第10話 僕の最期の向こう側
気が付くと朝ご飯を食べていた。
今日のメニューは「牛肉&白身魚ミックス」。まったく違う2種類の味を組み合わせることによって、新しい味を作り出している逸品だ。
ところで今日、僕は朝の日課のストレッチはしたのだろうか?右の前足におしっこをかけずに、トイレを済ますことはできたのだろうか?
何故だろう、どうしても思い出せない。
「ごちそうさまでした。」
唯が両手を合わせて食後の挨拶をした。
唯は一人で食事をするときでも、「いただきます」と、「ごちそうさま」は欠かさない。
なんでも祖母が戦争経験者で、食べ物の躾にうるさかったらしい。
僕も唯に倣い、手を合わせる。
(右手、臭っさ!)
やはり右手におしっこはかかっていたらしい。
「今日は何をしようかな。まずは洗濯物を片付けてから、部屋の掃除でしょ?夕飯の買い物に行って・・・そうそう、おだんごちゃんのご飯も買ってこなくちゃ。これ忘れたら、朝晩カリカリご飯になっちゃうからね。」
確かに、それだけは御免被りたい。
大学は休みなのだろうか?つい先日まで試験やらレポートやらで忙しいって言っていたが、ここ数日、唯はのんびりと家で過ごしてているように思える。
たまに研究室には顔を出しているようなので、また大学に行かなくなってしまったというわけでは無さそうだが。
「おだんごちゃんは、夏休みにどこか連れてっても大丈夫な子かなぁ。」
唯は独り言を言って首をかしげている。
どこか行く?旅行ってことかな?
唯とだったらどこにでも行くけど、僕専用のトイレとゲージは持っていくことを進言します!
「猫ちゃんって、家から離れると不安になっちゃうって子が多いって言うから、そういう時は梓にでも預ければ良いか。」
がーん!!
そんな!トイレも専用じゃなくて良いです。大人しくします。だから連れてって下さいよ〜。
そうこうしているうちに、洗濯機から終了を知らせる音楽が鳴った。
唯はパタパタとスリッパの音を立てて脱衣所に行き、洗濯かごに半分ぐらい入った洗濯物を持って戻ってきた。
慣れた手つきで洗濯物をハンガーにかけてベランダに干していく唯。さすがに下着だけは室内に干すと決めているらしく、別のピンチハンガーに吊るしていく。
洗濯が終わると、次は掃除だ。
もともと片付いている部屋なので、そんなにこまめに掃除をする必要は無いと思うのだが、どういう訳か唯は休みの度に掃除をしている。
唯がクローゼットから掃除機を出してきた。少し前の型であるが、サイクロン式の吸引力が変わらないやつだ。
「おだんごちゃんがいるから、抜け毛が結構あるんだよね。」
・・・。
はい、すいませんでした。
伝わらないのは知っているが、一応謝っておく。
最近の掃除機は音が静かだと思う。
昔の紙パック式の掃除機は、バイクのエンジンのような音がしているのに、吸引力はあまり無いときている。
掃除機という商品が開発された当初は、画期的であったと思われるが、さらに良いものを使ってしまうと、前のものには戻れない。
人間というものは、どうしてこうも利己的なのだろうか。
話は変わるが、掃除機の動き・・・なんとも魅力的だ。一定のリズムで前後に動く。これが、ハンターの本能をくすぐるのだ。
前、後、前、後・・・。
ああ!もう我慢できない!
