第18話「私の中の世田谷桜」

「お待たせいたしました、お姫様」

「あ、ありがとうございます」


 千歳さんは湯気の立つマグカップを私の前に置く。

 コーヒーと牛乳の混じりあった、柔らかくも香ばしい匂いが私の鼻をくすぐる。


「いただきます」

 

 私はマグカップを手に取り1口飲む。するとコーヒーの苦味が牛乳のまろやかな甘味で中和された、優しくもコク深い味わいが私の口の中に広がる。


「はぁ……美味しい」

 私はホッとひとつ息をもらしそうつぶやく。


「そうだろう。砂糖は入れず、シンプルにコーヒーと牛乳のみ。これぞまさしく真のコーヒー牛乳。至福の一杯さ」


 テーブルをはさみ私の向かいに座る千歳さんは、マグカップを手に持ちながら満足そうにそう言うと、コーヒー牛乳を1口飲む。

 そして「ふぅ」と一息つくとマグカップを置き私を見る。


「和泉君、今日は来てくれてありがとう。急に誘ってしまってすまなかったね」

「いやっそんな全然。こちらこそ、要が急に連絡してすみませんでした」


 私は申し訳なさそうな顔をする千歳さんに手の平を向け、そんなそんなという感じに左右に振る。


「いやいや、謝る必要はないさ。私は君と会って話しをしてみたいと思っていたからね。だが中々きっかけがつかめなくて、どうしたものかと思っていたくらいさ。だから昨日の連絡は渡りに船だったよ」

「私と会って話しをしてみたい……ですか?」

「ああ、そうさ」


 千歳さんはそう言うとひとつウインクをした。


「桜──社長の世田谷桜や弥生君に二葉君、そして要君から君の話しは聞いていてね。なんだか私に似たところがあるなと、勝手に親近感を抱いていたのさ」

 

 千歳さんは私にほほえむ。

 私と千歳さんが似ている? いやいやいや、そんなそんな、恐れ多い。

 背も高く朗らかで紳士然として格好いい千歳さんと、最近ますますお腹の肉が気になりだした私とでは月とスッポン、くじらとイワシだ。


「性格や表面的な話しではなく、普段とVチューバーとして活動している時の、立ち居振る舞いに差があるところが似ているなと思ってね。──和泉君、昨日私からのメッセージを見て、”長春ゆるしっぽくないな”とは思わなかったかい?」


 千歳さんはいたずらっ子のような笑みを顔に浮かべながら、私に問いかけきた。


「えーっと……まあ、それは……はい、正直……」

「ふっふっふ、そうだろうそうだろう。よしよし、正直でかわいい子猫ちゃんだ。100点満点さ」


 千歳さんは私の返答に満足そうな顔をする。

 そう、私は昨日千歳さんからのメッセージを見て、長春ゆるしのイメージと違うなと思ったのだ。


「そしてそれと同じようなことを、私も君に対して思っていたのさ。カラフルのみんなから聞く君は大人しくて優しい子猫ちゃん。だが錫色れんがは自由気ままなイタズラ猫。男前な私と聖母な長春ゆるしのように、正反対と言ってもいいくらいに差があり、普段はまったく“ぽくはないな”と」


 千歳さんは自分の言葉にうんうんと頷く。

 

「それは──、たしかにそうかもしれません。私と錫色れんがは正反対で、普段の私には“錫色れんがっぽさはない”と思います」

 

 私は千歳さんの言葉に同意を示す。

 ただそれと同時にある疑問も浮かびあがってくる。


「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」

「ああ、もちろん。ひとりと言わずいくつでも聞いてくれたまえ」


 千歳さんは大仰に両手を広げ、なんでもこいと構えてみせる。

 その仕草はまるで舞台役者のようで、とてもさまになっていて格好がいい。


「ありがとうございます。あの、どうして千歳さんは正反対な感じなんですか? 私はその、普段こんな感じなので、その反動というか、普段は表に出せないものを、錫色れんがでいる時は出せている感じなんですけど、千歳さんならそのままで十分格好いいというか、大丈夫そうな気がするんですけど」


 私は疑問を千歳さんに問いかける。

 そう、私と違って、千歳さんは明らかに普段の状態でも配信が出来る性格というか雰囲気だ。男前なこの感じは人気も出そうだし。

 それなのになぜ、正反対の立ち居振る舞いで配信をしているのかが疑問なのだ。


「お褒めに預かり光栄ですお姫様。──なんてセリフはさておくとして。私が正反対なのは君と同じ理由だよ、和泉君。私も普段は表に出せないものを、長春ゆるしでいる時は出せているのさ」

