追放の章
第38話 反撃ののろし
レイアとミクノフ連合軍がサーベル王国軍を追い払い、国境の死守に成功したのは五月のことだった。
すぐにミクノフ王国から早馬に乗った使者が放たれ、レイアの王宮にやってきた。
国王はその時朝の謁見の最中で、謁見の間には彼と朝の挨拶をするために、多くの貴族達が列をなしていた。
使者が謁見の間に駆け込み、玉座の前に膝を突くなり「我が国の軍隊が大勝利」を収めたことを奏上する。
その瞬間、謁見の間はどよめいた。国王が近くにいた大臣たちと抱き合う。
聖女は王太子の前まで進み出て片膝を折ると、微笑の手本のように控えめで清楚な笑顔を見せ、ベタベタの砂糖のように甘い声で言った。
「さすがですわ。殿下がサーベル軍の動きを的確に推測されたからこその、勝利です」
「聖女様とこの国の未来を守るために、当然の仕事をしたまでだ」
実際に戦地で戦い、勝利したのはこの王宮にいるものたちではない。けれど聖女は、まるで王太子が一番の功労者だとでも言いたげに、うっとりとその蜂蜜色の目で彼を見つめていた。
(これで、やっとギディオンに会える……!)
私も密かに胸を撫で下ろした。
王宮に来てすぐの頃は、長く彼と会っていない時期があったのが信じられないくらい、今は彼に会いたくて仕方がない。
軍隊が凱旋帰国したのは、六月に入ってからだった。
王都の目抜き通りを進み、レイアの民に軍隊がその勇姿を見せつけながら、王宮へ向かう。
民衆は王都の沿道からその一行が通り過ぎるのを見守った。
薄いグレーの軍服を着た兵たちの集団の少し後ろに登場したのは、濃い紫色のローブを纏った魔術軍団だった。
ミクノフでの活躍が既に王都まで届いていたために、彼らは沿道に詰めかけた人々から拍手喝采を浴びたという。
こうして王宮に戻った将校たちは、戦勝報告をするために王宮の中で最も重要な場面で使われる、広い会議室に集まった。
縦列に五十人は座れるほどの長く大きなテーブルを挟み、国王と王太子、それに大臣たちが将校たちを迎える。
聖女は会議室の奥に設えられた一段高くなっている席に座った。
長い旅程を終えたばかりだからか、将校たちが会議室に入ってくると、微かに土埃の匂いが漂った。
国王との謁見のため髭は剃られ、髪の毛も整えられてはいたが、彼らの顔はよく焼けており、皮膚が所々乾燥で剥け、戦いの厳しさの片鱗を覗かせた。
まずは意気揚々と一通りの戦況の事後報告がされ、国王がそれを讃えた。それが終わると、王太子は皆の顔を見渡して、尋ねた。
「魔術兵の活躍は目覚ましかったと聞いている。兵団長のギディオンはなぜこの場にいない?」
レイア軍を率いていた総司令官は一転して鎮痛な面持ちになった。
「申し上げます。魔術兵団長、ランカスター公爵家の次期当主、ギディオン・ランカスターは帰郷を目前にして……残念ながら」
ざわつく人々を国王が片手を持ち上げることですぐに黙らせ、両眉を寄せて総司令官に続きを促す。
「サーベル軍が撤退したすぐ後のことでした。深夜にサーベルの残党どもが野営地に乗り込んできて、ランカスター団長の天幕に火と油を放ったのです。本当に一瞬のことで…」
「それで、ギディオンは今、どこにいる?」
そう尋ねた王太子の声は淡々としてはいたが、どこか抑えきれない興奮が滲んでいる。
総司令官は目を閉じてから、とても低い声で答えた。
「兵団長は間もなく、王宮に。――ご遺体を現在、王宮に向けて運ばせております」
いやあぁぁぁぁぁあっ!! と悲痛な叫び声をあげたのはアイリスだった。
椅子から崩れ落ちる勢いで、両手で顔を覆い大粒の涙を流している。
「あのギディオンが。わたくしの兄のような、あの人がっ!!」
王太子が後方にいる聖女を気にしつつも、低く抑えた声で将校に尋ねる。
「それで、遺体がギディオン・ランカスターだと誰が確認したのだ?」
「……燃え跡から見つかったご遺体は損傷が激しかったのです」
王太子は一瞬、ピクリと顔を引き攣らせた。
ゆっくりと一度瞬きをすると、静かな声で質問を重ねる。
「それでは、まだギディオンだったと確かではない。生死は断言できないのでは?」
将校は狼狽した様子で、首を横に振った。
「否定なさりたいお気持ちはわかります。ですが、状況から考えれば、残念ですが……」
取り乱して嘆く聖女の前に、私の感情は行き場を失い、逆に冷静になった。
魔術学院を万年首席だったギディオンが、そんな残党の不意打ちなんかで、死ぬはずがない。きっと身の危険を察して、どこかに上手く身を隠したのだ。
私は誰より、彼が偉大な魔術師だと知っている。