僕は一旦ソファーの影に隠れると、腰を高く上げた。
尻尾を立て、おしりを振る。
瞳孔が開き、ノズルの動きに集中する。
後ろ足で床を蹴り、一気にトップスピードまで加速。ノズルとの距離を縮め、爪を立てた。
「ちょっと、おだんごちゃん邪魔。」
唯はノズルから僕を引き剥がすと、床に置き掃除機のノズルを向けてきた。
思いのほかノズルが近く、僕の背中を掃除機が吸った。
あ〜、吸〜わ〜れ〜る〜。
結構、気持ちがいい。クセになりそうだ。
「あ、おだんごちゃん、ごめんごめん。」
唯はそう言って、掃除機の電源を急いで切った。
「ごめんね、おだんごちゃん。ビックリしちゃったね。」
僕の背中を撫でながら言う唯。
僕はというと、もっとやって欲しいという気持ちがありつつも、変な趣味に目覚めても困るので、これ以上ねだるのはやめようと思っていた。
隣の部屋で携帯が鳴っている。
僕は唯に知らせるために、隣の部屋の扉の前で「にゃあ」と言った。
「携帯が鳴ってるの、教えてくれたの?おだんごちゃんはすごいね。」
唯が頭を撫でてくれた。僕は喉をゴロゴロと鳴らす。
「はい・・・先日はありがとうございました。」
何の電話であろうか。電話に出た唯の声に、少し緊張があった。
「そうなんですね。ありがとうございます。」
何か良いことでもあったのだろうか?
「はい、今日の19時、駅前に、ですか?随分と、遅い時間ですね?・・・そうですか、お仕事終了後なのに申し訳ありません。イタリアンですか?はい、大丈夫です。」
待ち合わせかな?
「はい、お待ちしています。近藤さんもお気をつけていらっしゃって下さい。」
心なしか唯の声が弾んでいるように聞こえる。
「おだんごちゃん!すごいよ。こないだの就職支援イベントに来てた卒業生なんだけどね。もう一度話を聞いてくれるって。話の内容によっては推薦してくれるみたいな事言ってくれてるの。」
興奮した口調で話す唯。
無理もない。周りが内定を取っていく中、自分だけが内的を取れずに、取り残されてしまったような感覚でいたことだろう。
研究も出遅れ、就職活動も出遅れている。
こういう短期決戦の物事に関して言えば、一度遅れを取ると取り戻すことは容易ではない。
「その人ね、近藤さんって言うんだけど・・・。」
唯の声はどんどん興奮していく。
(近藤?今、近藤って言ったよね?!)
「近藤さんも、急だよね。今日の夜7時って、忙しいのは分かるけど、せめて前日に電話してほしい。」
(近藤?そいつはヤバイって!ねぇ、聞いてる?)
「そう言えば、最近、美容院行ってない。あぁ、毛先傷んでるよ。美容院行っといたほうが良いよね。今から予約取れるかな?」
唯は独り言を言いながら、スマホをいじりだした。
「美容院はなんとかなりそう。スーツはクリーニングから返ってきてるから大丈夫だし・・・。」
(唯!聞いてよ!そいつはヤバイんだよ!)
「おだんごちゃん、さっきからどうしたの?今、急いでるんだ。」
僕の言葉は唯には届かない。
もう、どうすればいいか分からなかった。
「じゃあ、美容院行ってくるね。」
駄目だ、何とかして伝えないと。
僕は唯のスマホを奪い取ると、ストラップを咥えて寝室のキャビネットの上に飛び乗った。
「おだんごちゃん返して、いい加減にしないと怒るよ。」
唯が語気を荒げる。
違うんだ、怒らせたいわけじゃ無いんだよ。どうして分からないんだ。
ジリジリと近づいてくる唯。それに合わせて僕も少しづつ後退る。
尻尾に何かが当たった。
それは、茶色いトラ猫の置物だった。
いつからキャビネットの上に置いてあるかは忘れたが、いつの間にかここに合った。
ちょっとブサイクな顔をした猫が、あぐらをかいてこちらを見上げていた。口元に浮かべた笑みが無性にイライラする。
(邪魔だ!下がれないじゃないか!)
