第10話

 成人の儀を目前にして、聖堂前の表中庭アトリウムには大勢の市民が集まっていた。普段は思い思いに楽な軽装をしているが、神官のお出ましする神聖な儀式にはみな礼拝服アルバを身にまとい、くるぶしまで覆う白衣を邪魔っけと言わんばかり、蹴るように足にまつわらせてばたばたと歩いている。

「ユッタ。先ほどのご老体は」

 コウはまだ目を白黒させ、察しきれない事態に戸惑っているようであった。

「ノッジシは僕の師匠だよ。そのほうではご高名な方だ」

「遠くの都市から最近こちらに移ったためでしょうか、存じ上げないのは……」

「天使学の第一人者で、四光術しこうじゅつの私塾もやっていた。僕も入ったが、全然だめだったな。霊炎アイテール論の思考法に向いていないんだ」

 創世記の一頁に記された、独り子アウトゲネスが大気中に充満させたという四種の霊炎アイテールを、人間精神のウィスと感応させて霊験を賜るための技術を、四光術と呼ぶ。

 最下位の天使アイオーンである叡智ソフィアの本質を共有する人間の霊性の内には、至高神に対するおごった認識欲のために罰せられた叡智ソフィアと同じく、欲動と思慕という二大感情が存しており、ときに対立し、ときに相混じり合っている。つまり、神、天使を求むる人の心の働きとは、卑しくも純粋に燃える我欲と、神意をおもんぱかって抑制する信心とに分けられる。

 信仰という事態に内在するこの二元性を認識し、自己の確たる思惟形式として深く了解したうえで、絶えざる心的葛藤を霊的なウィスとして錬成する。それが大気中の霊炎アイテールと結合し、人神見分け難き現象を引き起こすというのが、四光術を基礎付ける霊炎アイテール論のあらましであった。

「信仰というもののなかには、信じられるということと、信じられないということが、最初から相即的に内包されている。信じやすきがゆえに信じず、信じがたきがゆえに信ずる。信仰という人の入り組んだ感情を単純化せず、現実的なあり方をそのまま捉えることから、霊炎アイテール論は出発した、というが……」

「わかったようなわからないようなことを、よくまあ思いつくものですね」

「神官連から見れば異端とは言わずとも傍流の考えで、彼女らの祈りは現象を求めず、天使学もまた伝統の蓄積が重視される。とはいえ、現実に利益りやくがあるのは霊炎アイテール論のほうだ」

 現実との関わりを拒絶すべき修道士が、信仰の魔術化によって現実に働きかける力を持つ存在となったことの意味は、歴史的に見ても大きい。そもそも修道都市制からして、神官連の要請に先立って、偶然に四光術を会得した隠修士のもとに自然と人々が集ったことに起源をさかのぼることができる。猛獣や異形からの防衛力として機能し、それを目的に信仰を志す者も多かった。初期の修道都市では実際に信仰心が人民の頼みの綱であり、修道士は万人の憧れる理想の生き方であったのだ。それも今現在、観想暦五九九五年の世紀末にあっては、見る影もない。

「コウは修得していたり、心得があったりはしないのか」

「……どうでもいいでしょう、私が訊ねたのは天使博士とやらのことです。彼の探求とは、それとも関連することなのですか」

「若くから修めていた霊炎アイテール論が行き詰まって、それから天使学をはじめたとうかがっている。その御心を察するには、まだ僕は若輩すぎるが、ひとつ」

「なんですか」

「言わずもがなを言えば……霊炎アイテール論者から護教論に舵を取って神官連に認められ、首都に召されるという野心が少しでもあったことは、きっと否定なさらないだろう」

 創世記に描かれた天使アイオーンの叡智的属性や人間に向ける愛、純粋精神としての思惟の形式、権能の範囲、天使同士の交感や位階秩序ヒエラルキア。不可視の天使の様相を探る思索が天使学である。その論文や書物の精度、信心の深きを神官連に認められれば、首都凍境の市民権を付与されるというのだが、未開の領域を拓くべきそれらの思索の実態は、神官の教えに背くことのない保守的なものがほとんどである。実際的にはどこまでも無益な観想の極致をあえて驀進ばくしんすることで、生活の保障という多大な実利に到達しうるという誘惑は、多くの学者かぶれを生んでいた。

