第27話

「凍境教会の公式見解といたしまして、精査の結果、この研究を異端とみなします」

 神官たちが論文を読み終え、都市まちの小さな聖堂にノッジシを呼び出したのは、翌日の夜のことだった。夜闇にもあかりの灯ってほの明るい堂内には、高名な学者の異端審問に集った野次馬がひしめいて、息の詰まるような緊張感と無言の熱気を放っていた。祭壇の周囲に固まった神官団と、その前にひとりぽつねんと立たされた天使博士ノッジシ。その背中を、事態の動静を、固唾を呑んで見守っているユッタ一行やミモザ、ロッカの姿があった。

「異端とする根拠を要点で拾い読み、それに反駁を加えることで、私たちは教会の教えの正当性を回復するものとしますが、異端者にも発言の自由を与えます。間違った信仰は正せばよろしい。とはいえ、誤った考えへの固執には相応の罰が下されます。では、始めましょう」

 神官団のなかから萵苣ちさが一歩、歩み出た。その両手に羊皮紙の束が握られている。

「まず、この研究の眼目が神の究明にあること。研究の表題は『神の至福的直観』。神と天使の実体的本性は等しいという主張の下、禁断の神学が綴られている。さて、教会は至高神を否定形でしか語られえない絶対者と規定します。人の理性と言葉では神はまったく把捉しえず、したつもりになる傲慢を大罪とみまします。これは根本教理につき、なんら説明は付しません」

 ここまでで何か、と訊ねられて、ノッジシは無反応であった。では、と神官は続けた。

「主題と関連して、次に、神々の本質についての解釈です。男とも女ともつかぬ美貌という記述から、神は両性具有であると考えられる。そのため、神の第一本質は原初的なエロスであり、その自己思惟に生まれた母胎者メトロパトゥルの本質もまたエロスと語られているのである。この二者から生じた諸天使アイオーンもまたエロスを内包しており、神的存在は全てエロス的存在である。そういうことでよろしいですね」

「然りだ。管見に誤解がなければ、神を両性具有者と解釈するのは、教会も同じはずだが」

 ノッジシが口を開いた。

「ええ、その通り。ですが、それは人間の原型として男女両性の形姿を未分化に持つことの表現であり、そこに性愛原理を見出すのは早急すぎると教会は反論します。結論を先取りすれば、このエロスが叡智ソフィアを通じて人間にも先天的にもたらされ、人は男女の性にかたれてなお原初の理想的な両性具有状態を求め、神的結合への希求、つまり性愛感情に衝き動かされる。よって、性愛は現世的でなく、むしろ神聖な天的本能である、ということですが……」

「人が生涯を通じて指針となすべきは恋以外にない。富も名誉も知識も、それ自体の目的化は無際限で愚かしいことだ。老輩が貧しい一生に導き出した結論だが、神官様とは相容れんか」

「そうですね。人生論として共感はしますが、神話に敷衍はできません。性愛は自然に湧き出づる本能というより、人為的表象の渦に絶えず掻き立てられる、極めて現世的な欲望です」

「人為的な表象の渦、とな。詳しくお聞かせくだされ、それは何です」

「人と人の肉体の差異です。顔貌の美醜です。正確には、美醜で他者を値踏みする人間の認識的習慣と鏡像的自己形成の連鎖をそう名指します。性を含め、個々人のあいだにある様々の差異は、完全なる神からの神性流出の系譜における最下位の地上的被造物、つまり人間や動植物に特有の不完全性という事情です。まったき神に差異というものはなく、神が神自身を思惟し、その本質を天使に分け与えたことから完全性が欠け、まず性という差異が生じました。性別は天使にすら欲望を抱かしめ、天使はつがいになることでしか超世界プレローマにその存在を定位できません。更に流出は進み、錯誤神サクラスに肉体を与えられた人間は、大小、多少、上下、冷温、美醜と、あらゆる差異に感覚を支配され、一方の欠乏に不満足を覚えるようになり、これに拘泥するかぎりは地上を永遠に彷徨い続ける定めです。これぞ被造物のさがであり、この欲望を正しく究極すれば、まさしく完全なる神に向けた愛という形を取りますが、肉に囚われた人間は神や天使という絶対者を正確には思惟できず、人間に都合よく対象化された、つまり人為的表象である贋天使アルコーンへの信仰にとどまってしまうのです」

「ほう。それは急ぎ足にも、信仰箇条にまつわる問題に踏み込むことになりますな」

「それだけ核心を問う問題提起だと評価はいたします。自らに欠けたものを希求する働きが天為的格率であるという考えには、まったくがえんじないわけではありません。ですが、教会はその淵源をエロスとは捉えず、アガペーと考えます。最初に差異が生じたのは性の交わりのためではなく、神の自己思惟においてであったことを、その意味を、重視します」

「人間に対する神の慈愛や、打算のない自己犠牲の愛、といった程度の意味でしたかな。だが、聖書ケノボスキオンにそのような教えはない。至高神は福音すら我々に与えないのですから」

「ええ。理想的な愛の形ですが、これが現世に実現することはありえません。いかに慈悲深い賢者も神官も修道士も、肉体あるかぎり自らの利益をまったく顧みない他者への無償の愛など持ちえない。それは本人の心のあり方の困難以上に、他者からみてそのような内心は信じられないためです。人が他者の存在を前提して生き、人から見た自分を常に意識して動く以上、より敬虔に見える素振りで人格者を気取るというのは、避けえない本質的なあり様ですよね。本人が神愛アガペーと思い込んでいても、人には性愛エロスにしか見えない事態など多々あります。互いの違いに縛られた人間は、自分から見た他者を信じ、他者から見た自分を受け入れるしかない。要するに客観という地獄は、神性の希薄に導かれた地上的様相なのです。逆に、神は主観を究極して世界を創った普遍存在。福音が人にもたらされないのは、神の愛が必然的な自己観照、つまり自己愛に集約されるがためなのです。欠乏なきゆえ、神は永遠に自己に充足している」

「なるほど、なるほど。神というのは、とんだますかき野郎なわけですな」

「口を慎みなさい」

 ノッジシをたしなめる萵苣の一喝は、微笑を崩さずに発された。

「神々の本質に関するエロス原理論への反駁は以上。異端者には理性的な反応を期待します」

 ノッジシは萵苣をめ上げるに留めた。

「考えは改まりませんか、残念です。では続いて、母胎者メトロパトゥル人格ペルソナ流出論です。母胎者メトロパトゥルは至高神の自己観照から最初に生じた天使アイオーンで、叡智ソフィアの僭越に激怒した神の伴侶かつ、アダムの原型になった形姿上第一の人間でもあります。ふたつのエピソードを並べるに男とも女とも読める、やはり神と同じく両性具有的な天使ですが、エロス原理を強調するこの研究では女性的神格と定義されます」

「儂には彼女は、自らですら直観しえない神を末娘に窃視され、大いに嫉妬した実に人間らしい天使に見えますな。唯一神を自称する傲慢な錯誤神サクラスに怒り、つい自らの姿を啓示してしまうのも愛嬌がある。コケティッシュな天使クピド像が思い浮かぶようではあるまいか」

「異教的表現は好ましくありませんが、ともかく。その天使クピドの魂が地上の全女性の肉体のうちに流出していて、私たちの人格ペルソナは元を正せば女神のそれであり、本質を同一として全個体で一つの実体を形作るという全位一体ぜんいいったいの思想は、まったく聖書に依らないあなたの独創ですね。思わず面食らってしまいました」

「突拍子もなかったかね。だが、性愛エロスに駆られた儚い他者愛の背後に、自己愛アガペーによって神を見出すというのは、肉欲に抗って瞑想を育むべき人間には道理にかなったあり方であろう。そうした神の希求が、お嬢さん方のなかに神の人格ペルソナを見せたとして、何の不思議がある」

「重々承知ですけれど、申し上げれば、一方的です」

「人形に子宮を押しつけて高みの見物を決め込んだ冒涜者がさえずりよる」

「ああ、人形論と見れば納得がいきます。錯誤神サクラスと人間に続く第三の被造物であり、私たち神官が祈りを捧げる天使像を信じて託した彼女たちですもの。そして、その天使像にあたうことを目指し、肉の交わりに神との合一を夢見るあなたたちのことですものね。確かに、自らを人形の神と信じれば、その人形を女神と信じたくもなります。そういう生活感覚を斟酌しんしゃくせず、申し訳ありませんでした。ですが、女性と一括りにされると困ってしまいますね。神官は神官、人形は人形なのですから」