「えっ! そう、なんですか……?」


 私は千歳さんのまさかの返答に驚く。

 だって私と同じ理由だなんて、つゆほども思っていなかったのだから。


「ああ、そうさ。長春ゆるしでいる時の私は、私とは正反対で私の憧れである、世田谷桜のような立ち居振る舞いをすることができるのさ」

「世田谷さんのような……」


 私は千歳さんの言葉にとても思い当たるものがある。

 私が初めて世田谷さんと会った面接の時、私は世田谷さんに長春ゆるしの面影を見たからだ。


「私と桜は実は幼なじみでね。もうかれこれ20年以上の付き合いになる。桜は昔から今のような聖母みたいな感じでね。学生のころはみんなから『お母さん』なんて呼ばれていたものさ」


 千歳さんは当時を思い出したのか「ふふっ」と笑いをこぼした。

 お母さん……世田谷さんにこれほどよく合うあだ名はないだろう。


「それと同じように私も昔からこんな感じでね。舞台役者で花形男役をしていた母の真似を幼いころからしていたら、すっかり大仰で男前な振る舞いが染み付いてしまったのだよ」


 千歳さんは両手を広げて手の平を上に向け、やれやれという仕草をしてみせる。なるほど、私がさっき舞台役者のようだと思ったのは、あながち間違いではなかったのか。


「しかしそれゆえに私と正反対、私にはないものを持つ桜に対して、昔から憧れを持っていてね。とはいえ、男前が定着してしまっている私には、桜のような言動や行動をとるのは、どうにも恥ずかしくて出来なかった」


 千歳さんはマグカップを手に取りコーヒー牛乳を1口飲む。


「だがそんな普段は表に出せない“私の中の世田谷桜”を、私であって私ではない長春ゆるしでいる時は表に出すことが出来る。これが、私が普段と長春ゆるしでいる時の、立ち居振る舞いが正反対の理由さ。──どうだい、和泉君。君と同じ理由だろう」


 千歳さんは私にほほえみ問いかける。

 私はそれに「はい」と短く答えて頷く。


「でも正直、なんだか意外でした。千歳さんみたいに自信に満ちた人でも、私みたいに普段は表に出せないものがあるなんて、思ってもいなかったので」

「はっはっは、和泉君、人間なんてみんなそんなものさ。人は皆、誰しも悩みや秘密、裏の顔を抱えているものだよ」


 千歳さんは世界を牛耳る秘密結社のボスのようにニヤリと笑う。

 いや、さすがにこれは誇張しすぎか。


「さてそれでは和泉君。君は私の秘密を知ってしまったわけだが──ふっふっふ、はたしてこの家から無事に帰れるかな?」

「ええっ!? なんか急に展開おかしくなったんですけど!?」


 千歳さんは、私が先ほど誇張しすぎと思ったことが誇張しすぎではなく、むしろ正しかったと言わんばかりの悪い顔をしている。

 

 突然の超展開! どうなる私!──なんて慌ててはみるけど、千歳さんの顔はいたずらを思いついた子供のように楽しげだ。

 せっかくだから、ここはひとつのっておきたくもある。んー……なにかいい言葉は──あっ。


「同盟! 同盟を組みましょう千歳さん! お互い似た者同士、秘密を共有するもの同士ということで、同盟を組むのはどうでしょうか?」


 私はマグカップをスッと千歳さんに寄せて、乾杯の準備をしてみせる。

 私がなぜ同盟という言葉を使ったのか。それは、世田谷さんが私との面接の時にその言葉を使ったからだ。

 

 千歳さんと世田谷さんは幼なじみで、20年以上の付き合いと言っていた。

 それほど長い付き合いがあるのであれば、どこかしら似たところが出てくるはず。それならばこの言葉は、千歳さんにも受けがいいのではないかと踏んだのだ。


「ほぅ、面白い提案だ。ふっふっふ、よろしい。ではこれから仲良くしてくれたまえよ、和泉君」


 千歳さんは私の同盟提案に満足そうな顔をして、マグカップを寄せてくる。

 よし! 大成功だ!


「いえいえお代官様。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」

「ははっ時代劇になってしまったね。──和泉君、急な寸劇に付き合ってくれてありがとう。では、乾杯」

「はい、乾杯」


 私と千歳さんは互いに笑みをこぼしながら、コーヒー牛乳で乾杯をし同盟の誓いをかわすのだった。


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