異界探訪ドラギニョル

白川黒木

第1話 召喚

 龍ヶ崎辰巳りゅうがさきたつみがソレに気が付いたのは、本当に偶然の事だった。

 高校一年生である彼は、そろそろ歩き慣れ始めた通学路を歩いていた。

 自転車で向かうほどの距離でなく、当然ながら電車など使う必要もない公立高校。歩く生徒は疎らで、少なくとも辰巳と交友のある誰かは居なかった。

 一人だ。その事を気に病むような性格をしているわけではないが、手持無沙汰であることには変わりない。

 黒いアスファルトの歩道を進みながら、ガードレールを一つ挟んで風を巻きながら疾走する車を眺めたり。クリークを流れる水の流れを眺めたり。はたまた、アーケードの商品棚に並ぶ食べ物を遠目に眺めたり。

 特別意味はないが、暇つぶし。部活などに入れば別かもしれないが、彼の通う高校では強制入部などは無かった為、帰宅部に甘んじていた。

 その日も、辰巳は一人帰路についていた。未だに新しさの残るローファーの踵をすり減らしながら亀の歩み。

 いつものように道行く車を眺め、田んぼを縫うように流れるクリークを眺め、ゆったり歩けばアーケードにたどり着く。

 人の賑わいを聞きながら、ふと辰巳は小腹が空いた感覚を覚えた。

 腹を摩り、左肩に背負ったスクールバッグを腕を伝うようにして下ろし、チャックを引き開ける。

 その場に立ち止まって、暫くバッグの中を漁って取り出したるのは黒い長財布。

「…………うん?」

 開いて中身を確認しようとしたところで、辰巳は視界の端で何かが光った様に感じた。

 首を傾げながら顔を上げて、光った方を見てみればそちらはシャッターの閉じられた二つの店舗の間。

 それは、言い表すならばアイスティーに流し込まれたガムシロップか。もしくは夏の熱せられた路面の上で揺らめくカゲロウかもしれない。

 とにもかくにも、光の揺らぎがその隙間を埋めていた。

 辰巳は、不思議な感覚を覚えていた。どうにも、その揺らぎから目を離せないのだ。

 それは宛ら、光に魅入られ引き寄せられる羽虫のよう。病人のような覚束ない足取りで、彼の体は光へと引き寄せられていく。

 伸ばされる右手。周りに誰かが居たならば、彼を止めてくれたかもしれないが、生憎と連れはおろか周囲には人影どころか人気もいつの間にか消えている。

 そして、世界は暗転した。



 とおい とおい むかしのはなし

 そのせかいのひとびとは あらそってばかりいました

 ひがしのくにでは ひとどうしが

 にしのくにでは おうさまどうしが

 きたのくにでは ひととそれいがいのいきものが

 みなみのくにでは しぜんとひとが

 

 あらそいは なんねんも なんねんも つづきました

 むらが まちが くにが いくつも いくつも ほろんでいきました

 それでも ひとびとは あらそうことをやめません


 けんをてに ゆみをてに やりをてに たいほうをてに まほうをてに

 

