第44話
ユッタの脳内で
神官らの霊体に撹乱された天使の知性が、正確にはどういった機序で認識能を働かせているのか、もはや皆目見当がつかなかった。理想の観念像である
ユッタが気にかかるのは、ほとんど一歩動くたびに立ち現れる神官の肉を動かしているものは、神官たちの言う悪しき霊性――感覚的経験の固まりだけなのか、それともコウと一体化した彼女たちの神的本質――理性的自我の集合体も含まれているのか、そのことだった。後者がユッタの認識を狂わせているのは確かだが、彼女たちが捨て去ったという肉体自体にもそれが宿っているのかは分からなかった。そもそも、人の魂がそのようにきっぱり二分割されうるのかも疑わしいのである。もし彼女たちの集合的霊体が未だ至高神に到達せず、凍境上空にでもふわふわと浮いて定位されていないままというならば、両者は完全には分化していないと考えたほうが自然ではないのか。そうだとすれば、神官の肉との対峙はコウの魂との対峙でもあるはずなのだ。そう思い、わが感覚世界を絶えず犯す聖女の嬌態の背後に一抹の希望を見て、ユッタはただただ暗い模像的合一の悦びに神官たちを
祈祷機神の下に辿り着くのに何十時間もかかった気がするが、実際には数十分しか経っていないはずであった。機神のその中心に、コウを見つけた。黒い巨人の腹部の金属は、溶けた後に冷え固まったよういびつな渦めいた曲線を描き、その奥に空いた間隙が蟻地獄のごとくコウを吸い込んでいる風情である。胸元まで巨人に取り込まれたコウの半開きの目に生気はなく、首を落として下界に向いたその顔に感情の色はうかがえなかった。彼女を見上げるたび視界は神官の裸の肌に覆われ、飛んだ意識に焼きついた虚しい交わりの残滓を振り払うよう首を振って、再びコウを仰ぎ見る。無限に振りかかる肉の層をかき分け、ただコウを見ることを望んだ。彼女だけを知ることを願った。彼女を目の前にしてさえも聖女の乳房の豪雨に打たれて何度も地面に俯かされた。地面には
(闇雲に手を伸ばすだけでは、かなわないというのか。神官の渦に呑まれた、彼女ただひとりを求めてさえ、何も知られない、何にも届かないというのか。神官と一体になった彼女をどうすれば引きずり出せる。もしや、小生は順序を間違えていたのではないか……)
さくらという地上の神は、絶対他者としての神への信仰を強調していた。他者とは何か。いかな救いを託すことさえかなわぬ、決して分かりあえることのない、わが視界に映る何者か。その外貌が単なる感覚的認識の表象、わが肉体の感覚が生み出した幻、自己の仮託にすぎないというなら、その背後にある他我とは何なのか。暗闇にうっすらと
ユッタと神官らの悲しみは同じだった。同じ空白の世界を見ていた。現実に倦み、自我に倦み、他者という違う光に照らされた違う世界を垣間見たいと願いながら、肉体という壁に阻まれることを疎んで、純白の神の国を夢見てしまった。猥雑な現実の中にふとしたきっかけを、切り口を、結節点を探すのにくたびれ、人と人、一対一で簡潔に物事を共同することに憧れた。すべての現世での愛が性愛に還元されるなど、どだい極論が過ぎていたが、目を背けずに他者と他者の向き合うことを徹底し、そのまま時を重ねてしまえば、それにしか希望がないのだと、だからこそ汚らわしいのだと思われてしまうのは必然だったのである。そぼ降る神官の肉の雨は、意識に流れこむ枯れた花の蜜は、その甘美なることにすらもはや意味はないのだと、怨嗟のように叫んでいた。彼女たちを
ぶつっ、と意識が途切れた。暗転した世界に、少女がいた。それはコウであり、リンであり、さくらであり、ミモザであり、萵苣であり、神官たちであった。顔はなかった。触れられなかった。ただ話しかけることはできた。
「君は、誰なんだ」
問うても答えはなかった。だから、自分から名乗った。
「僕は、ご覧のとおりのろくでなしだよ。人でも天使でも
目の前に火花が走り、少女の影が
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます