第3話 

 悪龍の召喚。国民の沸いたイベントが巻き起こる広場だが、人員を割いたことで手薄となった王城でもまだ隠れた動きが起きていた。

 城内を移動する二人組。

 灰色のローブを身に纏い、フードを目深にかぶっていることから、その顔はおろか性別すらも伺い知ることはできない。

 怪しさ満点ではあるが、ウィルゲンタース含めた導師というのは機密保持の為か、或いは周りを牽制するためかこのような格好の者ばかり。顔が見えているのも、ウィルゲンタースというトップの役柄である彼位のものだった。

 そんな怪しい二人組が向かうのは、城の中でも東の塔と呼ばれる場所。

 ここは、基本的には戦争捕虜などを収監する場所であり、平時には導師達の実験場にもなっている側面があった。もっとも、今は一大イベントである広場に方に人手がとられて静かなものだが。

 黴臭さすらも感じる石積みの塔。その内部に二人分の足音だけが木霊する。

 足音が向かうのは、下。牢の中でも特別人が近づかず、不潔で黴臭く陰気な場所。

 二人が、牢の近くまでやってくると見張りとして配置された二人の兵士が居た。

「うん?今日は随分と早いな。もうそんな時間か?」

「おい、話しかけてんじゃねぇよ。導師連中が答える訳ねぇだろ」

 聞こえていることを分かった上で、そんな会話をしながら二人は上へと向かっていく。これだけで、この国の軍部から導師連中がどう見られているのか分かるというもの。

 彼らにしてみれば、常日頃から顔はおろか性別すらもろくに分からず、その上一兵士はおろか将軍クラスの軍人とすらも会話しない。その在り方は、プライドの高い軍部の癪に障るのだが、国王に重宝されているために追い落とすことも出来ない。

 故に、末端に至るまで、軍部は彼らを嫌っていた。

 だからこそ、

 完全に背後の二人が階上に消えたことを確認し、片割れが口を開いた。

「上手くいきましたね。行きましょう、カティナ」

「足元にお気を付けください、姫様」

 不審者、もといカティナは主へと注意を促しながら鉄格子の窓が嵌められた木製の扉、その金属取っ手に手をかけた。

 果たして、押し開かれる扉と同時にその隙間より臭う通路以上の黴臭さと、それから血のニオイが入り混じって噎せ返りそうな悪臭。

 思わず、鼻と口を腕で覆ったカティナだが、その牢の奥へと目を凝らし、そして目当ての人物を見つけた。

「見つけました、姫様。おそらく、あの少年が異界人です」

「ッ、その様ですね……酷いニオイ。こんな場所に収監するのは、悪手としか言えません」

 フードの下で顔をしかめながら、シアンは牢の中へと足を踏み入れる。

 ねっとりとした臭気が全身に纏わりつくような、そんな感覚を覚える。それこそ、こんな場所ならば一時間もいればニオイで気が狂ってしまうかもしれない。

 そんなニオイの中で一人の黒髪の少年が扉の対面の壁に背を預けて座り込んでいた。

 軍服のような黒の詰襟の上下。しかし、右腕の部分だけが不自然に千切られ、その下に在るはずの右腕は存在しなかった。

 シアンが更に近づこうと足を踏み出すと、そこで漸く気が付いたのか彼は顔を上げる。

 垂れた前髪の隙間から、淀んだ鳶色の瞳が覗く。

「……パンなら、その辺に置いとけよ」

 その口から紡がれた言葉には、諦めが滲んでいた。いや、彼の立場からして心がポッキリ折れない方がおかしいというもの。

 訳の分からない間に呼び出され、右腕を強奪。それからろくな説明もなく、こんなニオイの地獄のような牢獄に放り込まれた。

 時間にすれば、それほど経っていないのだがそれでも彼の精神は既に擦り切れたボロ布よりもすり減っている。

 カティナをして、その扱いには締め口せざるを得ない。戦争捕虜でももっと真面な扱いを受ける筈であるから。

 だからこそ、シアンの足は動いていた。

 絶望しきった瞳。その目に自分が映っているが、認識していないことを理解しつつもその目の前に膝をつく。

 そして、その薄汚れた頬を自分のハンカチで拭う。

 柔らかな感触と、この部屋には似つかわしくない甘いニオイ。彼の嗅覚がそれらを認識し、初めてその目は目の前の己と同じぐらいの年頃の彼女へと向けられた。

「……女だったのか、アンタ」

「いいえ。私は、彼ら導師とは違います」

「どうし……?」

「この灰色のローブを纏う者たちの事ですよ。とにかく、ここを出ましょう。人の捌けている今がチャンスですから」

 言って、シアンは彼の残った左腕を手に取ると肩を組むようにして、その脇の下へと潜り込んだ。

 華奢な見た目だが、彼女は存外力持ち。背丈で負けていようとも、軽々と立ち上がらせてみせた。

 これに驚いた彼だったが、この劣悪な環境は精神のみならず肉体面も蝕んでいたらしい。突き放す事など出来ないし、立っているのも辛いのだから為されるがまま。

 亀の歩みだ。それでも、彼は肩を借りながらも初めて部屋を一歩踏み出し、

「ッ!姫様!」

「じ、地震……!?」

 世界に衝撃が走る。



 何が起きたのか。それを知るには、まず悪龍エルドラゴという存在に関して知らなければならないだろう。

 この世界には多種多様の生物が存在している。それは何も、異界人とこの世界では呼ばれる者たちの故郷に存在と似た動植物だけの話ではない。

 清らかな乙女を好むユニコーン。空を駆け獣の王の一角とされるグリフォン。地を駆け群れで狩りをするウェアウルフ。集落を作り中には人間との取引も行うオーク。

 その他にも、様々存在する幻獣と称されたモノたち。

 それら全てをひっくるめて、頂点に位置するのが龍だった。

 巨岩を打ち砕くパワー。巨体であっても空を自由に飛び回る機動力。高い耐熱性と人造の剣などでは傷一つ付く事のない鱗。

 生物としての一種の完成形が、龍という存在だ。

 だが、今日こんにちの世界では龍が観測されることは無い。最後の観測記録は、数百年前とも数千年前とも言われている。

 明確な根拠などは資料に残っていないのだが、一説には強すぎるが故に繁殖できなかった。互いが互いで滅ぼしあった。はたまた、神々がその力を恐れて世界の裏側へと封じてしまった、など。

