第5話
有り体に火之本の宗教観は、天使、すなわち若く精悍な男性たちを防衛力として前線に駆り出したために本地に残された女性たち、そして兵力たりえなかった脆弱な男性たち、この両者の関係に端を発すると言ってよい。
建国記曰く、火之本は古来より女権制の伝統がある。若き男子の消失は女権国家の成因ではなく、元来の権力基盤をより盤石にしただけにすぎない。とはいえ、力の均衡は決定的に損なわれた。生じた問題は、権力と一体となって先鋭化した宗教思想である。
当時の戦乱と天使軍の出兵で人口は先細り、多産を旨に性愛は奨励されたが、本地残留の子供、老人、病人、学者、ひ弱な若者といった男性らは、女性側の性的欲求を満たしうる活力も容貌も到底持ち合わせていなかった。
男女関係の不均衡が如何な世紀末の景色と見えたか、ユッタには知る由もない。だが、それが子宮切除による生殖機能の去勢を、その子宮を移植した妊娠人形の創造を彼女ら自身に要求させたというならば、推して知るべしというものである。それほどまでに彼女たちは天使軍から漏れた残留者に失望し、率直に堕天使と
「私の子宮提供者が誰かなんて、興味ないです。ましてその人がどんな男性を想っていたか、その人の理想にかなった男性に出会えるか? 託されるのは生殖器だけで十分ですよ」
生殖の役割を押しつけられた人形
組織移植に留まらず、人間とほぼ同じ組成の人形に命を与えることまで容易い技術力を持つ神官連である。その彼女らが、
「そのところの事情は、君たちを買う僕らの側も理解してないわけじゃない……買った経験が今までなくとも。現実の躰の背後にいつも天使を透視する
「そうでしょうね。万年不妊の人形私窩子を懐妊させるだけで僥倖、一生に一度あるかないかの確率で、実際それさえ当ててしまえば、人生上がりなんですから」
私窩子の妊娠率が極めて低いのは事実であり、その困難を破って見事生命の奇跡を起こさしめた番いは、天使の祝福を賜ったとされ、火之本一の繁栄を誇る首都に市民権を獲得し、豊かな生活を保障されることが律法に記されている。堕天使は修道士として禁欲的信仰生活に身を捧ぐべし、というのが国のお題目だが、進行形で深刻な人口減を前にしては虚しい
汝、堕天した者なりて、修道に身を清めよ。そう申し渡されて、世の男性は如何な生き方に自分のありようの本質を見るか。生来からそのような宗教教育を受け、骨の髄に沁みているとはいえ、肉の歓びに孕むために造られた女が、日常に寄り添っているのである。孕ませれば神に祝福され、孕ませられなければ悪しき姦淫とみなされる。慎重な恋愛観を馬鹿正直に育むよりも、わが本質は堕落者なり、それで然りと開き直るほうがどんなにか心安いことか。まともな貞操観念を持つことなど、よほどのひねくれ者でなければできはしない。
(易きに流れるをあえてせぬため、信じがたきもあえて信ずる、それこそ小生のような、な……)
理想と現実に板挟まれた我々に導き出される恋愛観はこうである。つまり、宝くじを買う気分で修道士は人形を買う。運命の出会いを引き当てるまで、互いに仮初めの肉の愉しみに甘んずる。原子と原子は肉の海を掻き分け、法悦への裏道遍路に夜をまたいで身をやつす。
ただ、そのような益体無い現実に対応する教義すら、火之本の神話には見出される。
「……天使論で、
「まったく崇高極まりますね。あなたがたは
「我慢して聞いてくれ……。ところで、僕はまだ君に名乗ってはいなかったか?」
「酒場で女将に――麒麟菜から伺っています。ユッタ」
「どうも。ええと、その、
恥じらいがちにユッタは夜来香と目を合わせ、名前をはじめて呼び合った。
「それでだね。卑近に言えば、今このとき、君は僕の
ユッタの得意満面のたとえに顔を上げた夜来香は、いい加減眠たげな目をよりいっそう細めていた。
「どういうことですか」
「僕は君の認識に
ユッタは目の前の少女を抱き寄せた。一瞬の抵抗を感じたが、こわばった躰からは徐々に力が抜けていくようだった。
「
肩口に少女の吐息を感じた。高鳴る心音がこめかみまで響く。大層なことを
「創世記では、
口説き文句のつもりなら、これほど情けなく聞こえるものもないであろう。何か、愛のない契りに対する、誰に向けたものでもない言い訳めいていて、それを自覚すると冷や汗が出た。
「……性と宗教を直結させるのは、若者の悪癖というやつではないですか。それも内向きで、生煮えな類の。本当に経験ないみたいですね。下手とかの次元ではない……」
心底呆れているらしい声すら、ユッタの躰に熱を伝えて昂ぶりを煽り、胸に収まった少女への愛おしさを――しょせんは一時の性愛にすぎないものを、永遠の神への愛と錯覚させるほどにまで、全身と全霊を白熱させてゆくのである。謎めいた熱情に、抗いがたかった。
「売春と婚姻が行為として等価である以上、僕なりの答えを君に伝えておきたかっただけだ」
「よくわからなかったですけれど、その答え。つまりは、私を愛しく感じていたとしても、それは作りものの天使に対するような、偽物の感情だとおっしゃりたい? 何の弁明ですか」
「偽物でいい、何処に本物があるものか、本来そういうものにすぎない。そう自分を納得させるための勝手な理屈だったかもしれないが、こういうことを仮託できるような教義を、僕は神話に見出したということでもある。つまり、一種の信仰告白なんだ。第一の律法は万民修道論だが、聖書には次にこう続く。第二の律法、『汝、
それはおそらく、人形愛を信徒に正当化させたいという、国家宗教の思惑によって記された教えである。その恣意は嫌でも知れたが、目の前の人形に対する欲望はせめて愛と呼びたかった。愛だと言明されなければ、遣る方無いものがユッタにはあった。
「まったく」
醒めた声音で少女は言った。その柔肌には赤みがさして、黒髪は甘く匂った。夜来香を強く抱き締めたまま、ユッタは横になった。
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