第18話
「おい、なんてこった。ようやっと抜けたと思ったらこれだぜ」
呆れたようなジノヴィオスの言葉に、ユッタは回想から覚めた。
森が途切れて、視界いっぱいに砂漠が広がっていた。とうに日は落ち、雲の低くかかる夜空は暗緑色に濁って見える。砂煙のような乾いた風が、肌にまとわりつくようであった。
「地平線の隅から隅まで、何もないじゃない。どういう土地なのよ」
「さっき、湖に通りがかったよな。あのあたりで野営するとするか」
鬱蒼とした獣道を引き返し、下生えの低くなったあたりで曲がると、向かいの石崖から細くも白滝が流れ落ちる、広い湖に出られた。半円形の月の光が映じるほど水鏡は澄んでおり、ジノヴィオスが顔を突っ込み喉を鳴らしているのを見るに、飲用も差し支えないようであった。
「砂漠の風はひやっとしたけど、こっちはいくらか空気が生暖かいみたい」
水辺をまわりながらリンはつぶやいた。滝の落ちるあたりから少し行くと、岩壁に洞が空いているのが見つかった。人の数人は入れる広さで、雨露をしのぐのに都合がよさそうである。拾ってきた枝木に火をおこし、何時間かぶりにユッタは人心地がついた。
「水を浴びようと思うのだけれど、君もどう?」
長歩きに汚れた
「変なことを言ったつもりはないわよ。このままばったり寝込んでしまう前に、躰を洗っておいたらどうかと、提案してみただけじゃない。次にいつ入れるかわからないし、だいたい汗臭いまま狭い穴ぐらに隣で寝られたら、迷惑というものでしょう」
「それはわからないではないが、なにか言い訳がましく聞こえるぞ」
「あたしがそんなにいやらしい女に見えるっていうの、失礼なんだから」
勝手にぷりぷりと怒って、リンは洞穴から出て行ってしまった。外套を脱いでビキニの上下だけになったリンの、まる出しの背中から引き締まった腰回りにかけてのラインが、うっかり目の端に入ってしまい、しばらく頭のなかにちらつき続けた。
(一時はかすかな友情を抱きながら、ディオニシアと呼ばれる異国の女とわかった途端から、うかつに近寄りがたい、自分とまったくつながりのない別の人種に思われてしまう……)
それは国の違いによるものか、性の違いによるものか。どちらの要因が大きいのかは、胸に問うまでもなかった。鋭く切り込んだ三角形の黒い下着は、臀部の丸みを隠すにはよほど不十分な面積で、腰に回した細い結び紐がうっかりほどけでもしたら、いったいどうするつもりだろうか。まったくもって度しがたく、このような下らないことをあれこれ思いめぐらせている自分自身のほうこそが、よっぽど度しがたく忍びないわけである。
時間を置いてから、ユッタも水辺に出た。さいわい、裸形のリンに出くわすこともなく、気分を入れ替えるために冷えた水で顔を洗った。少し考えて、リンの先の提案を容れるつもりになり、ユッタも全身の汗を濯ぐことにした。
突然に訪れた、着の身着のままの出立であった。唯一の持物である肌身にまとった
風の音と虫の鳴く声に混じり、滝水の流れる静かな音が耳に届く。両手にすくって頭から被った水が、ゆっくりと背を伝い落ちる感覚。思った以上に疲労は重かったようで、つかの間の休息が骨身に沁み、清新の気は満ち満ちるようであった。
ふと、自分の立てたものでない、かすかな水音が聞こえてきた。水面に揺らぎは見当たらないが、向かいの岩陰が気にかかった。水底の意外と深いことに驚きつつ、胸まで嵩のある冷水を泳ぐように掻き掻き、そこに近づいてゆくにつれ、水音は徐々にはっきりとしてきた。
岩肌に背中を預けた女が、胸元に男の頭を抱いている。銀色の長い筋がふたつの裸体のうえを滑り落ち、水面に至って浮き広がっていた。小刻みに水面を震わせる骨ばった男の背中越しに、苦虫を噛み潰した顔のリンが赤い目に涙を溜めているのがうかがえた。
ユッタは物言わず、その場を立ち去った。水から上がり、洞に入って火に当たったが、長く浸かりすぎたのか、躰の芯が冷えきっていて、肩が震えて仕方がなかった。
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