僕は猫の置物を後ろ足で蹴ると、さらに後ろへと下がった。
キャビネットの上から猫の置物が落ち、乾いた音を立てて割れた。
唯の表情を見た。
真っ青だった。
「これ、涼太と買いに行ったのに。おだんごちゃん!どうしてこんなことするの!」
唯が猫の置物の近くに崩れ落ちた。両目には涙が浮かんでいる。
僕と買いに行っただって?!何のことだ?そんな置物、僕は知らない。
僕は僕で混乱していた。
確かに唯は言った「涼太と買いに行った」と。何だよそれ、僕は知らないぞ。
頭が割れるように痛い。
僕はスマホのストラップを口から離すと、キャビネットから飛び降りた。
フラフラと唯に近づく。
(ねえ、僕と買いに行ったってどういうこと?嘘だよね。勘違いだよね。ねえ、言ってよ!嘘だって言ってよ!)
「おだんごちゃん、ゴメン。今は優しくできそうにない。時間だし、美容院行ってくる。」
唯はそう言って、携帯を拾ってからハンドバッグを持って玄関から出ていった。
僕は茶色い猫の置物を見た。床に散らばった破片の中央で、半分に割れた猫の顔が不気味な笑みを浮かべてこちらを向いていた。
太陽が一度真上まで昇り、もうすぐ西の空に沈む。
僕は相も変わらず、半分になった猫の置物と向かい合っていた。
さっき唯が帰ってきて、スーツに着替えてまたでかけていった。
唯とは会話を交わしていない。
僕はテラス戸を開けると、ベランダに出た。
(今、やらなきゃならないことをやらなきゃ)
僕はベランダの手すりの上を通り、非常階段に飛び移った。そのまま階段を降りると坂を下った。
僕は情報を整理した。
唯が言っていた事で覚えているのは、駅前・イタリアン・19時・夜の7時。
この情報から推理か、まるで探偵だな。
駅前っていうのは多分集合場所。駅のこちら側は学生向けの食堂が多いから、反対口の可能性が高い。
イタリアンを食べに行くのだろうが、店はどこだ?駅の反対側のエリアにはイタリアンのお店が3軒。ドレスコードにうるさいリストランテに行くとは思えないから、トラットリアか、イタリアンバー。
はじめから下心丸出しでお酒を勧めるとは思えないから、トラットリアの可能性が高い。
19時とか夜の7時ってのがよく分からないが、とりあえず行ってみるしかない。
(兄貴、どうしました?)
途中、いつもの空き地でミケとクロに会ったが、かまっているヒマはない。
二匹には悪いが、無視して通り過ぎさせてもらう。
(ああ!何で急いでる時に限って、信号に引っかかるのかな?!)
駅前の信号は踏切と連動してるから、運が悪いと結構長い時間待たされる。
案の定、踏切まで鳴り出した。
しかし、こういうときほど平常心を保たなければ。焦って飛び出して車にでも轢かれたら元も子もない。
目的のトラットリアは商店街を抜けた少し先にある。小さなお店であるが、創作料理と美味しいワインが評判の店だ。
夏の間はテラス席も開放しており、イタリアンビールを片手にチーズで乾杯もできるラフな一面もあるため、学生にも人気がある。
僕は商店街を一気に駆け抜けると、トラットリアの塀の上に飛び乗った。
(唯は?唯はどこだ?)
トラットリアの中を見回すが、唯の姿は無い。
(いない?そんな馬鹿な?まさか、リストランテか?)
確か駅前のリストランテは二階建てだったはず、あそこに入られると、もうお手上げだ。
「すいません、近藤さん。大学の近くまで来ていただいた上に、お食事までご馳走になっちゃって。」
どこからともなく、唯の声が聞こえてきた。
僕は周りを見渡す。
どうやら唯は店内ではなく、テラス席の方へ案内されたらしい。
「でも、テラス席で残念だね。どうせなら冷房の効いた中で話したかったのに。」
一緒にいる男が言った。どうやらこいつが近藤らしい。
「いえいえ、今日は比較的涼しいですし大丈夫です。」
「そうだね、この話が終わったあとのビールが上手いと思えば良いか、もちろん付き合ってくれるよね。」
近藤が言った。
何が「付き合ってくれるよね」だ!就職の話が無けりゃ、唯はお前には付き合わないよ!
