五十の城

坤櫓ひつじさるやぐらひつじさるの方向にあったので坤櫓と言われている。


南西の方角だ。


この南西の坤櫓の後ろには大きな石垣が置かれている。


虎口こぐち先輩はそれを見つけると珍しく私達を手招きした。


たずねちゃんは先輩の手招きよりも石垣に興味が湧いたようで呼んでくれた先輩よりも先に石垣に駆け上がっていった。



石垣の階段を上がると広いスペースが開けていた。


そこから坤櫓を高い位置から見ることが出来る。


先輩はこれを見せたかったのかと思ったがちょっと違った。



「この場所ね、実は明石城の天守台なのよ。」


私はその言葉に少し驚いた。


明石城には天守は無かったものだと思っていたからだ。


「天守は火事か何かで焼けてしまったんですか?」


私が不思議そうにしていると石垣の隅で高さを確認していた訪ちゃんがタタタッと駆け寄ってきた。


「明石城は天守は作られへんかってんで。」


「こんなに大きな石垣なのに作らなかったの?なんで?」


こんな大きな石垣があるっていうことは準備していたということだ。


準備していたのにえて天守を作らなかったのは私にとってはありえないことだと思った。


準備をするのも大変なのだからそれをふいにすることは嫌だからだ。


「理由は謎なの。よく言われているのは幕府に気遣って必要になった時に作ると言う観点で天守台だけ作ったという説、大砲の標的になるから辞めたという説、中津城なかつじょうというお城から天守を貰う約束をしたけど本人が小倉城こくらじょうという天守のあるお城の藩に移封になったことで必要なくなったという説。」


そうか、確かに理由がなければせっかく作れる準備をしたんだから作るよね。


私が先輩の説明にそう思って納得すると先輩は言葉を継いで



「そして私がしたいのが平和になったから必要なくなったと判断して作らなかったという説よ。」


「せっかく準備したのに平和になったから作らなかったっていうのはちょっと変な気もしますね。」


初めて先輩に異論を挟んだ気がする。


だけど準備したのに作らない。


これはなんか変だろうと言う固定観念は私の中ではぬぐえなかった。


「そうよね。でも私はこれが一番しっくり来るの。」


「うーん、うちは小倉に移封になったからとか、幕府に気遣ったのほうがしっくり来るけどな。」


訪ちゃんも私と同じで平和だから作らなかったっていうのは異論があるようだった。


「そうよね。だけど私は平和になったからのほうがしっくり来ちゃうのよ。小笠原家おがさわらけはかなり幕府よりの大名で、実は江戸時代末期に小笠原家はお取り潰しになるかもしれないような白黒騒動という事件を起こすの。小倉藩内では藩を二分にするほどの大騒動で普通はこんな統率も取れないような事件を引き起こしたらお取り潰しの上で大名は江戸で謹慎きんしんの上で閉門へいもんになる場合が多かったわ。だけど小笠原家はただただ父祖ふそ勲功くんこうと言う理由で幕府から許されたの。」


父祖の勲功?


普通会社で派閥を割って争うような事になったら派閥の代表は首になるだろう。


昔の勲功で許されるって相当信頼されていたのに違いない。


「父祖の勲功というのは何かというと、大坂の陣で戦死した忠真ただざねのお父さんとお兄さんの戦死のことなの。要するにこの当時の小笠原家の信頼はお城に天守を作ったくらいではるがないほどだったと言えるわ。小笠原家は流浪るろうを繰り返して本当に苦労したわ。しかも忠真は父親も兄弟も失ってしまった。そんな小笠原家が天守を作れるのに敢えて平和になったから作らなかった。なんて話、凄く素敵じゃないかしら。」


先輩が歴史の話で素敵だからという理由で意見を述べるのは珍しいなと思った。


だけど領国を戦争で失って流浪の旅を強要された小笠原家、父も兄も戦争で失った小笠原家、そんな家が平和だから戦争のための天守は必要ないと考えたって思うとすごく素敵だなと私もそう思った。


訪ちゃんは先輩の意見を全部は肯定して無さそうだけど


「確かに素敵かも知れん。」


と先輩の感傷的な意見には一部賛同するところがあったらしい。


「凄く素敵だと思います。」


私は平和だったから天守を作らなかったという説が本当だったら良いのにな。


心の底からそう思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る