第12話 美涙さんの涙

 ここは都内の古いマンションの一室。

広さはワンルームタイプでかなり狭い。

今まで3LDKの瀟洒なマンションに住んでいた美涙さんは

息苦しく感じながらも結城さんの優しさに何も見えなかった。


『今日で三日も無断欠勤しちゃったわ』

『またそんなこと言ってるのか。

言ったじゃないか、君はあんな場末の店にいたらもったいないよ。

君にもっとふさわしい豪華な店を知ってるから紹介するさ。

今までの倍以上は稼げるかもしれないよ』

『でも長い間お世話になったし挨拶もしないで辞めるなんて・・・。』

『俺が信用できないのか?今、戻ってみろよ。

絶対引き止めてられるしなんやかんや言われて辞められなくなるぞ。

今がチャンスなんだ。

まあ気が引けるのは分からなくもないがこれからの事に集中するんだ!

さあそんな顔してないでこっちにおいで』

と結城さんは美涙さんを後ろから抱いて

耳元に囁くように言った。

『わかった。今チャンスよね』

『そうさ、早速、明日面接に来てほしいそうだ。

新宿でも有名な店で政治家や芸能人が毎日たくさん来るよ』

美涙さんは愛に溺れる自分を感じながらも

結城さんは運命の人だと疑わなかった。


新宿のクラブ『G』はかなりの広さで

店内も豪華な作りではあるけれど

どことなくうす暗く古びた印象の店だった。

『結城さんお待ちしてました。こちらが噂の彼女ですね』

と美涙さんに名刺を出したのはこのお店の店長だった。

目つきの鋭い狐顔の店長が笑顔で迎えてくれた。

『前の店でナンバーワンだったとか、噂通り美人さんだ。期待してますよ。

で、今日から出勤できるかな?』

『あの・・・私、まだこのお店のこととか条件とかお聞きしていませんが・・・。』

『えっ、結城さんから何も聞いてない?』

『は?はい、何も。今日面接でということで詳しいお話をお聞きしてからと思ってまして』

『後で私からちゃんと説明しますので今日はこの辺で帰ってもいいですかね』

と結城さんは狐顔の店長に目配せをしながらそう言った。

『じゃ結城さんこの子、明日から早速出勤してもらうということで今日はどうぞ帰ってください。

今、女が足らなくて困ってるんだよ・・・。』

と店長はちょっと目つきが悪くなり言葉も乱暴になった。

『すみません。失礼します』

と美涙さんはそこから早く離れたくて帰りを急いだ。


『結城さんさっきのお店ってせっかくだけど嫌だわ』

『何言ってるんだ!店長はちょっと怖そうな顔しているけど

あれで面倒見のいい人なんだ。もう長い付き合いだし

給料も今の倍は出すって言ってるしチャンスだと思わないか!』

『でも、気が進まないわ・・・。』

『なあ、実はもうバンスしてしまったし働かない訳いかないんだよ。

俺を助けると思って明日から勤めてくれよ』

『バンスって何?前借ってこと?私受け取ってないわよ!』

『いや・・・俺がもう受け取って貯金したさ。

給料が倍になるんだからちょっとは見栄えのいいドレスも揃えなくちゃいけないだろう』

『ちょっと待ってよ!私の気持ちなんて関係ないって訳!

勝手に決めてお金受け取ってもう信じられない!』

美涙さんは目の前に起きた事が予想外すぎて急に止めどもなく涙が出て仕方なかった。

『おいおい泣かないでくれよな。

大体自分で俺と一緒にいたいってここまで付いてきたんだろ。

そうしたら我が儘ばっかりでさ、俺はどうしたらいいんだ』

『・・・。』

美涙さんはこの時、夢から覚めたように

結城の罠に気が付いた。

でもここは逃げる訳にもいかずやはり言いなりになる他はないのか?

いや、そんな事は今までの自分を否定することになる。

動揺しながらも短時間で美涙は冷静さを取り戻し自分の取る方向を見いだした。

『分かったわ、それでバンスはいくらだったの?』

『美涙ありがとう。良かったよ。金額か?50万だ、相場よりかなり高くしてもらったんだ』

『50万ね』


次の日、『G』へは一人で行った。

『おはよう!今日からだな。頑張ってくれ!詳しい話はマネージャー・・・』

『店長さんお話があります』

『なんだ!後はマネージャーが』

『いいえ!私は働きに来たのじゃないですよ』

『何!結城から話、聞かなかったのか!』

『聞きました。バンスのことも知ってます。

ですから確か50万でしたよね。ここに50万ありますので

どうぞこれで私を自由にしてください』


そうして美涙さんは将来自分のお店を持つために貯めてた

貯金から50万円引き出して自由を得たのです。


『もしもし』

『あっ!美月ちゃん?私、美涙』

『ええっ!美涙さん!今どこですか?みんなで心配していたんですよ』

『ごめんね。・・・』

『本当にどこですか?迎えにいきますよ!』

『今、駅前のカフェ。どうしたらいいか体が動かないの。

ここまでやっとたどりついたんだけど・・・』

と美涙さんは声にならない声で泣いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る