第12話
いっぽうユッタは、新成人たちが続々と儀式を終えて港に向かい消えてゆき、残りはほんの数人となったところで、リンが再び武者震いか貧乏揺すりかわからぬ症状に見舞われたせいか、祭りの騒ぎにあてられたせいか、つられてせかせかした気になっていた。だから、
「どうしてこう落ち着かないんだろう、秘蹟なんて大仰に言うせいか……」
と地面に語るリンを誘って調子よく、
「そこまで不安がるなら、ちょっと覗き見するぐらい、精神衛生のために許されることだ」
なんて軽口を叩くことができたのだろう。ちょっと前なら、とても言えない言葉だった。
こうして、話に乗ったリンとともに、翼廊の通用口の鉄扉を隙間だけ開け、前の番の儀式の様子を盗み見ることになった。別段、教義に反することでもない。新成人のひとりは、堂内の片隅にある洗礼盤の前に立つと、神官の
「抑圧的な社会制度をひく神官が、ご地域ではやんわりを決め込んで……」
「かまととっていうやつでしょ」
「よりにも秘蹟にかまとともあるまいが」
言っているうちに聖体のパンが軽く
「また具合が悪いのか」と声をかけたとたん、はっとしてリンは頭を振り、ユッタに
「ううん、もう大丈夫」
儀式を終えた新成人がこちらに来るので一度扉から離れた。続いて、リンが呼ばれた。どうにも不安で、ユッタはリンの儀式を見守ることにした。再び扉の隙間から
リンが儀式をこなすさまは先ほどの新成人とはまるで似ず、一挙手一投足が極めて慎重で、固まりきってぎくしゃくしているのとも異なり、本来要求されるべき厳密な動作を正確になぞるがごとくであった。その実直さに最初はおや、と意外そうな顔をした
「これ、何の秘蹟なんですか」
問われると、いかにも真面目そうな顔つきを作ったまま萵苣は答える。
「ちょっとした確認です。本当に形だけの……ですが、敬虔なあなたには説明しないと失礼でしょうね。この弓は天使のお力が封じ込められた、
やや距離があったが、ユッタにも聞き取ることができた。聞き覚えのない言葉だった。
「芯から忠実に修道生活を守り、教会の教えに正しく従った者だけが、この弓を鳴らすことで天使の祝福を授かることができます。自ら償うべく努めた堕天の罪が天使に
初耳だったのはユッタだけではなかったらしく、リンも目を見張って手元の弓をしげしげと眺め回している。
「天使の純粋思考は人と違って器官的感覚に頼らず、直接に事物の本質を捉えます。弓を引いたら、あなたが認識したいことをただ切に思惟してください。あなたが知りたいことを、あなたが知りたい真理を。万に一もありませんが、天使が応えるやもしれません」
リンは無言で頷くと、緊張の面持ちで弓を構えた。矢をつがえないまま、弦はぴんと張り詰めた。彼の手元に、見えない矢でも引かれているような気配があった。
彼ならもしや、と思うところがユッタにあったことは否定できない。
「
小さな呟きが聞こえた瞬間、ユッタの視界は真紅に染まり、次に暗転した。鳴弦の音は聞こえなかった。背中に気付いた鈍痛がじわじわと四肢に広がった。目を開くと沁み、眼底に疼痛がある。
妙な明滅と涙に滲む視界のなかで、草花が荒れに荒れて地面が剥き出しになった庭園、その土を蹴って走り去る人影がおぼろに見えた。強いて半身を起こすと、ついで燃え上がる巨大な炎に包まれた聖堂が目に入った。ユッタの頭はようやく、爆風で吹き飛ばされたという事実に追いついた。
爆音に耳が
「起きてください。動けるはずです」
静かな声に促されるまま、ユッタは立ち上がった。不思議と難ないことであった。ふらつく頭をおさえながら、ユッタは目の前に立つ修道服を焼け焦がした神官の萵苣を見たのだった。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます