第19話

 独房にこもる研究のさなか、遙か天上の存在に思いを馳せ続けるユッタの胸に、女体としての天使の形姿が去来する瞬間は、一度ならずあった。

 具象としての地上的天使アルコーン、抽象にとどまる神的天使アイオーン。幼時より絶えず義務とされた聖書の霊的読書に読解すれば、わが国での信仰の探究にふたつの道筋があることは、言明されずともたやすく察することができた。それは、どちらをこそが真理であると垂直的に位置づけるものではなく、信ずるに足るほうを信ずればよいという平行的なあり方だと神官はやんわり説くが、骨の折れるほうがどちらかは比べるまでもなくわかる。拗ね者があえてそれを選ぶに、桎梏となるのは肉への執念だった。

 閉じこもりがちがために息詰まり、ガス抜きのように酒場へ繰り出す。その日課の目的を厳密に問うてみれば、そこに働く私窩子たちの姿にこそ意味があったと、認めてしまうほうが楽である。

 喉から手が出るほど欲しい、私窩子の躰を買わなかったことを、教義の遵守と胸を張ることは、今のユッタにはできなかった。穴が空くほど彼女らを眺め、その艶笑の面影を脳裏にしっかと刻みつけ、房に戻ればわだかまった情念が消え去るまで布団のなかに藻掻いた。潔癖症か、極端な面食いか、おそらく両方あっただろうが、ともあれ実践に踏みきる決心はつかなかった。

 脳裏に刻んだ天使と女が、いつしか溶け合い一体となっていた。同居させるべきでなく、早いうちにどちらかを片付けておくべきだった。子宮に天使を刻んだ私窩子も、自分と似た懊悩があるのだろうか。そう想像して気を和らげても、自己を仮託するような同一視は手前勝手で後ろめたく、拘泥はなおさら病のように膏肓こうこうに入るばかりであった。

 天使学という観想の奥義を実利へと接合し、それが煮詰まりしまいには性欲と溶接させてしまった。抑制のきかない自己嫌悪が筆を荒れに荒れさせて、第二作を読んだノッジシの得も言われぬ表情が、かける言葉も見当たらぬという困惑を主張していた。師にも理解が及ばない異端の萌芽したわが魂は、御しがたきゆえに憎悪するほかなかったが、同時に至るべき境地に至ったような誇らしさの錯覚がありもして、始末におえないところであった。

 このようにして、学問と信仰上の決定的なあやまちが、ユッタの青春を殺した。

 成人式も間近となった青年は、心を入れ替えたか、問題を棚上げにしたか、ともあれ正統なる信仰の教えに立ち返るつもりになった。

 汝、肉に惑うことなかれ。禁欲の絶対は聖書に記されたとおりである。ならぬものはならぬ。断固として規律を掲げてくれる聖書が、このうえもなく頼もしかった。初めて聖書に霊感を受けた気もして、ユッタはこれを真の信仰の目覚めとして思い込むしかなかったのである。

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