第3話 始まりの日(一)

 おんぼろ車の助手席に身を預け、ただ窓の外を流れる景色を眺める。


 なぎ倒された木々に、半壊したビル、瓦礫の散らばった街。巨大生物が乗り込んできて過ぎ去っていったかのような喪失感。そして、


 《悪魔の楔》。


 たった八年前、この琥珀島に降ってきた謎の隕石だ。


 大地に穿たれた楔のように天高くそびえ立つことから楔と呼ばれ、持っていた性質から《悪魔の楔》と呼ばれている。大都市に立つタワーのように巨大なそれは嫌でも視界に入った。


「――いつぶっ壊せんだろうな、あれ」


 ハンドル片手にエイジがぼやく。聞かずとも《悪魔の楔》のことを言っているとわかった。


「さぁ。散々試してみたけど傷一つ入らなかったから、そもそも壊せる日が来るのか怪しいとこじゃないか?」


 ヒビヤとエイジ含め、島の住人全員が《悪魔の楔》を破壊したいと思うのには理由がある。


 その時、雷が落ちたように視界が明滅した。



 《悪魔》が降ってきたのだ。



「エイジ!」


「――落ち着けよヒビヤ、大丈夫だって」


 はやる気持ちをエイジに宥められ、《悪魔の楔》に目を向ける。すると、先ほどと同じように一、二回閃光が走る――魔法の光だ。


「生き死にがかかってっからな。今日もちゃんといるぜ、討伐担当」


 どうやら引きこもっていると思考能力まで落ちるらしい、そんなことまで忘れていたことに苦笑いするしかない。


 《悪魔の楔》は悪魔を引き寄せる。


 その名の通り、こちらの世界と悪魔の世界を繋ぐ楔だ。悪魔たちは楔を頼りにこちらの世界にやってくる。凶暴性も何もかもが現実離れしているが、来る場所が決まっているのなら対処は難しくない。


 悪魔と呼んでいるが、姿形は様々なもので、二年前にヒビヤが倒したドラゴンも悪魔の一種だったりする。今回の悪魔はどのような姿をしていたのだろう――魔法の光や戦闘音が収まったことから、小型の低級だったと予想する。なんにせよ、担当の指輪使いの無事を祈るばかりだ。


「なんかあったらこっちにも連絡が来るから大丈夫だろ。それよりお前は自分の心配でもしてろよ、初日から嫌われたりしたら辛いぜ?」


 ぐ、という声が自然と口から漏れる。今こうしておんぼろ車の助手席に座っているのも、今日が生徒との初顔合わせとなっていたからだった。


 ――正直、不安だ。


 あの時はコトネの前だったからはっきりと言えたものの、いざその時が近づくとなると得体の知れない不安が大きくなってくる。自分は生徒に頼られる教師になれるだろうか、とかそもそもひと月近く指輪の力を使っていなかった自分に教えられるのだろうか、とか思考の沼にずぶずぶと落ちていっているような気がする。


「安心しろ、さっきはああ言ったがな、お前なら大丈夫だよ。無理して振る舞ったりしなけりゃオーケーだ、俺が保証する」


 がはは、エイジが大口を開けて笑う。適当だなぁとヒビヤは思うが、同時に頼もしくも思えた。これくらいふざけて言ってくれた方がリラックスできる。


「ありがと、エイジ」


「いいってことよ」


 口にしてから妙に照れくさくなって、ヒビの入ったフロントガラスに視線を戻す。道が緩やかなカーブを描き、景色から人工物が減っていき、自然が多くなっていく。


 崩壊した街に似つかわしくない、小綺麗な建物が見えた。


「見えたぞ、あれが今日からお前の働く学園だ」


「――いよいよか」


 長い息を吐いて、もう一度それを見つめる。中に立ち入ったことはなかったが、見たことくらいはあった。元々そんなに広くない島であったし、荒れ果てた街の中で新品同然の建物があったら楔と同様に嫌でも目につく。


 気づけば車は学園の敷地に入っている。エイジは迷うことなく昇降口の前に駐車させた。


「ほれついたぞー」


 淡々とレバーやら何やらを操作し、シートベルトを外してドアを開けてエイジは車から下りる。ちょっと待て、


「こ、ここ明らかに駐車場じゃないだろ!」


 シートベルト、ドア。転がるように飛び出した先でエイジがいつもの笑顔で笑っている。


「――どうせ誰も来やしないさ。おら行くぜ?」


 ずかずかと校舎に入っていくその背中に追いつこうとするが、途中で靴を履き替えてないことに気づいた。盛大につんのめって転ぶと、笑い声が聞こえてくる。


「ああ、履き替えなくていいぞ。こんな世の中だからなー、いつ何が起きても逃げられるようにってコトネがな」


 よく考えればそうかもしれない。どうして履き替えなくてはならないと思い込んでいたのだろう、体の節々に痛みを覚えながら立ち上がる。


「もう大丈夫、進んでくれ」


 エイジの先導に従って静かな廊下を歩く。すると、がらりと扉が開かれ、


「――エイジ、先の騒音はお前が」


 あ。見るからに苛立っている雰囲気のコトネと視線が交差した。


「ど、どうも」


 一瞬時が止まったのかとヒビヤは思う。コトネはヒビヤの声で現実に引き戻されたのか、纏っていた雰囲気を取っ払って咳払いを一つ、


「その顔を見るに、先の鈍い音はヒビヤのか?」


 顔に何かついていただろうか。そういえば思いっきり顔からこけたような気もするし、鼻が腫れて赤くなっていたりしないだろうか。もしなっていたならば今すぐにこの場から逃げ出したい。


 しかし当然そんなわけにもいかないので、後ろ頭をかきながら、


「ええ、お恥ずかしながら」


「ふむ……気をつけるんだぞ。では、中で話そうか」


 コトネはくるりと体を回し、職員室とプレートの下げられた部屋に入ろうとする。


「おい待てお前なんだその変わりようは!」


 エイジが声を荒げる。たしかに、コトネの雰囲気がスイッチでも押されたようにあっさりと切り替わったことが気にならないわけでもない。


「――中で話そうか」


「あーそうかよ無視かよ!」


 コトネに続き、エイジも職員室に入っていく。二人とも、そこに入るのが当たり前といったふうに堂々と。


 ――生徒ではなく教師として職員室に入る日が来るなんて。


 窓から見える《悪魔の楔》を見やり、人生何が起こるかわからないものだ、と思う。


「どうしたヒビヤ、トイレでも行きたいのか?」


「あ、ごめんすぐ行くよ」


 深呼吸をして、職員室に一歩踏み込んだ。

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