第2話
なんで自分がこんな目に遭わなくちゃいけないのか。
黴臭い部屋の中で、壁に背を預けて龍ヶ崎辰巳は何度目かの思考のループに埋没する。
最初に思うのは、あの光に近寄らなければ、という後悔。そもそも、気付かなかったならばこんな目に遭うこともなかっただろう。
その思考に至った瞬間、襲い掛かるのは鈍くも鋭い、脳天を刺し貫くような経験したこともなかった痛み。過去形なのは、いい加減痛覚が麻痺してしまいそうなほどに痺れていたから。
痛みの原因は、右腕。血に汚れた制服の右袖は肩口から無くなり、その下に在った辰巳の右腕もまた無くなってしまっていた。
血は、もう出ない。止血されたのか、治療されたのか痛みはそのままであるけれども、死ぬことはないらしい、と監視に説明を受けた。
だから何だ、というのが辰巳の内心だ。
彼にしてみれば、引きずり込まれたと思ったら右腕を持っていかれたのだ。その上、こんな牢獄のような場所に監禁され、ここがどこなのかも分からない。
自殺する気力すらも湧かず、辰巳はただ無為に時間を浪費していた。
そんな牢獄のようなこの部屋を訪れるのは、朝昼晩の食事を運びに来る監視役。もっとも、辰巳は彼らの性別はおろか、顔立ちすらも知らないのだが。
というのも、世話係は共通して灰色のローブに身を包み、顔には目元のみに隙間の空いた頭巾を被り聞こえてくる声はまるで機械音声の様に一定。
地獄には未だ、光は射さない。
*
近年稀に見る式典が、東の国では催されていた。
首都である、巨大な城壁に囲まれた都市では花火が上げられ多くの人々が通りを埋め尽くし、その人々を食い物にせんと屋台や出店が通りの両脇に軒を連ねている。
国民は、何がおめでたいのか理解していないかもしれないが、そんな事は関係ない。
長い物には巻かれる国民性。右向け右の精神故に彼らは探求することはなく、今を楽しんでいた。
そんな市中を見下ろす中央の城。
城壁と堀に周囲を囲まれ、出入りできるのは南北に設けられた跳ね橋のみ。
石造りの荘厳なその城。その中央尖塔に設けられた窓より、一人の人影が町の様子を見下ろしていた。
格子窓より差し込む日の光を受けて、鮮やかに反射する滑らかなはちみつ色の金の髪。宝石をカットして埋め込んだような暗くも深みがあり鮮やかな青の瞳。生まれ育ちのお陰か発育よく育った肢体と、それらを際立たせるフリルのあしらわれたドレス。
全てが美の為に向けられたような美しい女性。否、その年頃は少女と女性の間といったところか。
「ここに居られましたか、姫様」
「カティナ……頼んだことは分かりましたか?」
窓から視線を外すことなく問いかける少女に、黒衣の騎士は膝をつく。
「はい、姫様。どうやら、王はウィルゲンタース導師長と共に禁呪に手を出しているようなのです」
「なるほど……つまり、このお祭り騒ぎはそれから目を逸らさせるためのもの。そして、発表の場、でしょうか」
「恐らくは。昨今、北と南が手を組みこの国を攻め滅ぼしに来る、というのが王並びに重臣揃っての認識でしたので」
「被害妄想、ではないんですね?」
「情報の真偽としては、分からない、と言う他ないでしょう。軍備の拡張は順調に行われてはいましたが、諜報などに関する人材は北に圧倒的に劣るのが現状ですから」
「偽情報に踊らされている可能性もあるという事ですね…………禁呪の内容は分かりますか?」
「部下の情報ですと、異界人を楔とした召喚、契約のものではないかと……」
「異界人……!?」
少女はそこで初めて窓より視線を外し、跪く騎士、カティナへと向けた。その表情は、驚愕。
「カティナ、直ぐに使用した禁呪の詳細を――――」
「こちらに。異界人は、どうやら東の塔、その地下牢に幽閉されているようです」
「流石ですね、カティナ。そちらへは、直ぐに向かえますか?」
「見張りは二名ですが、どちらも何も聞かされずに仕事を割り振られているようです。ウィルゲンタース導師長の部下が世話係として割り当てられていますが、彼らのローブを奪えれば、或いは」
「分かりました……では、直ぐにでも行動に移しましょう」