 そしてひとびとは やってはいけないことにも てをだしてしまいました


 それは とおい とおい むかしのはなし

 ひとびとのわすれてしまった いましめのおはなし



 東の国。東部には大海を臨み、西部には森林と草原地帯が存在する肥沃な土地をもとに発展してきた大国の一つ。

 その肥沃な土地を狙い、海洋国家の南の国や寒気の厳しい北の国と小さな諍いの絶えない今現在。首脳部、もとい上層部はとある太古の秘術へと手を出していた。

「導師長、陣の形成が終了しました」

「うむ、そうか。であるならば、く始めるとしよう」

「はっ」

 小走りに持ち場へと戻っていく部下を見送り、蓄えた白い顎髭を扱きながらウィルゲンタース導師長はこれから待っているであろう顛末へと思考を巡らせる。

 石造りのこの大聖堂地下に設けられた隠し祭壇。駆け回る同じく灰色のローブを纏った者たちは皆、ウィルゲンタースの部下たちだ。

 彼らがこれから行うのは、国の禁忌書庫に忘れ去られていた太古の秘術。

 絶大な力を齎す事のできる術でありながら、忘れ去られていたのはその術そのものの非道さがあった為。

 使うことはおろか、後世に伝える事すらも許さず風化させる、その筈であった存在。

 だが、この国はそんな非道に手を染めねばならないほどに困窮していた。

「北と南が手を組んだ。眉唾であるならば良いのだが、それが事実であった場合は我が国は風前の灯火となるだろう。備えなければ」

 ウィルゲンタースの年老いながら、しかし光を失わない灰色の瞳が陣を睨む。

 大切なのは、国の存亡。この秘術の行使を決定したのは国王とその周りの一部重臣たち。

 国民や末端の兵、将軍などには伝えていない。政治は、綺麗事では回らないが、だからといって常に周囲からの理解を求める必要などないのだ。

 時計の針は進み、儀式が始まる。

 薄暗い隠し祭壇であるこの部屋に、最初に走るのは白い光。陣を構成する線や文字、記号がその光源となっている。

 白い光は、徐々に徐々に明滅を繰り返しながら違う色へと変わっていく。

 赤、青、緑の三原色。マゼンダ、シアン、イエローの三原色。互いが互いに混ざり合うことで極彩色を形成し、やがて至は白と黒。

 光は混ざり合い、やがて灰色となりより強い光が薄暗がりの天井を舐める。

 ウィルゲンタースがそこで大きく息を吸い込んだ。

「来たれ、楔と成りし者。その羽搏きは空を割る。踏みしめし脚は地を砕く。猛る咆哮は大海を荒らす――――出でよ、巨竜!大いなるアギトを持ちし者よ!」

 両手を広げ、最初は小さく徐々に大きく。同時にウィルゲンタースの両目は、生物の限界を超えた発光を見せた。

 吹き荒れる力の奔流。それは、陣の中で大きく渦を巻き、石の壁面に亀裂を走らせながら中央に向けて圧縮していく。

 やがて光と力が混ざり合い、陣の中央にとある形を象っていった。

 

 ソレは、人だった。

 ソレは、軍人のような黒い詰襟の装束を纏っていた。

 ソレは、右袖だけ無くなっており、露になった右腕には幾何学的な紋様が浮かんでいた。

 ソレは、十代半ば程の少年の姿をしていた。

 

 陣の中央に大の字で倒れる少年。目元が前髪で隠れて陰になり、だらりと開かれた口には生気を感じない。

 明らかな異常だが、しかし周囲、それこそウィルゲンタースすらも少年の様子には一切意識を向けてはいなかった。

「成功か?」

「その様です。右腕に、古文書に記載されていたモノと同じ紋様を確認しました」

「そうか……では、

「はっ!」

 ウィルゲンタースの命令を受けて、場が動く。

 倒れる少年の周りを囲むように四人が立ち、それぞれがそれぞれの両隣の相手と手を合わせ一人一人を頂点とした四角形を形成。

 呼応するように、少年の右腕だけが肩口から指先まで半透明の箱の中へと収められていた。

 そして――――

「あああああああああ!?!?!?」

 絶叫が隠し祭壇内に木霊する。

 石造りの床を汚すのは、鮮やかな赤。

 絶叫し、右肩口を押さえてのたうち回る少年だが、周りは彼を一切見ることなく切り離された右腕に夢中だ。

「ようやくだ。これで、我が国は救われる」

「残りはどうしますか、導師長」

「止血し、人目につかぬところで生かしておけ。楔が死ねば契約もなくなってしまうからな」

「畏まりました」

 そこには、一切のは存在していなかった。

 現に、ウィルゲンタースは部下より透明な箱に収められた右腕を受け取ると少年を一瞥することなく隠し祭壇の出入り口へと踵を返してしまったのだから。

「…………」

 その背中を見つめる霞んだ目があったなど、彼はついぞ気付くことはなかった。

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