第5話 始まりの日(三)

 予想通り、この空間にいる誰しもが驚いた。生徒は当然、エイジに続きコトネまでもが口をぽかんと開いて、ヒビヤをただ見据えている。


「ヒビヤ、それは」


「大丈夫ですコトネさん。信じてください」


 コトネはしばし瞑目したあと、


「わかった。好きなようにやってみてくれ」


「ありがとうございます」


 許可も下りた。ヒビヤは再度、呆けたままの生徒たちに声をかける。


「誰でもいい。指輪の使い方がわかるなら俺に向けて使ってほしいんだ」


 眉をひそめたカナが一歩前に出て、


「そ、そんなことして何の意味があるんですか咲坂先生!」


 彼女の言うことはもっともだろう。しかし、


「この方法が一番教えられると思うんだ。指輪を正しく扱えば、生き残ることも倒すことも出来るって」


「……それ、ほんと?」


 口を開いたのはフミノだった。


 正直、あのぼーっとしているフミノが真っ先に言葉を発するとは思っていなかった。


「ああ、本当だよ」


「じゃあ、ヒビヤせんせ、信じるよ」


 フミノがゆらりと右手をあげる。中指には指輪。呟く、


「――《フラガラッハ》」


 指輪が白く光り輝き、形を成した光の矢がヒビヤに向かって放出される。


 ――いける、『壊す』だけなら今の俺にだって。


 顔面目掛けて迫りくる光の矢に対抗するように、左手をかざし、集中。


 世界が遅くなる。今ここにあるのは、自分と、レーヴァテインと、光の矢だけ。


 刹那、黒と白の閃光が視界を埋め尽くした。


「――咲坂先生っ!」


 カナの声が聞こえた。ユヅキが目を見開く。フミノが胸をなでおろす。コトネが短く笑う。エイジがやれやれと呟く。


 閃光の中心、そこには先ほどと全く変わらず、傷一つないヒビヤが立っている。


「い、一体何が……?」


 ユヅキは目の前の光景が信じられないと言ったふうに、その場に座り込んだ。ここまで驚かしてしまうのも、なんだか申し訳ない。


「ああ、簡単なことだよ。俺の《レーヴァテイン》で、フミノの指輪によって放たれた力を破壊したんだ」


「そ、そんなことできるんですか⁉」


 カナが突進する勢いで駆け寄ってくる。ずいと顔を突き出してくるので、両手でどうどうと宥めながら、


「ちゃんと自分の指輪の力を把握していればな。《レーヴァテイン》が持つのは破壊の力だ。だから――」


 年頃の少女の体に触れるのも良くないとは思いつつも、そうでもしなければ引き剥がせないと、思い切ってカナの肩を掴み一歩下がらせる。


「少し、見ていてくれ」


 念のため拾ってきておいた小石をポケットから取り出し、誰もいない方に放り投げる。放物線を描き飛んでいく小石に意識を集中、そして放つ。黒い線に貫かれた小石は粉々になって床に散らばった。


「こんな風に、命中させた物体を破壊することができる。さっきやったのもそれだ。――壊すだけの力なんて、明らかに攻撃するしかないような力だけど、使いようによっては防御にもなる。力の理解、応用は確実に生き残るために必要だ――ってことを伝えたかったんだけど……どうだろう、伝わったか?」


 カナは首をぶんぶんと振って首肯、ユヅキは未だ目を白黒させ、フミノは口をだらしなく開いている。伝わっているのだろうか。不思議と気まずくなって、後ろを見やると先ほど砕いた小石の破片が散らばっている。これもあとで片付けないと。