 とはいえ、過去の天使学者たちの注解、異同する聖書正典と偽典の成立史、各地の遺跡に出土する古文書との影響関係など、天使学が前提として知悉を求める六千年の蓄積は膨大であり、これに立ち向かえる学識や根気のある人間は多くない。まして、様々な古文書の俗耳を賑わす内容は異端として排除し、極度に伝統と形式を重視する無味乾燥なその実践は、博学であればなおのこと空疎さに耐えかねて、一心に携わることができる者は限られよう。

 そうした困難を破り、碩学せきがくをあえて膨大な虚無と戦わせ続けたノッジシについて、その求道ぐどうの動機を軽率に言い表すことなどできようもない。

「安易にご内心を代弁する愚は犯したくないが、凍境への野心は非難するに及ばない自然なことだと僕には思える。それに値すべき長年の苦心の一端ぐらいは僕も見てきたつもりだ」

「聞くほど不可解です。瞑想の聖地としては観想都市と等価でしょうに、わざわざ危険な砂漠へのご隠居を決め込む頑迷さは、時代遅れというものではないのですか」

「お弟子を巻き込んでのいわば暴挙だ。楽隠居ではあるまい。そこには徹底して俗界を遠ざけねばならない理由があるはずで……それは明確に、天使学の究極に立ち入らんということだろう。あの温厚な師が、常ならぬ目をしていた」

「その振る舞いも巡っては現世への野心だとして、それでもよいとユッタは言うわけですね。いずれにせよ目指すべき凍境という地は、物的にも霊的にも豊穣な極楽に聞こえますが、果たしてそんなによいところなのでしょうか」

「君たちにとっても出生地には違いないだろう。しかし、やはり憶えてはいないか」

「物心つく前の世話をされるあなたたちと違って、人形は出荷されるだけですから……儀式だというのにやかましいのではないですか?」

 吹き抜けの回廊に囲まれた石畳の広場である表中庭アトリウムに集う、祭日気分で落ち着かない人々にうんざりした様子のコウを尻目に、ユッタはノッジシの一件を引き続き、己に問わずにはいられなかった。

 わが国の中枢であり、国家権力の全機能が集約された巨大都市でありながら、庶民には決して門を開かない静謐の聖域。天の恵みを授かった夫婦と、敬虔の極みに達した天使学者と、天使を敬う清らかな乙女にのみ居住権を許される、謎めいた神官の楽園……。天使への祈りが土地の違いに濁されることはないと神官は言う。だが、一生を祈りに捧ぐに相応しい神聖区を、修道士に憧憬しょうけいするなというほうが無理である。

 ユッタは安穏と特権を享受する神官連はまだしも、その意志において動く国家のあり方に、猜疑心を拭えない。それ以上に、霊肉の葛藤という二元論を古色蒼然と自嘲しながら、それでも懊悩せざるを得ない肉身の、あまりに耐えがたいがための焦燥が、硬直した天使学を超える個人の信仰を求めていた。教会に依存しない真の信仰を掴みたかった。

 だが、そのような一個人の無頼の信仰の達成は、若僧が考えるほど容易にはならないと、ノッジシ師の小さな背中が、その狂気を疑わせる形相ぎょうそうが語っていた。師の真摯な思索をもってしても未だ観想のみやこへ召されるに足らぬとすれば、俗人の退廃や教会への反感に発する己の天邪鬼な信仰心など、信仰の名に値しない、浅薄もはなはだしい児戯と言うべきではないか。多少の俗悪にも相対する覚悟なき者が、自閉の果てに独我論へ陥る危険は心得ている。物心ついてから修道都市の近郊より先の世界を見たことがない井蛙せいあけんもまた、恥じ入るに十分な負い目であった。

 ノッジシの不可解な隠遁の理由は、俗化した修道、信ずるに足らぬ教会権威、尽きせぬ肉の欲……信仰を屈折させる諸々から逃げずに立ち向かい、わが身で確かめるに相応しいものだと、ユッタには思われた。

「修道の徒よ、成人の儀をこれより執り行います」

 凛々りんりんと辺りに響いた女の声に振り向くと、修道服をまとった神官が聖堂の扉から姿を現したところであった。

(国を厭い、世を厭い、男を厭い、女を厭う、そんな青春にこりごりしているつもりではあるのだ。俗にものみにも染まらず、師に並ぶような信仰を求めんと思い立つならば、今日という門出の日は吉日であろう。その到達として思いを馳せることは、おそらく間違ってはいまい。あの修道女たちの高い城、観想都市凍境というところは……)

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