王女、シアン=エイスニックは行動を開始する。黒い従者を引き連れて。
*
王女が独自の行動を開始した時より、時計の針を少し進めよう。
王城の南門より少し進んだ場所には、広々とした空間が設けられている。
そこは、例えば憩いの場としての空間。例えば戦時下における兵士の顔見世の場。例えば処刑場。
とにもかくにも、様々なイベントが開催される場所であることには間違いない。
そして今は、多くの民衆が集まり、即席の舞台を見上げている。人々と部隊の間には、軍隊が配備され壁となっていた。
広場だけには収まらない人々が、通りから、家屋の窓から、或いは屋根の上から。今か今かとその時を待っている。
果たして、設置された時計の針が文字盤の頂点を指し示した。
ざわめいていた民衆からのノイズ音が、まるで水を打ったように静まりかえる。代わりに響くのは、木製の舞台を歩く硬質な足音。
舞台の中央に現れたのは、白交じりの金髪をオールバックにまとめたカイゼル髭の男だ。
彼は、両手を腰のあたりで組んで胸を張り、そして大きく息を吸い込んだ。
「――――諸君、まずはこうしてこの場に集まってくれたことに、感謝しよう」
決して、大声とは言えない声量。だが、その声は民衆一人一人の耳にするりと水のように滑り込んできた。
この男こそ、この東の国の国王であるエイスニック王である。
国王直々の言葉を聞きに、人々はこの場に集まった。
それほどまでのカリスマが、というよりもここ最近街のあちらこちらからヒソヒソト流れる噂の真偽が主な要因となるだろう。
噂。主にそれは、諸外国。とりわけ、東と仲の悪い北、南に関するものだ。
「長々と、私も話す気はない。簡潔に行こうか」
エイスニック王はそう言うと、舞台袖よりあるものを部下に持ってこさせる。
ソレは、黒だった。塗料のような黒ではなく、宛ら夜空。内側には、赤く赤熱する光。
ソレは、鋭角だった。鋭い結晶が寄り集まり構成された水晶体。
ソレは、不吉だった。ただ目にしただけでも言いようのない不安を見た者へと植え付けてくる。
息をのむ群衆に、エイスニック王は真っすぐ声を上げた。
「これこそが、我が国を救う切り札となる。国を守り、民を守り、そして国益を守る。これが、救いだ」
淡々と、しかし刻み込むような王の言葉。
彼が手につられる様にして、水晶体もまたゆっくりと回転しながら空中に浮かび群衆の目を集める。
「見せよう。これこそ、我らが国の新たなる一歩であると!!!」
両手を掲げるエイスニック王。同時に、彼の斜め上に浮遊していた水晶体が暗い輝きを放つ。
回転は速くなり、内包していた赤熱の光と結晶そのものの黒が混ざり合い、広場は光の地獄と化した。
そして、ソレは現れる。変化は空からだ。
まず最初に、広場に影が差した。それは太陽が雲に隠されるような一過性のものではない。
そもそも、太陽の光を遮ったのは、雲ではない。
白く柔らかな、包み込んでくれそうな羽毛の柔らかさなどソレには一切存在していない。代わりにあるのは、柔らかさとは対極に存在する硬質さ。
ソレは、まるで黒いバラのような色合いをした鱗に包まれている。
ソレは、まるで猛りを持って燃え盛る炎を圧縮したような紅蓮の瞳を持っている。
ソレは、まるでこの世の絶望というものを押し固めたかのような姿で現れる。
ソレは、正しくこの世に存在する生物の頂点。
息をのみ、空を見上げる民衆にエイスニック王は笑みを浮かべる。
「――――古文書に記された
高々とした王の宣言。それは、広場の隅から隅へと響いて染み渡り、一拍を置いて歓声の爆発として返ってくる。
国民は、悪龍がどういうものかなど理解しているかと問われれば否だ。ただ、こうして見ただけでも平伏してしまいそうな存在が自分たちを助けてくれる。その点だけを認識し、そして歓声を上げた誰かに引っ張られるようにして声を上げていた。
彼らは知らない。群衆の中に、私服姿の兵士が混ざっていたことなど。
全て、王と重臣、並びに導師長の仕込みだ。
ほくそ笑む上層部は知らない。
知る由もなかった。
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