第31話

 神はかく語りき、といったところであった。

「とくに神さまーっ、て自覚ないんだよね。ふつうに生まれて、なんか何もなかったから、創ってみたの。偶然この世界の最初に生まれただけで、主観的認識のレベルは君らと変わるところって多分ないよ。あっ、おれ頭いいわっ、て意識ができた瞬間から脳みそぐるっぐるしてたくらい。んで、頭にすっごく綺麗なイメージがあるんだけど、ぼんやりとしか覚えてないのね。霞がかったようなそれをなんとかつかもーと考え考えするんだけど、どうしても漠然としか思い浮かばない。しゃーなしだなっ、ともう考える前に手を動かしたわけ。そんでできたのがこの世界」

 さくらは寝転がったまま、窓が切り取る小さな夕暮れの空を見上げている。

娼婦プルーニコスに教えられて、この記憶は天界の光景だったって知った」

「……どなたですか。天使アイオーンとやらのおひとり、とか?」

 コウは錯誤神サクラスを自称するさくらに、疑りを込めて訊ねた。まともに取り合うつもりはなかったが、とりあえず相手にしていれば退屈はしのげそうだった。余計に疲れそうだが、お伽話は嫌いではない。出来が悪くなければ、まったくの虚言でも構わなかった。

「そうそう、最初の天使って名乗ってた。今の神官は母胎者メトロパトゥルって呼んでるよね。前の世界じゃ、マリアとか呼ばれてたと思うけど」

「前の世界……」

「ちょう昔の世界。昔すぎて、微視的に似ることあっても今と連続性ないし、そう呼んでる。で、信仰上の娼婦プルーニコスは、前の世界での神の母だったの。神格化以前の現実に、マリアと呼ばれる女は数人いて、そのうちの一人が娼婦だったから、聖母とも娼婦とも悔悛者とも解釈された。よその女神崇拝も吸収してさ、処女で孕んだ聖乙女と、ばりばり多産でパイオツカイデーな地母神のイメージが混淆こんこうしてるわけ。信仰って属性を悪用してさ、人が手前で捏ねくった自意識仮託して救済原理に仕立て上げんのよ。それって神にしてみりゃ存在理由でありがたいけど、だんだん本来の自分疎外されて見えなくなるし重い重い。そういう何重もの幻像エイコーン化で自己同一性が溶けていくのに、神さまだって疲れちゃうんだよ」

 大変でしょお、と同意を求めるようにさくらは言うが、コウにはさっぱり分からなかった。

「もしあなたが創造神だというなら、しかるべき地点から語り起こしてくれませんか」

「創造過程は最初に言ったとおりで、これ以上は噛み砕けないなあ。あ、神話のとおり僕が贋物の神で、それ以前から超世界プレローマの神々が本当にいたのかってこと。娼婦プルーニコス独り子アウトゲネス以外は見てないよ。残念ながら、至高神も。絶対見えないってんだから、そんなもんなんじゃない。でも、その神の本質とやらは僕にも混じってるみたいで、半分くらいは彼らの気持ちになれるところもあるんだよね」

 自慢げな物言いがいかにも眉唾である。コウは順番に掘り下げていくことにした。

「その、前の世界とやらでも、あなたはやはり神だったのですか」

「うん。前の世界、前のまとまった文明ができる遥か以前の原初よりの神だけど、もちろん最初から信仰されてはいないよ。創造者として人類に同定されたのはだいぶ後……というか、人類創造の実情も、自然と人類が発生するかもしれない、という可能性の種子を世界中に広めに蒔いといて、幸運にもそれが局所的に結実しましたってだけだし。長い間、それが果たしてひとつだけでも芽吹くかどうか、勝手に固唾呑んでひとり見守ってたんだよ。賭けの気分でしたね」