「ところで、小林さんは時間は大丈夫?お家の人とか心配しない?」
「あ、その辺は大丈夫です。一人暮らしですので。」
時間?またあの言葉だ。近藤が腕につけたバンドを見ている。バンドには数字の書いた丸い文字盤が付いていた。
時間・・・、時・・・間・・・。
くっ、まただ。頭が痛い。
目の前の景色が回る。まずい、気を失いそうだ。
僕は目を瞑って必死に塀にしがみつき、転落を免れた。
時間、時間。
僕は店内を見た。近藤の腕に付いている文字盤と同じものが壁にかかっている。
僕はあれを知っている。
大事な何かを忘れてしまっているんだ。
「君のエントリーシートを見せてもらったんだけど・・・。」
近藤、うるさい!
そんなわざとらしい話をするな。
そういえば、廃校に泊まりに行ったときは誰がいた?
急に頭の中にその言葉が入り込んできた。
そんな事、分かりきってるじゃないか。いつもの四人で行ったんだよ。
唯と、僕と、あとは・・・。分かるよ、ちょっと忘れてるだけだよ。
そうだよ、思い出せるよ。
すぐにだ、すぐに思い出せるさ。
「志望動機に書かれてる、うちの商品についてだけど・・・。」
黙れ!唯に話しかけるな!
初めてのクリスマスに唯にあげたプレゼントは・・・、あれだよ、そう!指輪だよ。プレゼントって言えば指輪に決まってるじゃないか。いや違う!ネックレスだ!小さいけどダイヤのペンダントトップの。違う・・・。
猫の急須は?そんなの知らないよ。唯が勝手に買ってきたんだろ、
今日割れた猫の置物は?僕と買いに行ったって?
違うよ、唯の勘違いだよ。
「ワインでも頼もうか。」
近藤の言葉が耳に入ってきた。
駄目だ!唯はお酒に強くない。
目の前が真っ白になった。
僕はこの現象を知っている。でも知らないふりをしてたんだ。
この後・・・意識が飛ぶ。
気がついたら駅前の商店街にいた。
ここは昼間とはうって変わって人通りが少なくなる。
アーケードの両側に並んだ商店は、この時間になるとこぞってシャッターを閉め、息を潜める。
認めるしかない、意識が飛んだんだ。僕ではない猫が行動している。多分、僕が入り込む前のこの体の持ち主。
僕はもうそんなに長くは意識を保てないだろう。直感的にそう感じた。
(そんなことより、唯はどこだ?)
自分の体に起こっていることも大切だが、今はそんなことを気にしている時じゃない。
僕は周りを見渡した。最後の記憶のトラットリアからは随分と距離が離れている。これでは唯がどこに行ったのか見当もつかない。
(いったい、どれくらい記憶が飛んでたんだ?)
僕は唇をかみ締めた。
駅前からアーケードを通り、酒屋の路地を抜け、小さな食堂の前を通り過ぎる。僕はシャッターの閉まった商店街を闇雲に走った。
何もできない、僕はただ無力だった。
どうすればいい?見当もつかない。
(兄さん、こっち。)
僕は声のする方向を見た。
コンビニの角に小さな黒猫の姿があった。
(クロ、どうしたんだ。こんなところに来ちゃ危ないだろ?)
コンビニの角にいたのはクロだった。
しかし、ここに来るには信号と踏切を越えなければならない。小さなクロはいつ車にひかれてもおかしくないのだ。
(コーディ兄ちゃんに連れてきてもらったんだ。それより兄さん、兄さんの女探してるんだろ?こっちだよ。俺見たんだ。)
(なんでそれを、知ってるんだ?)
