第23話 優しさの温かさ



「あぁ……だりぃ……」


 体温計を見ると、そこには37.6℃の表示で音が鳴っていた。シンプルに風邪を引いて寝込んでいた。

 流歌との関係が修復して、テンションを上げたい所ではあるが、この体調じゃ大人しくしておいて方がよさそうだな。


 あまり大した表示にも見えないが、平熱が低いからこれだけでもしんどいんだよか……そのままベッドに横になる目を閉じた。

 そういえば緑川はクッキーをちゃんと渡せたのだろうか? 昨日はそのままラッピングを済ませ、ウキウキルンルンな感じでスキップしながら帰っていたが。


 とりあえず今日は緑川からは何も連絡がきていない。成功し、上手く渡せていて話が弾んでいるんだろうな。


 緑川の恋愛は順調で、俺と流歌の関係も修復された今、残る問題は写真部の廃部問題だった。

 呑気に風邪で休んでいる場合ではないけど、だからといって無理もできないし。


 黄坂には朝一で部活はテキトーにやっといてくれと連絡しておいた。そしたらお大事にしてくださいって心配の言葉と、少しでも柚木さんを撮影に慣れさせておきますって頼もしい返答がきた。俺の部活の後輩ってなんてできる子なんだ。やっぱ先輩が頼もしいからだろうか?


 んなことを考えていたら気がつくと時間も既に夕方の四時を回っていた。


「さてと……まだダルいし、もう一眠りするか」


 そう思い布団をかけた時に俺の家の呼び鈴が鳴る音がした。一体誰だろうか? 父さん達はまだ旅行中だから帰ってくるはずがないし、もし仮に帰ってきたとしても家の鍵は持っているから呼び鈴を鳴らさなくて入れるはずだ。

 めんどくさいと思いながらも、俺は重い身体を起こし、玄関へと向かった。


「はいはい、新聞ならお断り……って、緑川?」


 そこには今頃楽しく先輩と雑談中であろう緑川の姿があった。だが、その姿はお世辞にも明るいとはいえないものだった。


「……入っていいかな?」

「俺、風邪引いてるんだけど?」

「……お邪魔します」


 俺の言葉を聞いてなかったのか、それとまあえてスルーしたのかは知らないが、緑川はそのまま俯いたまま俺の横を通り抜けて家の中へと上がって行った。


「……人の話聞けっての」


 何が何だか訳が分からず、俺は頭をくしゃくしゃにかきながら緑川のあとを追った。

 リビングに行くと、昨日スヤスヤと眠っていたソファーに膝を立てて俯いている緑川の姿があった。


 小さめだが、すすり泣く声も聞こえてきていて、これはあれだな……もしかしなくても失敗したんだろうな。


「一応聞くが、どうした?」

「……かった」


 声が小さくて聞き取れなかった。かった? 何か買ったのか? 


「わるい、聞き取れなかったからもう一度言ってくれ」

「……先輩に、渡せなかった」

「ほう……それはどうしてだ?」


 すると緑川は、体制はそのままで左手だけを動かして自分の鞄を弄る。そしてそれをそのまま鞄の上に置いた。それは、昨日緑川が鼻歌を歌いながら丁寧にラッピングしていたクッキーだった。だが、俺が昨日見た形とはだいぶ変わっていて袋には泥のような物が付いていて、クッキーも所々砕けていた。

 ハートの形のクッキーなんか悪魔のイタズラかのように全てが真ん中で割れていた。


 どうしたらこんな事になるんだ? もしかして先輩に渡したら目の前で踏まれたとか? いや、いくらなんでもそんな事はしないだろう。


「……何があったんだ?」

「…………」


 緑川は俯いたまま答えようとしない。

 その後もしばらく待ってみたが、返答はこなかった。

 俺は席を立ち、台所へ向かい冷蔵庫から、ペットボトルに入ったミルクティーをコップを注ぎ、再度上原の元へと戻る。


「ミルクティー置いとくから、喉乾いたら飲め」


 自分の分も用意していたので、一口を口に含む。口の中全体が甘い味で満たされていくのが分かった。すると、緑川がテーブルの上に置いてあったコップに手を伸ばした。


 そしてミルクティーをちびちびと飲み始めた。やはり泣いていたから目元は赤く腫れていて、まだ涙が溜まっていた。


「……先輩に渡そうとしたけど……タイミングとか分からなくて……松橋くん、風邪で休んだって聞いたから、他に頼れる人いなくて……今ならいけるって思って声かけようとしたけど、途中で野球部の人とぶつかっちゃって……クッキーね……踏まれちゃった……」