 言ってのけるのは、はなが垂れていてもおかしくない童女である。

「はあ。神話では母胎者メトロパトゥル、つまり娼婦プルーニコスを真似て人間を作った、とだけ語られていますが……」

「単純化ってだけで間違ってないよ。あー、面倒だけど創造した世界の内訳から言うとね、自然という自前の原理で生命を自動生成するハコがたくさんあって、――それを諸惑星とか諸贋天使アルコーンとか呼んでるわけだけど。生命ってのが可能性の種子のことで、それぞれの自然の内部事情で色んな生物へと未知数に変化するけど、あわよくばその中で人類ができてほしいな、という希望を込めときました。進化論は幸運な生成過程の事後的な一解釈だね。僕は生命を蒔いたあとは人類の誕生をぼんやり祈ってただけ。その達成は偶然か必然か、と訊かれれば僕にもわからない。個人的には神の力で運命付けたのではなく、僕の意志による祈りの力で働きかけたと捉えたいな。理神論で割り切られちゃうと寂しいしね。で、人のモデルが娼婦プルーニコスというのは、生物レベルでの本質の話なわけ」

 コウは頭をぽりぽりと掻いた。わからん言葉と概念だらけであった。

「もうちょい、咀嚼させてください。あなたが世界と同時にそれを支配する贋天使アルコーンを無数に創造し、惑星天や恒星天に置いたという神話の記述は、その事情のことなのですか」

「世界というか、宇宙とその星々と言ったほうがよかったね。僕が作った一つ一つ違う性質を持つ独立した生成原理。つまりは惑星、自然、大世界中の小世界、その単位が贋天使アルコーン。他の使い方も色々ある言葉だけどね。これも、なんか創っておきたいなあと思っただけ」

 見せかけの模像の天使。それは本来、この世界自体の相対性と欺瞞性を指す言葉であったのだろうか。コウの想像のなかで、宇宙的世界像の構造ががらっとさま変わりしてきていた。

「……もっと手っ取り早く人間を作ることはできなかったんですか」

「うん。神様の僕でも、自分より一段上の神をまんま模倣するのは難しかったみたい。娼婦プルーニコスを見たのも一瞬だったし。だから、その姿をようく憶えといて、こんな子ができますようにーって祈るしかなかったの。神様が神頼みだよ? 僕ってなんなのかなあ、と思わされるにじゅーぶんな一件でしたね」

「頼りないことで。そもそも、なぜ人間なんて作りたがったのです」

 訊ねられると、「やー言わせないでよ」とベッドにうつ伏せに転がるさくらであった。

「……だだっ広い宇宙にひとりっきりで、寂しかったんだ。多分、不完全な神だからそう思っちゃった。それに娼婦プルーニコスは綺麗な人だったから。何ものをも惹きつけてやまないオーラがあったね。その他者を引き寄せ合う本性が、模像である人間にも宿ったんだと思うよ。だから一緒になって子を産んで育てる、なんてしち面倒な愛の共同も、他の生物以上に成立したんじゃない。ともあれ、人間は僕にとって憧れで、一緒に生きたかったし、あわよくば、支配してやりたかった。今の僕は人にとって神だろうけど、僕にとっては人のほうこそ神様みたいなものだったよ。神の偽物かもしれないけど、君たちは僕の神だった。

 ま、ま、ともかくともかく。自然本性的神である僕や天使たちが人間に発見されるのは、結構後。神って人の信仰に事後的に発見されるものなんだよ。その前提として、人の信仰は偶像性がどうしても介在するから、人の考える神は神自身の考える自己像とかけ離れてることが多いわけ。でも、断絶した神と人の関係はそういう誤解から始めて、徐々に頑張って歩み寄っていくしかないんだよ」

 ベッドに突っ伏したまま、さくらは白く細い両足をあらわに、ぱたぱたと上下させている。

「どうも、入り組んできますね。例えば、現実のマリアという人間への偶像的な崇拝が、突き詰められて地上の成立以前からいる娼婦プルーニコスへの信仰に変貌した、と……」

「そうだね。それは人間が信仰を理性によって洗練することでなされるんだ。最初は単なる人間自身の投影だとしても、もっと冷静に神のあり方に見当をつけていくことはできる。素朴な信仰心に生まれた夢みたいな存在だとしても、理性でその輪郭は形作っていける――それは不可視の輪郭だけどね。その営みをはなから卑下することはないよ」

「でも、人が口にする神の名が依然としてマリアのままなら、その信仰が娼婦プルーニコスに移ったというのは何を根拠に言えることなのです?」

「僕みたいな実体としての神と、人間の概念としての神がすれ違ったり重なり合ったりするところに神の現実があることは、なんとなく分かるよね。神は言葉である、という言葉ロゴス論は旧世界の神の究明に使われたんだけど、要は神的な超越性と物質的な具象性を媒介する原理が言葉だという考え方なんだ。言葉が肉体になるって理屈で、その名残は聖餐とかに見られるね」