錯誤神サクラス贋天使アルコーンの手になる、性欲まみれの汚れた霊肉を持つのは、おぬしも同じだ」

「もちろん。ですが、私たちには叡智ソフィアの分け与え給う理性があります。人格ペルソナとは、個人で異なる理性の性格のことですよね。当然の自我論ですが、自我は感覚ではなく理性に属します。人は理性的認識の上に意志の自由を得るのです。感覚や感情は汚れた肉体に属するものであり、具体的な個物をただ知覚することは簡単かつ確実であるがゆえに安易です。それを抽象して普遍を認識する理性の力こそ、人が神に至る結節点ともなりうるのです。古文書の観念イデア論のような、全ての個物が観念イデア界の影像であると断言する無理筋は犯しませんが、少なくとも人は神の似像であり、それはその精神においてこそである、ということです。そして、神性の流出に個別化された我々が、その後の各人の理性的活動において新たに形成していったものが人格ペルソナです。けれど、神の人格ペルソナという言い方はわが国に存在しない。至高神は人を見ず、人にものを言わず、人の言を聞かない。少なくとも、人の認識レベルでは神は無人格であり、神話でも自己観照以外の働きはなしていないのですから」

「然り。これは古文書から借りた用法だが、そのように古文書の知識を取り入れて神話を説明するのは教会の常套でもあろう。神の人格ペルソナという考えは、自明すぎて見落とされているのだ。つまり、我々は世界の基軸を物質以上に、天上の神による神性の流出と規定するな。我々は我々の理性的自我、つまり人格ペルソナをもって、御心は察しえなくとも実在する神がそうなされた、ということを信じることで、そう世界を説明した。神官様が言うところの客観の地獄のなかに人間は、何者かの絶対的な主観への信仰を志したのだ。人は猥雑で綜合しえない自然や現実を貫く確かな摂理を求めるあまり、自分らと同じく実体と自己を持つ理性的人格を仮構せざるをえなかった。仮構の歴史を忘却し、いつしか神を疑いえない実在と前提化した。人が人を、相対者が絶対者を求めるのは自然なことで、批判に値しないのだから、捨象すべき事柄ではない。そこにもう一段錯誤神サクラスというクッションまで置いて、潔癖症なのだよ、おぬしらは」

「なるほど。人と神とは本来同一的であり、であるから、母胎者メトロパトゥルにも人格ペルソナが規定され、それがひいては人間の人格ペルソナにもイコールであるというのですね。ますます冒涜的であると教会は考えます。あくまで人間理性は神の本質のひとつにすぎず、人と神との隔たりはなおも著しい。神話を読み直し、理性の絶対化への警告を今一度お聞きなさってはいかがです」

「人が神という全体から生じた部分というならば、個物全体をもって普遍となすのはおかしいことですかな。また、理性的被造物の人格ペルソナは時に神とも訣別するもの。理性は神を知る術であるに留まらず、神と自己を対峙させる孤絶の人間性にまで陶冶とうやされるべきものだ。その域に達した理性は、より神に近づいているはずではないか」

「その結論こそ、理性の過信に堕天した叡智ソフィアの二の舞だと気づきませんか。理性とは、徹底して慎重を期するべき力なのです。天使は神のごとくを欲して罪を犯したのに、まして人間のこと。人は神に類似すれども、決して同一ではない。人は人のまま神と対等にはなれないし、神の照明がなければ生きてゆけない。そのような人格ペルソナの確立は単に神から孤立した根無し草や、自らを神と誤解した独我論の愚者を生むだけです」

「そうかね。少なくとも、集団論理で手前勝手な教義を絶対化するよりはましな末路だがね」

「語るに値しない孤立者の反発を。あなたほどの人が悲しくも、神を愛していないのですね」

「儂は神を誰よりも愛していることを誓うよ。神官の聖域に召される日が来なくともな」

「地理的な条件ではなく、教会の教えに従うか否かが肝要です。神の愛自体に照明されなければ、神を愛することはできません。そして、その愛は教会を通じてのみ得られます。自分勝手に神を愛しても、神にその愛は受け取られない。神を気取った人の自己愛アガペーが全ての過ちの元凶だと、何度も申し上げているつもりなのですが」

「そんな下らない教条ドグマに聞く耳は持たんよ。いや、母胎者メトロパトゥル人格ペルソナ論に話を戻せば、こう言っていいかもしれんな。おぬしらが手前てめえの助平心を身勝手に押しつけた人形に理性がなく、一段劣った人間未満の木偶の坊というならば、儂はその欠陥品にこそ神を信じ、その教えを広める教会を夢想するよ。その祭壇に立つべきは、儂らの祈りの集積によって女に定位された不可視の神だ。儂の祈りがおぬしらにとっての呪いとなって、おぬしらのご立派な理性的自我とやらがむしばまれることを切に望むね」