彼が無事でないはずがない。
何より、彼は私があげたお守りを持っていたはずなのだ。
(もしお守りが燃えたなら、術者である私に何らかの衝撃がくるはず。でもそれが、何もないんだもの)
お守りは無傷で、今もどこかにあるはずだった。
彼が夜中に天幕ごと燃えたはずが、ない。そして彼も私が間違えたりしないと、わかっているはずだ。それは希望的観測ではなく、私の確信だった。
ミクノフ戦で功績をあげた兵達には、国王から勲章が授けられることになった。
選ばれたのは、兵士だけではない。
聖女はミクノフから帰国した負傷兵の治癒も行ったため、彼女も式典で勲章を授与される一人になっていた。
ギディオンも受章者に選ばれたのだが、当然出席は叶わない。そこで代わりに父である公爵が受け取ることになったのだという。
王太子は悲しむ聖女を慰めていたが、私にはどこか彼が喜んでいるように見えた。彼は物思いに耽る私のことも、ショックを受けて無口になったと思っているらしく、妙な労いの言葉をかけてきた。
「リーセル。人生はままならないことが、実に多い。かわいそうにな」
王太子は私の肩をぽん、と叩いた。まるで無駄に強がる私を慰めでもしているかのように。
たしかに、それが人生かもしれない。でも、前回のあなたたちは、人を踏みつけてまで、高みを目指そうとしたじゃないの。
無理やり消してきた自分の心の中の炉に、火がついているのを感じる。それは我慢して来た年月に比例するように、私の中で着実に燃え広がっていく。
(今回は思い通りになんてさせない。世界は一部の人たちの為だけの、都合のいい舞台なんかじゃない)
バラルで静かに暮らすことが許されず、王宮に引き摺り出されてしまうなら、戦うしかない。
今回はただ流れに飲まれるわけにはいかない。
今度こそ聖女の思い通りにはさせないし、私はこの王太子に殺されるつもりもない。
深夜にシンシアの部屋に集まると、女子寮に忍び込むために被った長髪のカツラを外しもせず、マックは私の方を見て毅然と言った。
「ギディオンは寝込みを襲われて死ぬような奴じゃない。絶対、どこかに隠れてるのさ」
「そうよ、リーセル。すっかり自分の天下だと思っている王太子に、一矢報いるなら今しかないわ」
「うん。これ以上、王太子や聖女に好き勝手はさせない」
シンシアのベッドに腰掛け、私は頷いた。シンシアが私とマックにお茶を差し出してくれながら、遠慮がちに言う。
「王太子はギディオンを思い通りに動かすために、リーセルをそばに置いたんじゃないかしら」
「そうね。今さら私に記憶があるとバレれば、私は消されるのかも」
思わずそう呟くと、シンシアとマックはしばし黙り込んだ。否定する言葉が見つからなかったかのように。
私は構わず、マックに真面目な話を続ける。
「王都警備隊は舞踏会場の火事を捜査してるのよね? だったらその前に起きた歌劇場のボヤ騒ぎも、調べてほしいの」
「あれも?」
「うん。当時働いていた人で、急に羽振りが良くなったり、もしくは姿を消した人がいるかもしれない」
マックは宙に目をやったまま、ゆっくりと数回頷いた。
「なぁーるほど。言いたいことが、分かったよ。式典には間に合うよう、急ぐよ」
「聖女の罪を明らかにするなら、大舞台ほど効果的だし、相応しいと思うんだ」
私がそう言うと、シンシアが感慨深げに頷く。
「あの聖女を断罪するなら、一発で完璧に駆逐しないと。――勝負の受賞式典になるわね」
「式典が行われる七月の日曜日は、リーセルが殺されたまさにその日だぜ。どうせ中身偽物殿下が、日取りを決めたんだろ。わざわざこの日を選ぶなんて、奴も思い入れがあるんだな」
「逆に言えば、この日を過ぎれば、全てが変わるわ。本当の意味で新しい日が、始まるって言う事よ」
いつもは穏やかな口調のシンシアが、珍しく力みながら言った。
前回の私が迎えられなかった、新しい日。
その日を乗り越えるために、これまで頑張って来たのだ。
「王都警備隊長も、腹を決めてくれたよ」
「よかったわ。私は明日、キャサリンナの家に行こうと思うの。彼女にも、力を貸してもらうつもり」
私がそう言うと、二人は力強く頷いた。そして膝の上で、握り拳を作った。
「運命をひっくり返そうじゃないの」
「そうだね。リーセルの六歳からの努力を、結実させる日だよ。みんなで聖女の罪を暴くぞ!」
生きるか、死ぬか。
私の起死回生のあの正午が、再びやってくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます