第13話
修道都市の町並みは、数十の修道院の内外に聖堂や学校などの施設が集中し、あとは耕地に納屋や家畜小屋や水車小屋といった程度で、ほとんど農村の風情である。北端の高台にある第一修道院周辺の先に広がるのも、共同管理の放牧地となる草原で、山羊が牧草を食んでおり、ところどころの
「馬も盗られましたか。煙に非常事態を見て取って、門番が封鎖してくれればよいのですが、期待薄ですね。ですが、なぜ人も多く逃げ場のない港へと……」
馬小屋から一頭引いてきた萵苣が、
(リンがあの弓を持って逃げた……何のために?)
草原を駆ける遠い人影を呆然と見つめるユッタの肩を、控えめに叩く者があった。
「無事でしたか。聖堂の爆発は一体?」
服の裾をやや焦がしたコウが駆けつけてきていた。問いには萵苣が返した。
「
ユッタは不可解のあまりコウと顔を見合わせたが、危急の事態なのは確かなようだった。
(仮に異邦人として、四光術を操るほどだ。先の物言いを見ても、信仰に深く携わった者に違いない。火之本に根付いているのだ。彼という人間は、全体どういうことを考えている……)
事件でなくとも、ひとときは友人のように思えた男のこと、追いかける気は十分あった。萵苣は馬に跨がりながら、ふたりに訊ねてきた。
「おふたりのどちらかに、
「
「まだ小さいのに頼もしいわね、足止めを頼んでいいかしら。君は一緒に来て」
これ以上ゆっくりする暇はなさそうであった。ユッタは狭い鞍に尻の置き場が難儀だったが、なんとか萵苣の後ろに乗った。コウは眼下のリンに目を向け、思念に集中しはじめていた。コウは「
萵苣が馬の腹を蹴ると、猛烈な勢いでユッタの視界が上下した。風を切る音と蹄が鳴る音を聞きながら、ためらいながらも目の前の萵苣の細い腰にしがみついた。神官は至近に爆発を食らい、修道服の腰回りはほとんど焼け、白肌も下着もあらわである。触れた瞬間、萵苣の肩がわなないたような気がしたが、荒々しい馬の走りに気遣っている余裕もなかった。
リンの背中はかなり遠かったが、彼の馬が
(
わずかばかりの足止めだったが、萵苣が手綱をさばく馬もなかなかの
凍境湾に面した港の近くには、猟師が多く住む第七修道院が建つ。普段から魚の市が建ち、他の修道都市からも人が集まる活気盛んな場所だが、今日はとりわけひとところに集まった市民たちの喧騒と磯臭さに満ちている。リンの銀髪は目立つはずだが、あまりにも人が多かった。萵苣に続いて馬を下り、リンを探そうとしたユッタの耳に、つんざくような悲鳴が聞こえた。見やると、港に
「仲間がいたのですね。船が乗っ取られてしまいます、急がなければ。
萵苣は言うと片手を突き出し、瞬刻、人混みに向けて何か長く鋭いものを放った。新たな悲鳴が上がった。猟師風の男の肩に、
「何をやっているんですかあなたは!」
ユッタは憤激して萵苣の肩を掴んだ。振り向いた萵苣に表情はなかった。
「一刻も早く彼を見つけるためです。説明の暇はないし、船首の男には射程が足りません。これで人は散るでしょう」
「よりにも聖職者が……市民を傷つけてまで取り返すほどのものだとでも言うつもりか」
「もちろんですよ。天使様の品に異教徒が触れることなどあってはなりませんし、あれを悪用されれば火之本は危機に陥ります。殉教は推奨していませんが、事態に要求されれば別です」
青ざめたユッタを見返し、萵苣は何の屈託もなく微笑んでみせた。
「天使を固く信じればこそですよ。さあ、あなたは盗人を確保してください」
当然のように言うと萵苣は駆け、木の
なすすべがない。萵苣は貴重な大陸連絡船を破壊すべきか否か、迷っているようであった。万策尽きたかと思われたが、そのときユッタの背中を押す風があった。先ほど
「受け取って」
岸壁の萵苣がユッタに向けて青い鉱石を射出した。慌てて両手で掴むと、それは細長く鋭利な刃と柄を持つ、剣の形状をとった水晶である。言わんとしていることはわかった。綱でも渡して昇ってきてもらったほうが万全だが、相手もぬかりなくそのようなものは片っ端から断ち切っていた。しぶしぶ萵苣に頷いてみせ、甲板に振り向いたユッタを襲う轟音と一瞬の光があった。頬の皮膚が傷んだ。かすめて
「今日はいい風だ。今、帆を広げるところだよ。そんなおもちゃで何をしにきたのかは知らないが、なんにせよご同乗は勘弁願いたいな」
火之本では古文書にのみ知られた、黒光りする小型の拳銃を異邦人は握りしめている。その威力は今しがた確認された。彼我に距離がある。剣でどうこうできる間合いではない。形だけでも両手に構えて凄んでみせたが、ユッタは虚しさを覚えた。
(天使のために信徒を殺すような神官に、義理立てる必要などあるのだろうか。もはや関係はないだろう。では、本当に何をしにきたというのだ。気になるのか、彼が……?)
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