「そうですか。その態度は神話の改ざんにまで及ばなければ現実的順応、あるべき姿でよろしいのでは。どのみち、わきまえのない理性の暴走と清き神官の観想の、どちらが神に届くかは明らかです。十字架の上で存分に独善に耽るがよいでしょう」

「女と堕天使の隔絶は、今に至っても癒しがたいということか」

 ユッタは俯いたノッジシの横顔に浮かんだ、暗い笑みを見つめていた。

「ここに異端的流出論は棄却されました。最後に、至福直観論。ここに本論文の主張が凝縮されていますが……一笑に付すべきものであることは、ここまでの答弁ですでに皆様、自明に思われるでしょう。それでも最後に愚昧を開陳したいなら、教会は異端者の意志を尊重します」

 神官団の苦笑を聞き、ノッジシは決然と萵苣に向き直って語りだした。

「ならば言ってやろう。神は可視である。個人の理性にとって、神は二重性を持っているためだ。自然万有を支配する自然本性的神は不可視だが、個人の理性に愛をもって働きかける、自由を生じさせる神は可視なのである。まったく客観的対象でなく、主観的対象としての神において、至福直観は実現する。それというのも、神と天使の実在はアガペー的本性ではなくエロス的本性によって証明され、神の人格ペルソナは巡りては娼婦の艶笑に立ち現れるためだ。天使アイオーン贋天使アルコーンという本質的相違と代償的対象化の図式ではない。娼婦は天使の代償ではなく、天使自体でもない。天使をも超越した、神そのものなのだ。たとえそれが限りなく無人格的に見え、理性が欠如して見えるものであろうと、それは確かに、だからこそ神なのである」

 神官団だけでなく、都市まちの修道士たちも笑みをこぼしていた。それは蔑むというより、悪趣味だが上出来な冗談に思わず微苦笑してしまったというような笑みであった。聖堂のなかで、ユッタ以外に笑んでいない者はいなかった。気づくと、リンとミモザの姿が見えなかった。

「ふふ、やっと正直なお気持ちが出ましたね。お察ししますよ。模像への愛は絶対化できませんが、模像に救われなければ、あの世での救済もありえません。霊的異性は終末の時に訪れ、単独者を救済します。あなたはきっと、素晴らしく美しい天使に救われることでしょう」

「天使ではない。儂は神に救われる」

「確かに、神は全被造物の究極目的です。自分の力の範囲内にあるものをあえて究極目的とし、神の力に頼らず、自分と神が同等と思える道を選ぶことは堕落につながります。けれど、神には達しようがないのですから、それもある程度は許容すべきなのです。模像をあえて真理とせよ、という教えは、言ってはなんですが、妥協ということなのですよ。人の分際というものを守りさえすれば、地上は決して救いのない世界ではないのです」

「黙れ」

「本当ならあなたには、穢れたこの世にもっとへばりついていて欲しかったのです。地上の汚穢は殉教によってではなく、粘り強い禁欲の居直りによって灌がれるものなのですから」

 両者はまったく断絶しているわけではなく、人の認識をめぐる神への到達の意見を異にする以外は、むしろ親和性のある体系といえた。だが、そこには他者を求める営為のなかに絶望を見出した神官と、一握の希望を信じたい天使学者の深い隔たりがあった。

 翌朝、都市まちの広場に磔にされる直前のノッジシと、言葉を交わす時間があった。人々から哄笑と投石を受けるなか、ユッタは師の十字架を運ぶ任を負っていた。

「悲しむな。神の名誉を目指す学問研究を志した儂が、知のための知に躓いたということだ。知的であっても単なる好奇心は、結局虚栄として斥けられる。儂の落ちた穴はそれだよ」

 天使を退けて神の直観を夢想した彼のものとは、思われない辞世の言であった。

「師の築いた神学は忘れません」

「藁屑に等しいな」

 師は磔にかけられ、その足元には薪と論文を火口ほくちにして炎が灯された。

我、叡智を信ぜしよりピスティス・ソフィア

 神官たちは彼を囲むと、灼熱に炙られる異端者の心安らかなるを願い、祈った。

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