第7話
今、本部にわかったのはそこまでだった。
女も気づき、本部を見ている。
子供のような純粋なまなざしで。
こんな目を持つ女が悪霊の側であるはずがない。
その目は少し怯えをふくんでいた。
それはそうだろう。
見知らぬ中年女性に強く見られれば、怖いのは当たり前だ。
女はそのまま原付を押して、マンションの陰に隠れた。
本部は思った。
少しだけ、ほんの少しだけ糸口が見つかったかもしれない。
あの女と邪悪なるものはなんだかのつながりがある。
それはこれからゆっくりと調べることにしよう。
こういう場合に焦るとろくなことがないことを、本部は知っていた。
本部は女が再び姿を現す前に、その場を立ち去った。
桜井が仕事から帰ってくると、部屋の前にあんりがいた。
「やっと帰ってきた、お兄ちゃん」
「おい、今何時だと思っている。こんな時間に若い女が出歩くな」
「出歩くっていっても、同じマンションの中だし」
「これほど多くの人が住んでいるんだ。同じマンションの住人でもみんな安全とは言えない。おまけにマンションだから、敷地内は誰でも出入り自由だ」
「それならお兄ちゃんがもっと早く帰ってくればいいだけだわ」
「俺は残業だったんだ。それにおまえが今日訪ねて来るなんて、聞いてないぞ」
「兄弟だから、いちいち言わなくてもいいんじゃない」
「兄弟でも一応行っといたほうがいいぞ」
そう言うと、あんりは笑った。
「お兄ちゃんなら、言わなくてもいいんじゃない」
――まったく。
桜井は思った。
大学を卒業して、もう社会人として働いているというのに、こいつは兄離れというものができていないのだ。
兄とは無条件に甘えていいものだと思っている。
まあそういう桜井も、妹には十分すぎるほど甘いのだが。
「俺は疲れているんだ。一人でゆっくりしたい。もう帰ってくれないか」
「あら同じマンションンに住む妹が訪ねてきたというのに、追い返すつもりなの。私、お兄ちゃんの部屋にまだ入ったことがないのよ」
「別に無理に入らなくてもいいだろう」
「いや、この世にたった一人の妹としては、たった一人の兄の部屋がどんなものか、ものすごく興味があるわ」
「そんなものに興味を持つな」
「入っていろいろと探索しないとね。エッチな本とか隠していないとか」
「そんなものはもともとない。今日のところは帰れ。そして来てもいいが、事前に連絡をしろ」
「エッチな本を隠すために?」
桜井はなにも言えなくなった。
そんな兄を見て、あんりがころころと笑う。
「はいはい。仕事で疲れているのは本当みたいね。今日のところは帰るわ。一時間以上待ったけど。不審者として通報されないかと、びくびくしながら」
「わかったから帰れ」
「はーい」
そう言うとあんりは笑いながら小走りで立ち去った。
桜井はその後姿を見えなくなるまで見送った。
なにか音がした。
その音を聞いた者は一人ではなかった。
日曜日の昼下がり。
夜を除けば人口が一番多い時間帯だ。
ベランダに出ていた者も数名いた。
そしてその数名が見下ろした先に、地面に横たわって血を流している人がいた。
四人目の自殺者。
ここ三か月余りで。
警察の見解は屋上から飛び降りての自殺。
なにせ目撃者が数名いる。
一番重要視されたのは、最上階十二階にいた住人の証言だった。
窓から何げなく外を見ていると、目の前を人が落ちていったと。
最上階より上は屋上しかない。
その言葉を裏付ける証言もある。
落ちるところを見た人数人。
落ちた音を聞いた者はそれ以上。
屋上の入り口はいつの鍵がかかっており、この日もかかっていた。
だったらなぜ屋上から飛び降りることができたのかという疑問が残ったが、殺人や事故とは考えにくく、証言その他が屋上から飛び降りたことを後押ししていたために、その点はいつのまにかなかったことにされた。
中には「最上階から上の空中から落ちたんじゃないのか」と笑えない冗談を言った巡査がいたが、見事に全員から無視されてしまった。
マスコミはトップニュース扱い。
バラエティ形式の報道番組では芸人が「呪いじゃないのか」と笑いながら不謹慎なことを言って、見事に炎上した。
どちらにしても全て部外者の対応である。
マンションの住人は人それぞれだ。
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