第43話
「うわっ」とユッタが半身を起こしたとき、リンは傍らでベッドに伏せ、泣き崩れていた。
赤い目をさらに赤くして、涙の珠を目元に溜めたリンが、顔を上げた。えっ、と目を見開き、ベッドの敷布に顔面を乱暴にこすりつけると、再びリンは振り仰いだ。
「と、突然呼吸をやめたり、突然蘇ったり、いい加減にしろというのよ。ばかではないの」
「すまない」とユッタは謝った。不思議と
「……リンは、大陸での名をディオニシアというのだよな」
「そ、そうだけど、いきなりなによ。あたしの簡明な仮名のセンスを疑うというの」
「いや、君らしいよ。けど、君のことを何も知らない自分に気づいたんだ。厄介な物事が多くて、そんなことすら聞けていなかったんだよ。そう、君のその格好もそうだ。なぜなんだい」
「どうせいやらしい女と思って、聞くのもためらわれたのでしょう。涼しくて、動きやすいから以外に理由があって。大陸ではジーノと一緒に、腕ききの冒険者としてならしたものよ」
「君はやはり、強いんだな。けれど、意外と泣き虫なところもある。今、小生のために泣いてくれていたのは君だし、岩陰でジーノに抱かれて泣いていたのも、君に違いない」
「なによ、またそのことをむし返して。慣れていることとはいえ、その、悪いの。躰を許す自分以上に、本能ばかりを持て余す馬鹿兄貴が、悲しく思えてしまうこともあるでしょう」
「そう、だったんだな。君は根っから優しいんだ。その優しさに、甘えてしまうわけだよ」
ユッタは起き上がると、不可解そうに見上げるリンに別れをどう告げるべきか、逡巡した。
「リン、小生は彼女を助けてくるよ。君はジーノとミモザ、それにできたらさくらも連れて、凍境を先に離れてくれ。小生が神官をひきつけているうちに逃げるんだ。後から、合流する」
いつの間にか、視界に
「ばかを言わないで、なにを格好つけようとしているわけ。一緒にいることに理由を問われるいわれはないわよ。その、あたしたちは誓い合ったのでしょう。何度も言わせないでくれる」
「誓いを保証したのは神官だろ。仲人自ら新郎を襲うのだから、とんだ月下氷人もいたものだ。ご破算にするつもりはないが、その契りはもっと深く知り合ってから行うものなんだよ」
「な、なにを言っているのかわかっているわけ。あたしがいて都合の悪いことがあるの」
「悪いも悪いさ。これから神官どもを百人斬りにしてやろうってんだ、とんだ男の恥だよ」
「……冗談めかすのはやめて。神官たちの霊体から、彼女を取り戻すのでしょう。それをできる人間は、あなた以外にいないというのね。形式だけでも永遠を約束しておきながら、それを破ってでも救いたい人がいるというのよね。それが、私窩子であっても」
リンは言葉を切り、首を横に振った。立ち上がって戸口に着いたところで、振り向いた。涙に腫れた跡ははや消え、そこには普段通りに強い意志を瞳に秘めた、リンという少女がいた。
「いいこと、ユッタ。あたしはこう見えて嫉妬深いのだから、覚悟しておきなさい。亭主関白も煮え切らないひょろ修道士の横っつら、ぶっ叩いてやらなきゃ気がすまないわ。せいぜい市井の女で経験を積んで、異国の美女にふさわしい男前になって戻ってくることね」
扉を開け放って飛び出したリンの背中が、そのときだけは頼りなく見えた。言い訳がましいとは分かっていたが、追いかけるようにユッタは叫んでしまっていた。
「小生は彼女のことを、君に対して以上にまったくもって何も知らない。何の関係もない、赤の他人だよ。それでも小生は彼女のことが知りたいんだ。人の暖かみを、初めて知ってしまったから。私窩子が肉即霊というなら、彼女に対する気持ちを片付けなければ、小生は神とも訣別できない。欲深いことを許してほしい。お願いだ、どうか今だけは、待っていてくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます