第11話

「天と智と神の火に誓いて」

 聖堂の身廊に整列させられた新成人は、ユッタを含めて三十人ほどであった。神官を先頭として、一斉に十字を切りながら祈りの文言を唱え、胸の前に手を合わせる。主祭壇の前に立った神官が、新成人たちに振り返った。

「これまであなたがたは生まれついての修道の義務を、端的に言えば押しつけられてきたわけですから、信徒の自覚に乏しいことは致し方ないことだと思います。……成人の儀は洗礼、塗油、聖餐の秘蹟を授ける、一連の過程からなります。これによって正式に信者に加わることを意味し、その意識を新たにすることをあなたがたに求めますが……少しく長い儀式になります。堅苦しく形式張ったことはなしにしましょう」

 頭を覆って背中に流れるベール、薄い肩に広がる白の襟、ひだが深く刻まれた足首までの黒のワンピース。神官連が着用する修道服のデザインは統一されてお仕着せのようだが、本人らは好き好んでこのような格好をしているらしい。首から十字架の下がる胸元には、装飾の施された金色の弓が片手で抱えられていた。

「はじめましての方は多分いらっしゃらないでしょうけど、一応ね。蝶波修道都市の司祭――神叡者ソフィステス萵苣ちさです。いつもはあまり教会にいられなくて、ごめんなさいね」

 祝祭日にはたまに姿を見るため、無論はじめてではないが、間近に相対したことは今までなかった。前髪を上げてベールにしまい込み、半ば露わにした額になお何本か栗色の髪先がこぼれるその顔貌は、きょとんと驚いているように大きい群青色ソフィアブルーの瞳が注意を引いた。にっこり笑むと控えめにえくぼができ、丸い頬は目立った皺で割れることもない。

「何か特別なことをするわけでも、改めてお説教をお聞かせするつもりでもありません。ただ自然体で、いつもの通りに、天使への思いをもって儀式に臨んでくだされば結構ですよ」

 宗教感覚の薄い若者には、まずは権威をひけらかさず物腰柔らかく接するべし、というところであろう。ユッタはのんびりとした神官のしゃべりに早くも欠伸を漏らしかける。

「細かい所作はわたくしから指示いたします、分からないことがあればお訊きくださいね。……一連の儀式はおひとりずつ行います。順番が来るまで、翼廊先の庭園でお待ちください」

 神官がこうだと修道士も大概で、神聖さのかけらもない日常と地続きな雰囲気のまま、なかには私語を交わす者までいるが、ともあれ言われたことには素直でさっさと翼廊の通用口へ消えてゆく。彼らにとって儀式は内容二の次で、成人相応の決意や感懐もなく、式後のお祭り騒ぎの口実にすぎない。空しい気分を覚えながら、ユッタも人の流れを追っていくと、隣を歩いてきた人物の肩がひどく震えていることに気がついた。

 柔らかに輝く銀髪をひっつめにし、広い額とあらわな耳元はかたちがよく、やや尖った顎に無精の跡は見られない。通った鼻筋と肉付きの薄い頬が端正な印象で、見目好い美少年と言ってよかった。しかし、細い眉を曇らせて冷や汗を垂らし、適度に日焼けした肌を真っ青にしていては、せっかくの整った顔立ちも台無しであった。

 庭園に出てからも悪寒に襲われているような激しい震えを止めず、噴水のへりに座ると肩を抱き、苦しげな細い息を断続的に吐きはじめた。儀式を前に多少なりとも相応の気分を出したいユッタは辛抱ならず、その少年に話しかけた。

「気分が優れないのか」

「いっ」と少年は高い声を上げた。「いえ決してそのようなことはないです」

「そのようなことあるんでないのか」

 ユッタを仰いだ今にも吐きそうな青白い顔に、長い睫毛に縁取られた紅の瞳がことさら病的に光って見える。少年は唇を引き結び、居心地悪そうに目を逸らした。

「苦しいようなら人を呼んでくるが」

「ほ、ほっておいてくれないか。君に関係ないでしょう」

「関係ないことないだろう。腐っても儀式を目前に、あからさまに具合の悪い顔をしてもらっては困ると言っているんだ。縁起が悪いというか、気持ちのよくないことは確かだ」

「何の権利があって言うこと……髪の毛茫々ぼうぼうのうえに、口はばったいやつ」

 癖っ毛を気にしているユッタは頭にきたが、これだけ死にそうな気配を醸しておいて言うことは生意気で、その体力が残っていることにまず驚いてしまった。

「僕は一生一度の大仕事を前に、武者震いが止められないの。形ばかり、どころか形すら整わない弛緩しきった君らの通過儀礼ごっこ程度、それと比べてなんだって言うのさ」

 しゃべるうちに気分がましになってきたのか、少年は顔色を取り戻しつつあった。ユッタはそのことの安心よりも、憎まれ口の叩きぶりに感心するところ大であった。

「言うものだな、この都市まちにも気骨のあるやつはいたらしい。大多数にとって、通過儀礼の認識すらあるかどうか怪しいというのは、その通りだろうよ」

「な、なんだよ。何を足がかりに変な共感を向けるつもり」

「共感すら必要ないということだろう。ぬかりなくも、信仰というものを少しでもまともに考えたことのあるやつにとっては」

「異な話題でけしかけるなあ、君。民衆レベルで信仰という感情が成り立っていないのは、利口でなくても誰でも気づくよ。問題はそこに自ら甘んじてゆくか、否を突きつけるか」

「そういうことだろうな。であればこそ、自己選択としての入信の意味が強い肝心な今日の秘蹟は、おろそかにできないということだろう。それで奮い立つよりはすっかり縮こまってしまうのは気負いすぎだとも思うが、大仕事には違いない」

 少年はとたんにぴょんと立ち上がって、心臓のあたりをわし掴んだ。ひーっ、と妙な声で小さく鳴いたが、一拍置くと先ほどよりはずいぶん尋常な状態にあることがわかった。ユッタも立ち上がり、少年のそれでもまだ青いままの横顔を見た。少年と言っても、背筋を正して並んで立てば、人並みのユッタより僅差で小さめといった程度の背丈であった。

「小生も周囲の倦怠感におされて、気が抜けかけたところがあったのは否めない。どこかおかしくなるほどに自らの覚悟を背負い込めるというのは、見習うべき何かだとは思えるよ」

「……そうさね。僕にとっては大仕事で、他の誰に肩を代わってもらえることではない。多少気が紛れたかな、一応礼は言っておくよ」

 瞬刻、少し迷ったふうに視線を泳がせたあと、少年は訊ねてきた。

「なんて?」

「ユッタ」

「僕は……リン」

 よろしく、と軽く握手したところで、向かいの回廊のほうから大きな歓声が聞こえてきた。

「みんなぁ、水平線に大陸連絡船が見えたってよ」

 今朝見たヤッセの兄弟のひとりが駆けてきて、声を張り上げた。とたんに新成人たちもわぁっと沸き、遠来のものと合わさって鬨のように空気を震わせた。

「例年の帰還時期からみてそろそろだと思ってたけど、よかった、やっぱり今日来てくれた」

 リンは握手したまま、嬉しげにユッタに笑いかけた。握った手に力がこもって、そのままぶんぶんと上下に腕を振り出した。やめたころには、お互い手に汗を握っていた。

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