(分かるさ!俺だって男だぜ。兄さんの必死な顔見たときピンと来たぜ。)
何、生意気な事言っているんだ。
しかしクロの話はありがたい。今はどんなに小さな事でもいい、唯に繋がる情報が欲しかった。
クロはアーケードを抜けると大通りを左に曲がり、小さなラーメン屋の横の路地に入った。
(あれ?この道じゃないぞ。おかしいな。)
クロは辺りをキョロキョロしている。無理もない、子猫に道を覚えろというのが無理な話なのだ。
(兄貴、こっちだ。)
路地の奥では茶色のトラ猫のミケが僕を呼んでいた。
(ミケも来てくれてたのか。)
(兄貴には世話になりっぱなしですからね。たまには力を貸さないと。)
ミケはそう言うと、路地裏を駆けていった。
右、左、右と複雑に入り組んだ路地走り抜けるミケ。僕とクロは必死にミケに付いていった。
(あれ?たしかこっちだったと思ったんだけど・・・。)
ミケが辺りを見渡している。
まさか迷ったのか?それだけは勘弁してほしい。
(おだんごさん、こっちよ。)
声のする方向を見上げると、スマートな黒いトラ猫が僕を呼んでいた。
(ミシュラン!)
塀の上ではミシュランがこちらを見下ろしていた。
(まったく、ミケは肝心なところで抜けてるんだから。)
(面目ない。)
ミケはミシュランに平謝りだ。
(惚れた男が別の女に会いに行くのは癪に障るけど、今回は特別に力を貸してあげるわ。)
僕らはミシュランを追って、塀の上を移動した。
この方向は・・・。
間違いない、この先はホテル街だ。
何でこんな簡単な事に気が付かなかったんだ。近藤の目的を考えれば、どこに行くかなんて簡単に分かったじゃないか。
しかし、意識が飛んでからどれくらい経っているのかが、分からないのが問題だ。時すでに遅しという可能性も否定できない。
(まずいわね。)
ミシュランが立ち止まった。
(どうしたミシュラン。)
(犬がいるわ。)
ミシュランに言われて路地をみると、確かに数匹の犬が繋がれている。
(でも、僕らは塀の上を進むんだから、犬がいても問題無いんじゃ・・・。)
僕がそう言うと、ミシュランは先の塀を指差した。
(この先で、塀は無くなってしまってるわ。路地に降りなければどうやっても進めそうもない。)
確かにあと少し進むと塀は途切れ、地面に降りなければ進むことができないようだ。
地面に降りたら犬が襲ってくるだろう。
たとえリードで繋がれていたとしても、この細い路地では目の前を横切る猫に襲いかかることなど容易な事のように見える。
ここまで来て、足止めか・・・。
(戻って、別の道から行きましょう。それしか方法が無いわ。)
確かにミシュランの言う通り、ここで無理をして怪我でもしたら元も子もなくなってしまう。
(仕方がない、戻ろう。)
僕は苦渋の決断をした。
(おい、そこのノロマ。)
僕たちが来た道を引き返そうと振り返ると、どこからともなく、声がした。
(あっちに行きたいんだろ?付いてきな。)
声がした方を見ると、平屋の屋根の上に黒ブチの猫の姿があった。
(お前は、クー!)
(その名で呼ぶな!)
クーは真っ赤な顔をして怒った。
(ひとの縄張りで派手な事やってんじゃねぇよ!ゆっくり寝てられねぇじゃねぇか。)
クーはそう言うと、早くしろと言わんばかりに走り出した。
(この辺の商店は長屋作りって言ってな、家と家がつながってるんだ。だから、隣のブロックまでは屋根伝いに移動できるんだよ。)
クーが隣を走る僕に教えてくれた。
(ありがとう。でもどうして協力してくれるんだ?)
(けっ、お前に貸しを作っとけば、何かと便利だと思ってな。)
クーが乱暴に言い放つ。理由など何でも良い。今はクーの協力が有り難かった。
クーの言うとおり、屋根伝いに移動した僕たちは、ホテル街に降り立った。
(兄さん!あれ!)
クロがいち早く唯の姿を見つける。
唯のやつ、足元がフラフラじゃないか!
「こ、近藤さん、ここ何処ですか?送ってくれるんじゃ・・・。」
唯は自分の状況をやっと気付いたようだ。
「送りますよ。後でね。子供じゃないんだから分かるでしょ?」
近藤が唯に、顔を近づけながら言った。
「ちょっと、困ります。私、そんなつもりじゃ・・・。」
唯が精一杯の抵抗を試みるているが、お酒のせいで力が入らないようだ。
「良いのかな?まだどこからも内定もらってないんでしょ?来年からどうするの?」
くっ、なんて卑怯な!
唯は一度近藤を軽蔑の眼差しで見るが、すぐに俯いて黙ってしまった。
「そうそう、大人しくしとけば良いんだよ。そうすればお互いに幸せになれるんだから。」
(兄貴、どうするんですか?)
ミケが僕に聞いてきた。
そうか、猫たちは人間の会話が理解できないから、状況が分からないのか。
しかし、本当に今飛び出して良いものなのか?
確かに内定の貰っていない唯は、このままでは来年以降の不安が拭えない。
このまま近藤の申し出を受け入れる事によって、唯が幸せになれるのであれば・・・。
「早くしなよ。誰かに見られちゃうだろう?」
近藤が唯の手を強く引っ張る。
「嫌。」
唯の消えそうな声が聞こえてきた。
「ここまで来て、何言ってんだよ。早く来いよ。」
再度、近藤が強引に唯の手を引っ張った。
「嫌!涼太、助けて!」
唯が叫んだ。
僕はアスファルトの地面を蹴った。
一歩、ニ歩、三歩。
地面を蹴るたびに加速していく。
牙を剥き、地面に爪を立てる。
僕はこの時、正に野生の獣だった。
僕は近藤の顔に体当たりを食らわせると、唯と近藤の間に立ちはだった。
毛を逆立て、牙を剥く。
「シャーーー!!」
僕は近藤に精一杯威嚇をした。
「な、何だよ。猫かよ。」
突然の襲撃に驚きつつも、冷静を装う事ができるあたりが、さすが人間だ。
(俺もいるけどな。)
唯の後ろからゆっくりとミケが姿を現した。
(柄じゃ無いけど、私もいるわよ。)
続いてミシュランも姿を現し、二匹同時に近藤を威嚇する。
(俺もわすれんなよー。)
唯の横ではクロも精一杯、毛を逆立てている。
いや、お前はやらなくていい。逆に可愛いだけだ。
「な、何だよこれは。」
近藤が後退る。
(僕たちも忘れないで下さいね。)
(コーディー、シロ、三ツ星!)
茂みの奥から、コーディー、シロ、三ツ星の三匹が出てきた。
(仕上げは俺たちがやってやるよ。)
ホテルの塀の上に姿を表したクー、チー、パーの三匹が、同時に近藤を威嚇する。
「うわぁ!」
近藤は情けない悲鳴を上げながら、逃げていった。
唯はというと、地面にぺたんと座り込み、呆然としていた。
「おだんごちゃん?」
唯が僕の顔を見て尋ねる。
「にゃあ。」
僕は答える。
唯の両目から涙が流れた。
「ありがとう。怖かった、ありがとう。」
唯が僕の目を見て言った。
(どういたしまして。)
目を伏せて僕は首振った。
「涼太みたいだったよ。」
涙を浮かべながら、微笑む唯。
(だって本人ですから。)
「涼太もね、助けてくれたことあるんだ。」
(ごめんね。覚えて無いんだ。)
残念ながら、僕にはその記憶がない。
「おだんごちゃん、ずっと見守っててくれたの?」
(そうだね。心配だからね。)
「今日、おだんごちゃんに酷いことしちゃった。ごめんね。」
(良いんだよ、僕も悪かったと思ってる。)
割れた猫の置物。きっとずっと大切にしてくれていた物なのだろう。
「許してくれる?また一緒に暮らしてくれる?」
(もちろんだよ。ずっと一緒だよ。)
僕は唯の流れる涙をペロリと舐めた。
(ずっと一緒だよ。僕はずっと唯の幸せを願ってるのだから。)
西の空に一筋の流れ星が流れた。
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