 短く言葉を紡いでいき、最後の言葉をいい終わると、緑川はまた膝を抱えて泣き出してしまった。


「……せっかぐ作ったのに、松橋くんも手伝ってぐれたのに……ごめんなざい……」


 俯きながら謝罪の言葉を口に出す緑川。別にお前が悪い訳じゃないだろうに。そんなもん不慮の事故だろうが。

 俺は鞄の上に置かれた粉々になったクッキーの袋を手に取った。それのラッピングを丁寧に解き、袋の中からクッキーを取り出して口に運ぶ。


「うむ、やっぱりうめーわ。このクッキー」


 すると緑川は俯いていた顔を上げて俺を見ると、目を見開いて驚いていた。


「そんな、踏まれたクッキーなんか汚いよ……」

「汚いわけあるか、袋に入ってたんだし問題ねーよ」


 そのまま一口、また一口とクッキーを口に運んでいく。そしてあっという間に食べ終わってしまった。


「美味しかった。ごちそうさま」

「……なんで食べたの?」


 未だ信じられないといった様子で緑川が聞いてくる。なんで食べたのかって? そんなの理由は一つしかねーだろ。


「美味いからに決まってるだろ」


 俺の記憶に残ってる中で一番なんじゃねーかな? これといって特別美味しい訳じゃないが、安定しているというか安心するというか、また食べたくなるような味だったのだ。


「それに、このクッキーはまた食べたいと思ってたからな。俺はあくまで毒味役だから全然食べられなかったけど、こんな形でも食べれたから良かったわ!」


 俺が明るくそう言うと、緑川は再度鞄を漁り始めた。そして緑川が俺に渡してきたものは、同じく丁寧にラッピングされたクッキーだった。

 こちらは粉々に砕けてはなく、原型をとどめていた。


「なんだこれ?」

「……クッキー」

「それは分かってる。俺にって事か?」

「……うん」


 まさか俺の分も取っておいてくれてるとは思わなくて正直びっくりした。ん? 待てよ? 


「だったらこっち渡せば良かったんじゃないのか?」


 考えれば直ぐに分かる事だった。普段からポンコツかましてる緑川の事だから気がつかなかったのだろう。

 そのセリフを聞いてハッと驚いた表情を……していなかった。緑川は相変わらず暗い表情をしていた。


「だってこれは……松橋くんの為に取っておいたから……」


 そのセリフを聞いた瞬間、俺の心の奥が温かくなっていくのを感じた。本当このバカときたら……お前は前だけを、先輩だけを見てればいいんだよ。

 俺なんか気にしないでな。でも、緑川の気持ちは素直にとても嬉しかった。


「緊急事態の時なら俺に気使わなくていいからな。でも、ありがとうな!」


 俺は緑川の頭をくしゃくしゃに撫でてやった。緑川はそのまま黙ってされるがままだった。その瞳にはもう涙は溜まっていなかった。


「ま、クッキーくらいならまた作ればいいんじゃねーか? 調理場なら貸してやるからよ」

「……うん。ありがとうね、松橋くん!」


 そして、やっと俺の前で笑ってくれた。そうだよ、お前はそうやって笑顔で底抜けに明るい緑川でいればいいんだよ。


「あ、そうだ。松橋くんお金」


 思い出したかのように緑川は言って、財布からお札を二枚出してきた。だが、俺はそれを受け取らなかった。


「今回はクッキーの味に免じて俺の奢りでいいぞ」


 俺は決めた顔でそう言った。だが、緑川は耐えきれなくなってしまったのか、笑ってしまった。


「あはははは! 松橋くんもぉ〜なに〜!?」

「あ、悪いかよ?」

「カッコつかないんだからカッコつけなくていいんだよ!」

「一言余計だバカ」


 軽口を叩けるくらいには元気になったようでとりあえず安心した。さて、またこのクッキーを食べられる機会がくるのは楽しみだな。


「でも本当、それ渡せば良かったのにな」

「……渡せないよ。だって……あれ失敗作の方だもん。少し焦げちゃったりしてね」


 あ、そう言うことね。失敗作だから俺用だったって事ね……


「……さっき感動した俺の気持ちを返せよ」


 テンションが下がった俺とは真逆に、吹っ切れた様にテンションが高くなる緑川。本当調子いい奴だよな。


「今度こそクッキー大作戦成功させよー! 今度こそ先輩を振り向かせるんだからね!」

「頑張れよ」

「もう、松橋くんも頑張るの!」


 頬を膨らませ抗議してくる緑川を俺は優しく見守っていた。俺と緑川の関係はまだまだ続きそうです。





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