第17話「気軽に千歳と呼んでくれたまえ」
「和泉君は何にするかね? コーヒーに紅茶、日本茶にリンゴジュース。ワイン、ビール、日本酒、ウイスキー。なんでもござれだ」
カウンター付きのオープンキッチンにいる黒髪ショートの長身の女性、
「ちなみに個人的なおすすめは、コーヒーに牛乳を入れた、文字通り言葉通りのコーヒー牛乳だ」
「あ、じゃあ、それでお願いします」
「よしきた。では、しばしお待ちを」
私の返事に千歳さんの明るく揚々とした声が返ってきた。
私はキッチンにいる千歳さんの姿をしばらく眺めたあと、窓際に視線をうつす。そこには3段のフラワースタンドがあり、大小様々なサボテンが飾られていた。あれがゆるちゃんが配信で言っていた、噂の『サボテン王国』か。
そう私は今、千歳さん──カラフルのメンバーにして私の先輩、Vチューバー“長春ゆるし”さんの家に来ている。
ついにというかなんというか、個人的最推しとの
◇◇◇◇◇◇◇
「ねえ要、『ASMR』って知ってる?」
私は我が物顔で私のベッドに寝そべる要にそう聞いた。
「んー……えーえすえむあーるっすかぁ?……じりつかんかくぜっちょうはんのうってやつっすよね……」
要はうつぶせのまま顔だけ私の方に向け、眠そうな声で謎の呪文を唱えた。
「え? なに? なんて? じりつかんかく──……なんて?」
「『自律感覚絶頂反応』っす。『ASMR』の日本語直訳っす」
「へ〜知らなかった──って、そういうことじゃなくて!」
私がテーブルを両手でペシペシと叩きながらつっこみをいれると、要は「くっくっくっくっくっ」と楽しそうに笑う。
「わかってますって。耳元で内緒話する感じのやつっすよね。千歳さんがよくやってるやつ」
「そう内緒話──って、ん? 誰って? ちとせさん?」
私は要が口にした名前に聞き覚えがなかったため聞き返す。
「誰って千歳さんっすよ千歳さん。ほら長春──あっ。……いや、なんでもないっす。ただのあたしの知り合いっす。気にしないでください」
要はそう言うと私に向けていた顔を枕にうずめる。
「いやいや、気になる気になる。ちょいちょいちょい、誰よちとせさんって」
私は突然話しを切り上げた要に近づき、要の身体を両手で揺する。
「ぐーーぐーー」
だが要はそんな私をスルーして、わざとらしい寝息をたて寝たふりを決めこむ。これは私が諦めるまで起きないつもりだな。
一体誰だ、ちとせさんって。なんだか私も知っているような口ぶり──っていうか、要さっき“長春”って言ったよね?……まさか。
「ちとせさんって、もしかしてゆるちゃん──長春ゆるし?」
私がそう口にすると、要のわざとらしい寝息がぴたりと止まった。
だが要はなにかを口にすることはなく沈黙している。それに対抗して私も黙り、要の様子をうかがう。ここは先に動いたら負けだ。持久戦持久戦。
「…………うー、口が滑ったっす」
沈黙を嫌った要が顔を上げ口をひらいた。そして私の方を見る。
「先輩、まだゆるし──長春ゆるしの中やら魂やらの千歳さんと、直接会ったことないんすよね。だから名前出さないように気をつけてたんすけど、やっちまったっす……。豊島要……一生の不覚……」
要は再び枕に顔をうずめる。
まあ要のその仕草は理解できる。Vチューバーの中やら魂の名前はデリケートな話しであり、本人の許可なく面識のない者に教えていいものではない。
「えーっと、まあ、誰でも口が滑ることはあるし、誰にも言わないからさ」
私は珍しくヘコむ要にフォローの言葉をかける。
「うー……そうかもしれないっすけどー。──そもそも先輩が寝ぼけてるあたしに、ASMRがどうこう言うからっす」
要は顔を上げむくれっつらで私を見る。
おっとっと、へいへい奥さん、この人責任転嫁してきましたぜ。
「ってかどうしたんすかいきなり? ASMRやるんすか?」
要はむくれっつらから普段の顔に戻り、私にそう聞いてきた。
「ん? いや、リクエストがあってさ。それで興味というか検討中というか」
「なるほど」
私の言葉に要は短く頷く。
いやでもASMRか……。検討中とは言ったものの、正直ハードルが高いというかなんというか。
ホラーゲームのプレイ中に、すきあらばゾンビやら怪物の前で反復横跳びをするような、イタズラ好きで小生意気なキャラなんだよね、錫色れんが。
だからASMRみたいに、しっとりというかまったりというか、そういうのは正直だいぶ気恥ずかしい。
聞くのは好きなんだけどね。
ゆるちゃんのリクエストされたセリフを言うASMRとか最高だし。
でもあれを私がやるとなると、考えただけで顔から火が出そうになる。
「……あっ! そうだ!」
「おうっ!?──びっくりしたぁ……」
私が考えにふけっていると、要は急に大きな声を出しガバッとはね起きた。
「なに? どうしたの急に?」
「いや会えばいいんすよ千歳さんと! んでASMRのこと聞くなり一緒にやるなりすれば万事解決っす!」
要はひとりで納得したように頷くと、スマホをなにやらいじりだす。
「えっ? いやちょっ、会うって? 私がちとせさんと?」
「そうっすそうっす。今メッセージ送ったっす」
「えっ!? ちょっ、ええっ!?」
私は要のあまりの行動の速さについていけず、驚くことしかできない。
いやいやいや、なんでいきなりそんな──あっ、さては要のやつ、私とちとせさんを早々に引き合わせて、自分の失敗をなかったことにしようとしているな。
「あ、返事きたっす」
「もう!?」
私は要の思惑に気がついたが、すでにことは超スピードで進行しており、完全にリアクション担当になってしまう私。
解せぬ。当事者のはずなのに私が口をはさむ暇がない。
そんな蚊帳の外状態の私に、要はスマホを「はい、どーぞ」と手渡してくる。私は受け取るしかすべはなく、画面に目をやる。
そこには『れんが君へ』で始まり、いくつかに分割されたメッセージが映っていた。
『れんが君へ。初めまして子猫ちゃん。要君から話しは聞かせてもらったよ。ぜひ一緒にASMRをやろうではないか』
『よし、善は急げだ。明日の夕方以降、都合がつく時間はあるかい? ああ、もちろん日をあらためてでもオッケーさ』
『おっと、そういえば自己紹介がまだだったね。これは失礼。私の名前は長春ゆるし、しかしてその実体は墨田千歳と申す者だ。気軽に千歳と呼んでくれたまえ。その方が仲が良さげでいいだろう』
…………これは、なんというか、うん。あれだ。
ま、まぁ、一緒にASMRをやりたいと思ってもらえているのは、素直に嬉しいことではある。
私はちとせさん──あらため墨田千歳さんからのメッセージを見て、色々と思うところがありつつも、要のスマホを使いメッセージを返すことにする。──が、その前にだ。
私はスマホから顔を上げ、この状況を作りだした要を見る。
要は私と目が合うと、ふふんと鼻を鳴らして見事なまでのドヤ顔を披露する。
「せいっ!」
「ぐえっ!」
私は要の右脇腹に手刀突きお見舞いしてやった。
◇◇◇◇◇◇◇
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