「その旧世界の神というのは、言葉がそうであると考えさせるような存在だったと?」

「説明し忘れてたね、受肉した独り子アウトゲネスの野郎のことだよ。エヴァの原型だし、野郎っぽさのほとんどないオカマ野郎だけどね。今の世界でも啓示や最終的救済の一翼はこいつが担うと信じられてる。でも長いこと見てないし、あいつも所詮は潔癖な超世界プレローマの住人ですな。実際、旧世界での受肉と刑死も仮現にすぎなかったし、あいつは今も安穏と超世界プレローマに暮らしてる」

 さくらはコウの枕にあごを埋めながらけっ、と吐き捨てた。汚いのでやめてほしかった。

「その言葉ロゴス論で言うなら、神名しんめいはある集団における信仰概念の定義化と共有化という原理だよ。他の神を信じる者達に対しては排他性を主張し、内的には結束力を高め、教会の形成の一助とする。誰しもが違う偶像的神を夢見がちな人間だけど、神名を通じて神の輪郭を広く共有する努力をすれば、神の観念は収束し、統一される。神名の下に凝集した人々の普遍的概念としての神が、結果として真の普遍的実体である神の本質と合致する。そうした普遍としての神概念の個体化が神名の機能だよ。たとえそれが真実の神名と異なる偽りの神名だとしても、その名が喚起するものに本質的差異がなければ、最終的には同じ真理を司る神への信仰にたどり着くものだから。だから同じ神名でも、信仰の意味がさっぱり異なれば違う神への信仰だね。ザ、ザラ、ザラスシュなんとかさん、とか時代によって大違いで、他人事ながら笑えなかったなあ。草葉の陰で泣いてるよ」

「神名は人の神概念の結束機能にすぎないにも関わらず、方々から違う意味合いで同じ名を呼ばれれば、迷惑を被る実体がいる……。どうも、神が自己イメージの調整に手をこまねいているような状況を思わせる物言いですが、そういうことなのですか」

「えーとそうだな、こうイメージすればいいのかも。まず、至高神に分け与えられた真理を思考し続ける複数の純粋精神体、つまり実体的神がぼんやりと虚空に漂っている。人間の偶像的信仰がだんだんと普遍存在への信仰に純化されていくと、神は人に霊的距離を詰められてゆく。人の情念と理性の合いの子としての信仰、つまり神への愛に、神はついつい引き寄せられてしまうわけ。その『引き寄せられている』と感じている自体的感覚も、神はその時点で初めて与えられる。神への愛、つまり神名への信仰がその事態を生むのだから、言葉ロゴスは神を霊的に受肉させる、という物言いが正しいかもしれないね。そして、その感覚はおそらく自我とワンセットなんだ。

 神は人の信仰に対応して人格ペルソナを形成しはじめる。人間が他人との関わりあいの中で自我を形成するように、神も人との関わりあいの上で初めて自我を形作る。それ以前、神は至高神に賜った真理――自分自身しか知らない赤子だったけど、人の信仰を知ることで真理そのものではない自分という意識に目覚める。でも、神が人の信仰を受け取っても、人は神の御心を受け取れない。神は肉を持たず、肉に干渉できない。人の感覚には何らの啓示も与えることができない。交感不可能の宿命なんだ。救済論的な意味で、神が受肉することはありえない」

「人には知れずとも、確かに人が人格神を信じる限り、神は人格を持ち続ける……」

「身勝手で残酷だとか思う? 僕はそうは思わない。神――君たちの言葉で言う天使アイオーンたちの間でどんなコミュニケーションがあるかは僕にも知れないけど、結局、本当に自己自身で充足できる単独者は至高神だけだよ。天使にすら性別があるんだ、まったく他者が不要だなんてことはないさ。人間には困らされることもあるけど、それはそれで退屈しないし、全然イヤというわけでもないってところじゃないかな。ともあれ、普遍を突き詰めた先の個体化原理。これが信仰という言葉の誇るべき本義だと、僕は考えてるよ」

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