 しかし、このまま余計なことを考えている場合ではない。後ろ頭をかきながらも、視線を皆の方に戻して、


「――まぁ、そうだな、俺が君たちに指輪の正しい使い方ってものを教える。だから、俺を信じてついてきてほしい」


「わかりました! これからよろしくお願いします、咲坂先生!」


「えっと、その……よろしくお願いします、咲坂センセ」


「……よろしくね、ヒビヤせんせ」


 これは、とりあえず、信頼を勝ち取れたってことでいいのだろうか。


 その様子を見ていたエイジは煙草を口にくわえながら、


「よくも病み上がりに近い状態であんな芸当をやってみせたもんだぜ。なぁ、コトネ?」


 コトネは体育館という中で喫煙しようとしているエイジの膝を蹴りながら、


「私も若干不安ではあった。が、あの目を見た時に今なら――今だけなら、《レーヴァテイン》を使えると思った。生徒たちと関わっていく中で、ヒビヤ自身も成長していってほしいな」


 ヒビヤの《レーヴァテイン》は、その強力な力の代償として、使うときに強靭な精神を要求する。


 コトネは、あの失踪からヒビヤが立ち直れていないのではないかと思っていた。だが、それも今日のことで杞憂に終わった。


 ――ヒビヤは強い男だ。誰かのためなら、自らの命をかけられるほど。


 生徒――主にカナへの対応に戸惑うヒビヤを見ながら、コトネは腕を組む手の力を強めるのだった。



「――今日はどうだったよ」


 昇降口の前、夕陽を背に煙草を咥えたエイジが言う。そちらの方面に明るくないヒビヤにとっても、その姿は様になっていると思った。


 生徒たちは既に寮――代わりのマンションに帰り、ヒビヤはエイジの一服を待っている最中である。


「思ってた通り、大変だった」


「生徒どものことか。それとも、教えることか?」


「どっちもだけど、どちらかと言えば生徒たちのことかな」


 言いながら、三人の顔を思い出す。


 一番大変だったのはカナだろう。その明るすぎる性格についていくのが精一杯で、対応に困らされた。しかし、その明るさはこの暗いところの多い世界の中で頼りになるかもしれない。


 そのカナと違って、ユヅキは臆病な少年といった印象が強い。というより、指輪の話をするたびに何かに怯えているような気がした。このまま教えてもいいものか、出来ることなら原因を取り除いてやりたいとも思う。


 フミノはよくわからない、といった感想しか出てこない。まるで夢の中にいるかと思ったら、自分に向かって指輪の力を使ってほしい、と言った時には真っ先に使ってきた――ありがたかったが。


「でもさ、楽しかったろ?」


 顔を上げれば、エイジが笑っている。そうだな、


「ああ――楽しかった。やっぱりさ、人と接するのって、いいな」


 ヒビヤの言葉にエイジは目を点にして、


「なに、それっぽいこと言ってんだ。おらおら」


 別にいいだろ、と言おうとした時、エイジの手が頭に乗せられる。ぐしゃぐしゃわしゃわしゃ、鬱陶しい。


「こんなことしてる暇あるんだったら、運転できるだろ」


「む、言いやがる。しょうがねえ、じゃあ帰るとするか」


 携帯灰皿に吸殻を放り、エイジは今朝乗ってきたおんぼろ車に向かう。それに従ってヒビヤも歩き出すと、背後から声がかけられた。


「――ヒビヤ」


 振り返ると、昇降口にコトネの姿があった。その表情はなんだか柔らかいような気がした。


「コトネさん、お疲れ様です。あの、本当に乗っていかなくっていいんですか?」


「まだ済んでない仕事があるのでな。今日は、ご苦労だった。明日からも頼むぞ」


 そう言ってコトネは校舎の中へと姿を消した。先ほども挨拶したというのに、もう一度来てくれたというのは嬉しく思う。


「おいヒビヤ、惚気てんなよ。早く乗れ」


 エイジは既に運転席に座っている。急かした以上、待たすのも良くない。最後に校舎を一瞥したあと、おんぼろ車に足を向ける。



 こうして、ヒビヤの教師としての初日は終わりを告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

指輪魔法学園《リングマジック・スクール》の新米教師 逆さまのラー油 @reverse-rayu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