第4話 始まりの日(二)
思い切って入ってしまえば大したことはなかった。職員室の中には机が四つ、真ん中に固められて置いてあるだけで、想像していた独特の空気感というものはない。それより机がなぜ四つあるのか、視線でコトネに問うと、
「言い忘れていたか。実は私とエイジ、そしてヒビヤの他にも一人、教員はいるんだ」
「そうなんですか?」
コトネは頷き、
「ヒビヤも過去に一度くらいは顔を合わせているかもしれないな。だが、今はいいだろう。――それで、ヒビヤの席はここだ」
そう言ってコトネに示された席はまさにおろしたてと言ったばかりの机――のはずなのだが、左隣につけられた机から雪崩のように漫画本が降ってきている。
「ん、読みたいなら読んでいいぞ」
ヒビヤの視線を察したのか、エイジが言う。どうせ冗談半分に言っているはずだと、そんな時間があるわけでもないだろうと無視する。
「――さて、これからの予定だが。まずは体育館で入学式。次にオリエンテーションだ。内容はヒビヤに任せると言ったが、考えてきているか?」
「考えてきています。内容はどんなものでも構わないんですよね?」
オリエンテーションを頼みたい、と言われたときには心臓が止まるかと思った。それから寝る間も惜しんで考え続けて出した案は自分でもろくでもないものだと思う。だから、ダメだと言われたそのときには本当に心臓が止まってしまいそうだ。
そんなヒビヤの心配をよそにコトネは口角を上げ、
「構わない。お前なら、生徒たちに正しい道を示してくれるだろうからな」
「なぁ、そろそろ時間じゃないか?」
エイジの声。促されるように時計を探す。首を巡らせるとそれはすぐに見つかった――八時五十分。
入学式が始まる九時まで、あと十分だ。
「ふむ、もう時間か。では行くとしよう、新入生たちに会いに」
「――はい」
いよいよだ。いよいよ始まる。前を行く二人の背を追い、職員室を出る。
直後、衝撃がヒビヤを襲う。
「きゃぁっ!」
短い悲鳴に続いて、硬い床に押しつけられる感覚。背中の痛みとともに目を開くと、真っ赤な顔をして息を切らした少女がヒビヤにのしかかっていた。
「……だ、大丈夫、か?」
予想だにしていない状況に、ようやく絞り出したセリフがそれだった。相手はと言うと、
「……は、はい……っ、ごごごめんなさいいいい!」
返事をしている最中に自分がどんな状態か気づいたのか、凄まじいスピードでヒビヤから飛びのき、くるりと半回転、猪のように走り去ってしまった。
「――なんだったんだ」
つい、ぼやいてしまう。
「おいおいヒビヤくん。初日から飛ばしていくじゃねえか」
差し出された手を掴み、
「そんな言い方はやめてくれ、こんなの事故でしかないだろ。というか、あの子は一体……」
制服を着ていたし、この学園の生徒なのだろうか。コトネなら知っているかと、エイジの手を借りて立ち上がったあと振り向くと、
「時間がない。早く行こうか」
腕を組んだコトネが言う。口調こそ普通だが、怒っている――ような気がする。肘を握る手に力が入っているのが証拠だ。
「――それにしても、廊下を走るのは感心しないな?」
そうなんだろうけど、どうしてそれを自分に言うのだろう。ヒビヤはなぜかいたたまれない気持ちになり、口をつぐむ。
「……行こうぜ」
妙に気まずい空気の中、体育館までの道のりを歩いて行く。空気が重い。不安だ。
一、二分歩いていると、前を歩いていた二人の足が止まる。どうやら着いたらしい、通常よりも大きい扉が目の前にあった。エイジが扉に手をかけると、コトネがそれを制して扉の前に立つ。かなり重そうな扉だが、小柄なコトネに開けるのだろうか――心配する必要なかった。コトネは眉一つ動かさずに扉を開いた。
中には広々とした空間がある。そして、中央に制服を着た二人。
立ったまま眠っているのか、目を瞑った少女――いや、体つきからして少年。
どこを見ているのか、天井の隅をじーっと見つめてピクリとも動かない少女。
あの二人が新入生なのだろうか。
歩み寄ろうとしたとき、
「――遅刻だああああああごめんなさいいいいいいっ!」
直感で理解する――またか。案の定、背後から思いっきり突き飛ばされた。体育館をごろごろと転がって、手に摩擦熱を覚えたころ、ようやく止まった。顔をあげれば、何事かとコトネとエイジ、さらに少年少女までもがこちらに注目している。
「ま、間に合った……? はっ、ごめんなさいごめんなさい!」
こちらに駆け寄ってくるのは、先ほどとまったく変わっていない息を切らした少女。
コトネがため息混じりに呟く。
「――ともかく、これで揃ったようだな」
ということは、この三人が新入生。自分が指輪の使い方を教えることになる生徒か。
「よしお前ら、とりあえず整列してくれ」
突如目の前で起こった出来事に動揺している二人を落ち着けようとエイジが言う。額を抑えているこちらを覗き込んでいる少女にも、ビシッと指を向けて、
「ああほら、お前も。そいつも見た目ほどヤワなやつじゃないからほっとけ」
少し酷い言い草ではないかと思ったが、このまま周囲の視線を集めているよりも大分マシだとヒビヤは思う。弱そうなやつとも思われても困るし。
突進少女はどうしたものかと慌てふためいていたが、最後に大きく頭を下げて他の生徒のもとへ走っていった。ヒビヤも立ち上がり、ため息をついているコトネとニヤニヤと笑っているエイジのもとへ歩いていく。
コトネは場が落ち着いたことを確認すると咳払いを一つ、
「――自己紹介をしようか。私は九条コトネ。この学園の理事長をやっている。こっちのガラの悪いやつが春川エイジ。そして、この線の細いのが咲坂ヒビヤだ。この場にいないものが一人いるが、四人で君たちに教えていくことになる。では、君たちのことを教えてくれ」
生徒三人はお互いに目を合わせる。最初に口を開いたのは突進少女だった。
「白雪カナです、よろしくお願いします!」
中性的な少年が続く、
「青葉ユヅキ。その……よろしくお願いします」
最後は夢現といった雰囲気を纏った少女。
「赤染フミノー、よろしくねー」
――なるほど、これはまた個性的な面々が揃っている。
位置こそ違えど、皆それぞれ指輪をつけている。その光景が、ここが指輪使いを育てる場なのだと実感させてくれる。
自己紹介が済んだ後、コトネはふむ、と顎に手を当て思考、
「質問を一つしよう」
ぎろりと、肉食獣じみた視線が生徒たちに向けられる。
「――君たちに、覚悟はあるか?」
カナ、ユヅキの二人は息を呑んだ。フミノはどこか心ここにあらずといった風で、特に反応した様子はない。それらを受けてコトネは続ける、
「この狭い世界の中だ、指輪使いがどういうものか君たちは既に知っていると思う。何らかの理由があってなりたいと思ったのだろう。だが、実戦を経験すれば考えは変わる。だから私はいずれ君たちに実戦訓練を課す。その時は必ず君たちを生還させるつもりだが、練度が足りなければ――死ぬ。故に、ここで問う覚悟とは、練度を高めるつもりがあるのかどうか、ということだ。再度聞こう、君たちに覚悟はあるか」
すぐに口を開くものはいなかった。一分ほど経ってから、
「あります、覚悟! あたし、やります!」
「……それくらいの覚悟なら。僕にも、あります」
カナとユヅキは答える。フミノは、
「…………んにゃ?」
まさか、この状況で寝ていたのだろうか。二人はフミノを横目で見ながら、心臓を強く跳ねさせる。この子は、一体どうするのだろう。
コトネは意に介さず、フミノの前まで歩いていく。
「――赤染フミノ。強くなりたいと思うか?」
数瞬の間があって、
「…………うん」
「そうか。ならば、君たちの入学を認めよう」
カナとユヅキはコトネが怒るのかと思っていたようで、喜びよりも安堵の気持ちが大きいのか胸をなでおろした。
「さあ、そうと決まれば入学式など、もういいだろう。どうせここは普通の学園ではないのだから。それで、これからは咲坂ヒビヤによるオリエンテーションを始めるぞ」
コトネが視線で合図を送ってくる。それに、一歩前に進んで応える。
「さっき聞いたと思うけど、一応。指輪の使い方は俺、咲坂ヒビヤが教えることになる。早速なんだけど、オリエンテーションは君たちの指輪がどんなものか知りたいと思う」
ヒビヤはコトネとエイジに遠く離れるよう促して、十メートルほど離れ、生徒たちに向き直る。ここまで来たら、やるしかない。
「――今から俺に向かって、全力で指輪の力を放ってみてほしい」
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