

 荒事には、荒事の担当を。人を使えてこそ、上の人間でもある。

 己の術が断ち切られたウィルゲンタースだが、しかしその憎しみを燃料にした炎が消えることは無い。

「燃えろ!燃えろォッ!焼け焦げてしまえ!」

 ウィルゲンタースの左腕が、怨嗟と共に振り回される。その度に炎へと変換される血液が振り撒かれ、それら全ては敵対者へと襲い掛かるのだ。

 無論、そんな強攻策をカティナが許すはずもないのだが。

 黒塗りのブロードソードは、何も見た目だけのものではない。

 艶消しを施しているのは、夜陰であってもその刃に月光などの光を反射して剣の軌道を見切らせないため。

 それだけではない。焼きの加工を施すことにより、強度を増し切れ味を長く保つと同時に刀身そのものに耐性をつけているのだ。これにより、炎の中にくべられようとも刃が鈍らず、それに加えてカティナ自身の技量も合わせることで炎も切り裂く剣技となる。

 場面は、拮抗。攻撃を無効化しているカティナに分がありそうだが、相手に手傷を与えようとする場合、距離を詰めなければならないのだ。中遠距離が主戦場の相手を前に距離を詰めるのは至難の業。

 護衛として、シアンに傷の一つもつける訳にはいかないカティナは消耗戦を選択する。

 今のウィルゲンタースは、血液を常に消耗し続けている。血液は、抜けすぎれば命にかかわるのだ。

 体重五十キロほどならば、凡そ四リットル弱。それが血液の総量とされており、その三十パーセントも抜ければ命の危機。

 怒りと憎しみで前が見えなくなっているウィルゲンタースは、常ならばこのような愚は犯さないだろう。

 だがしかし、忘れてはいけないのが今この街、否この国は存亡の危機に瀕しているという点。そして、その原因は街を闊歩しているという事。

 四者の頭上に影が差す。

 見上げれば、そこには黒が居た。

「Grrrrrr……」

 家屋の屋根に左前脚をかけて、覗き込むようにして首を伸ばしている悪龍。

 その紅蓮の瞳が捉えるのは、今まさに半死半生のような状態の辰巳であった。というか、それ以外は視界に入れども視認していない。

 ただ、この龍の横やりに最も過敏に反応したのは、ウィルゲンタース。

 シアンに向けていた怒りや憎しみ以上の憤怒を滾らせ、呼応するように彼の全身が比喩無く物理的に燃え上がる。

悪龍エルドラゴォオオオオオッッッ!!!!」

 業火そのままに、ウィルゲンタースは飛翔する。

 王の仇。復讐心にとらわれた老骨による決死の一撃。

 人間爆弾だ。それこそ、人道的などの観点から見て戦争ですらも使うことを躊躇われる一手。そもそも、街中で放っていいような代物でもない。

 これは、ウィルゲンタースの抱えた怒りそのもの。

 たとえそれが、八つ当たりであると言われても彼は止まらない。止まる気もないし、何なら指摘してきた相手を殴り倒す所存だ。

 しかし、悲しいかな。この場における人類というのは、等しく弱者でしかなかった。

 向かってくる老人に対して、悪龍は一瞥すると大きくその口を開いて待ち構える姿勢。

 果たして、ウィルゲンタースが飛び込んだ瞬間に閉じられた口。直後に炸裂する圧縮されていた業火。

 血液のみならず内臓器官含めた全てを業火へと変換して炸裂させる人間爆弾は、一個師団だろうと容易く壊滅させるだけの破壊力を有している。

 しかしそれはあくまでも、人間単位での被害だ。圧倒的強者である龍にとってみれば、春に吹くそよ風のようなもの。

 炎を口内で炸裂された悪龍は、しかしその牙の隙間よりわずかに炎が漏れ、鼻から煙を吐き出すだけで欠片もダメージは見受けられなかった。

 悪龍にしてみれば、矜持だとか復讐だとか、そんなに興味はない。

 今の関心は、眼下で死にかけている人間に対して。

 喉に小骨が引っ掛かっているような、そんな違和感。その原因は、悪龍自身が喰らってしまったとあるものにあるのだが当人、いや当龍は知る由もない。

 少しの逡巡を挟み、やがてその全てを喰らうアギトを開ける。

 そして、その首を伸ばして――――


――――バクリ


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