 そんな龍たちの中で、悪龍エルドラゴもまた歴史の闇に消えた一体だった。

 黒い鱗が重なり合った硬質な甲殻に包まれた巨体は見上げるほど。

 四足歩行で地を進むが、後ろ脚二本でも立ち上がることが可能で指の数は五本。それぞれの指には、鋭い鉤爪を有している。

 吐き出す炎は鋼鉄を飴細工のように溶かしてしまい、一瞬で一帯を焦土へと変える。

 何よりその牙、その顎。一度咬みつけば、オリハルコンすらも焼きたてのパンの様に嚙み千切る。

 その顎を持って、同族を喰らった裏切者

 それ故の、

 怪物の中の怪物モンスターズ・ワン。怪物ぞろいの幻獣の中でも、触れざる者としてその名を馳せた存在。

 人々は知らない。自分たちの王が呼び出した存在のヤバさを。それこそ、暴れでもすれば北や南など言っている暇もなく国の根本から滅ぼされてしまいかねない様な存在であることなど。

 知るのは、王含めた上層部。だからこそ、対抗策はとってきた

 召喚の媒体とした右腕を切り離した。王の呼び出した水晶体こそ、元々は右腕だったものなのだから。

 これは呼び出しと同時に、指示を聞かせるためのコントローラーとしての側面も持ち合わせていた。

 だがそれには、というものが存在している。

 というのも、召喚した存在に対する優先権は媒体となった者が最も強く。それこそ、意のままに操ることができる。その他の外部からは、媒体を通せば可能だが、どうしてもその命令の強制力は弱くなってしまう。

 だからこそ、ウィルゲンタース導師長は媒体の源となった右腕を切り落とした。

 だからこそ、媒体となった少年を地下深い牢に閉じ込め

 

 だからこそ、は想定外。


 最初に気が付いたのは誰だっただろうか。

「……うん?」

 誰の声かは、誰も分からない。もしかすると、当人だって気が付いていなかったかもしれない。

 だが、誰かは確かに気が付いた。

 それは、舞台を汚す一滴のシミ。

 ソレは、時間が経過するほどの数を増していく。

 ソレは、空から降ってきた。

 ソレは、しかし雨ではない。

 ソレは、牙の隙間より滴ったもの。

「grrrr……」

 振り向いたエイスニック王が見たのは、眼前に迫る黒い鼻先だった。

 悪龍は巨体だ。それこそ、人間からすれば見上げるほどに大きい。

 そんな龍が鎌首をもたげて、頭を近づけてくるのだ。それも、懐くとか、じゃれるとかそんな事ではなく、口の隙間より涎を垂らしながら。

 明らかに友好的な感情など察することなど出来ない。

 彼らは、勘違いしている。

 確かに忘れ去られようとしていた禁呪は、強力だ。人柱を立てる事から命という対価を基に成立する難易度も極高。

 だがしかし、それはどこまで行っても人の技でしかない。神の御業を真似ようともソレは変わる事のない現実だ。

 そして、神の御業をもってしても龍とは、世界の裏側へと放り込むことしかできなかったと伝えられている存在。そんな相手を、人が完全に縛り付ける事など出来るだろうか。

 A:不可能。そもそも、人間の尺度で図ることが間違っていた。

 更にここで、ダメ押しの発生。察知したのは、ウィルゲンタースただ一人。

「お――――」

 呼び掛けようとした。不味い事になった、と。この場から逃げろ、と。

 何故なら、エイスニック王は、ウィルゲンタースが長い年月の中で認めた王なのだから。彼ならば、世界を統べることも出来ると確信していたから。

 故に、この場で彼が王と国民の命を天秤にかけたとしたら、優先するのは前者だった。

 だからこそ、見誤る。すでに、王は詰んでいたという事を。

 一瞬の出来事だった。それこそ、指先の一つも動かせないほどに一瞬。しかし、限りなく引き伸ばされた時間の中。

 ふざけるな!エイスニック王は、そう叫びたかった。

 吐き気のするほど濃密な生き物のニオイが鼻腔を侵食し、視界をてらてらとした肉の赤色が染め上げても、彼の心は不屈だった。

 何故なら彼は、王だから。君臨する者として生まれてきた存在だったから。

 だが、どれだけ不屈の闘志を持とうとも、屈強なる精神を持ち合わせていようとも生身の人間が超自然的存在に太刀打ちできる道理はない。

 少なくとも、エイスニック王は特殊な技能や能力を有している訳ではない。

 ただの、野心があり、敵を殲滅するだけの冷酷さがあり、そして千年帝国を実現するという野望があった。そんな王でしかない一人の男なのだから。

 果たして、その意識は暗い淵の底へと消えていく。

 後に残るのは、悲鳴と絶叫とそれから――――

「GrrrAAAAAAAAAAAAAA!!!」

「「食ったぁああああああああ!?」」

 ――――絶望だけだ。

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