第2話 一筋の希望

 しばらく走った後で、冷静になった頭が、今の自分は無一文であることを悟った。

 全てはギルドに預けてある。

 取りに行かないと。


 ギルドに再び戻った僕は、また冒険者らの冷たい視線に晒された。


「おい、てめえ何しに戻ってきたんだよ。まさか?」


「ソレイドさん。ち、違います! 僕はただ預けていたお金を引き出そうと……」


「まあ、今更お前がどれだけ必死こいて弁明したとこで、あれを見た職員が信じるとは思えんがな。汚ねえから出て行けよ」


「え、あの、お金をおろしたらすぐ出て行きます……ので……」


「さっさと出て行けって言ってんだろ!!」


 評価SSの睥睨へいげいは、僕をすくみ上がらせるには十分な脅威であった。


「す……すいません……」


 冗談じゃない。ここには僕が細々と稼いできた六年分の報酬が貯まってるんだ。

 はめられただけなのに、それすらも没収なんて、いくらなんでもあんまりだ。


 後ろ指を刺されながら酒場から出て、街の喧騒の中を重たい足を引きずって歩く。

 すると、後ろから声がかかった。


「トーラくん?」


「あ……キーラさん……」


「ごめんね、うちのアレクちゃんが」


「い、いえ……」


 僕をうつす透き通るような碧眼には、雨にぬれた情けない田舎者の姿が写っていた。

 ギルドから追放され、社会的地位は底に落ち、それに無一文。

 騙されてこうなったといえば、僕を期待を込めて送り出してくれた村のみんなの憐憫を買うこと請け合いだ。


「お金を引き出したかったのよね? 私が代わりに引き出してきてあげるわ」


「ほ、ほんとですか!?」


 天からくだった蜘蛛の糸に、藁にもすがる思いで縋りついた。


「あ、暗証術式は、」


 もしかしたら、口座が凍結されるかもしれない。

 僕は急いで、自分の口座の暗証術式を教えた。


「うん、わかったわ! ちょっとしたら戻ってくるから、待っててね」


「はい! 本当にありがとうございます!」


 柔らかな笑みを浮かべた後、金シルクの髪をなびかせギルドの方へと走る彼女を最後まで目で追った。


 いい人だなあ……。


 僕は密かに、彼女に思いを寄せていた。

 強くて、優しくて、綺麗で、おまけに本当に困った時に助けてくれる。


 そんな彼女の帰りを、黙って待っていた。


 だが、二日経っても彼女は戻ってくることはなかった。


 入れ違いになったらと、動くに動けなかった僕は飲まず食わず

 で待ち続けていた。


「流石に……おかしい……」


 体を動かした途端に、ぐうっと、腹の虫がなる。

 今日は、遠征休日で冒険者は休みだ。

 自分からギルドに出向いてみよう。


 再び戻ってくると、酒の匂いがつんと鼻腔をこそばいだ。

 昼間だと言うのに、所狭しと並べられている円テーブルには、すでに酒を煽っている連中が多く見受けられ、その中に、丸っこい金髪の頭が一つ。

 お目当ての人を見つけた。


「もう、次が最後の一杯よー。あいつぜんっぜん金持ってなかったんだから」


「あの……キーラさん……」


「おお、噂をすれば影がさすでござるな。追放されたのに何度も門を叩くとは、見かけによらず肝の座った……いや、ただの脳足らずでござるかな?」


「す、すいません……すぐに出て行きますので。それでキーラさん? お金は引き出していただけたのでしょうか?」


「ちゃーんと全額引き出したわよー。もうすぐで全部ギルドの経費に消えちゃうところだったんだからー」


 良かった。本当に間一髪だったんだ。キーラさんに感謝だな。この際、二日も待たされた事は水に流そう。


「なんとお礼をすればいいか……それで、それをいただいてもよろしいですか?」


「お礼ならとっくにもらったから気にすることないわよ〜」


 キーラが、ソレイドに目配せすると、気づいたように酒気を帯びた息を吐き出した。


「またてめえかよ。ほらよ」


 ソレイドが手を振り上げる。

 そこから何かが飛び出し僕の胸に当たって、キンっと金属音をたてて地面に転がった。


「あの、これは……」


「あ?! みらわかんだろうが! 10ガルドコインだよ! てめえの目当てのモンだよ」


 そんなわけがない。10ガルドと言ったら、パンが二つ三つ買える程度の端金である。

 六年間、僕を笑顔で送り出してくれた村への恩返しのために、無駄使いせずにひたすら貯めてきたお金が、こんな少額なはずがない! 


 こんな僕でも一ヶ月に少なくとも10万ガルドは貰っていた。1万ガルドは装備とかその他諸々の経費で使い、残りは全て貯金に回していた。


 たったこれだけのはずがないんだ。


 だが、その目は本気だった。どうしたものかと、キーラの方を振り向く。


「ほら、早く出てきなさいよ。またアレクちゃんが怒るわよ」


「え……だって……10ガルドって……」


「言ったでしょ? お礼はいいって」


 繋がった。この人たちは僕が貯めてきたお金をほとんど食費に使ったのだ。

 自分の中で、何かが崩れる感覚がした。

 これが、心が折れた音なのだろうか。


「ふ、ふざけないでください! このお金は村への恩返しのために、ずっと貯めてきたお金なんです!」


「そうなの? それにしては二日で底ついちゃったけど」


 平然と答えるキーラ。

 僕の内から、形容し難い感情が膨れ上がった。


「ふざけるな!!」


 だが、次の瞬間、僕の腹部に痛烈な痛みが走った。

 息もできずに、内容物もないので汚らしく涎を垂らして地面にうずくまり、薄れゆく意識の中――


「バカよねえ、私こういう人間が一番嫌いなのよ。田舎者のくせに」


 僕に一筋の希望をもたらしてくれた女神の、悪魔のような言葉。それが意識が途絶える前に、最後に聞いた言葉だった。

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