第8話 緑の館の秘密(1)

 翌日、一週間ぶりに質素なワンピースではなくデイドレスを選んで袖を通した。もう脚立にのぼったり、足踏みで洗濯することもないだろう。



「そうだわ、これを持っていきましょう」



 棚から小さめの軟膏の瓶をひとつ取り、ドレスのポケットに忍ばせた。

 いつものようにアスラン卿に迎えに来てもらい、緑の館に入って違和感に気が付いた。



「あら、こんなにエントランスって明るかったでしょうか?」



 どこも照明は灯されていないのに、昨日よりも部屋の暗さが消えていた。



「二階部分の窓が綺麗になったので、陽の光がたくさん入るようになったのでしょう」



 見上げればアスラン卿が言った通りで、ガラスには一点の曇りもない。昨日まではこうではなかった。私が帰った後、騎士が掃除してくれたのだろうか。



「アスラン卿など騎士の皆さまにお礼を申し上げますわ」

「いえ、僕たちがやったのではありません」

「ではどなたが……」

「それはクロヴィス殿下が教えてくださるはずです」



 まさか殿下が――そんなありえないことを想像しながら二階へと行き、執務室の扉をノックした。



「おはようございます。ナディア・マスカール、ただいま参りました」

「入れ」



 柔らかい声に、昨日のことが夢ではないと安堵しながら入室した。

 けれどもすぐに心臓は飛び跳ね、自分の目を疑った。



「で、殿下……そのお顔は……っ!?」

「驚いたか?」



 クロヴィス殿下は悪巧みが成功したとばかりに、得意げな笑みを浮かべた。

 その笑みを浮かべた顔はとても表現しきれないほど美しく、やけどの痕は跡形もなく消えていた。



「特殊な化粧でやけどの痕があるように偽っていたんだ。もう君の前では不要かと思って外したのさ」

「そう、だったのですか……」



 近くで見たはずなのに全く気が付かなかった。どう化粧を施せばあのようにリアルに再現できるのか想像もできない。

 驚いたと同時に私は酷くホッとして、胸に手を当てて小さなため息を漏らしてしまった。



「やはり怖かったか? 悪かったな」

「いえ、殿下がやけどの痕をよく触っていらしたので、痛んだり引きつったりと大変な思いをしているのではないかと危惧していたのです。それが杞憂で良かったと」



 やけどの痕は強い後遺症が残りやすい。完全に皮膚が戻らないほどであれば表情を変えるたびに皮膚は引きつり、乾燥すれば水分が奪われヒリヒリと痛むこともある。

 本当に偽物で良かった。



「ふふ、軟膏を持ってきたのですが、やけどの痕が偽物であれば不要でしたわね」

「軟膏とは?」

「私が愛用しているものです。まずはお試し用と思って小さいものを用意したのですが……これです。やけどだけでなく擦り傷などにも効きますので良かったら」



 折角持ってきたのでポケットから取り出し、蓋を開けてクロヴィス殿下のいる机の前に置いた。

 するとふわふわとたくさんの光の球が軟膏の瓶に集まってきた。パールちゃんは今留守番中でここにはいないはずだ。



「クロヴィスゥ、仲間ノ気配ガスルヨ」

「仲間?」



 光から声が聞こえ、思わず聞き返してしまった。慌てて口元を手で押さえるが、クロヴィス殿下は驚愕の表情で私を見ていた。



「ナディア嬢……コイツらの声が聞こえるのか?」

「……はい。光の球から可愛らしい子供のような声が」

「まさか――」



 クロヴィス殿下は嬉々とした表情に変わり、「見つけた」と呟いた。



「この軟膏はどこで手に入れたんだ?」



 この様子だと彼にも見えているはずだ。打ち明けても大丈夫だと信じて話すことにした。



「私が作りました。家の温室で薬草を育て、自ら調合したものです。そこにいる光と同じような存在と暮らしていて、その子が光の粉を分けてくれるので、仕上げに混ぜております。でも私のところの子の光の声は聞こえなくて。この光の正体は何なんでしょうか?」

「コイツらは妖精だ。光の粉は妖精の羽根についている鱗粉で、不思議な力を与えてくれる貴重なものだ。妖精のことも知らずに作っていたのか……少し説明する必要があるな」



 妖精とは普通の人の目には見えない生命体で、気まぐれで人の好き嫌いが激しいらしい。特に好かれることは稀で、協力まで得られるのはもっと稀。

 そのような妖精の存在を認識できる人は『妖精の愛し子』と呼ばれ、国から保護対象とみなされ重宝される。


 妖精が好む緑――庭や森の管理をしたり、協力を得られる者は鱗粉を使って秘薬を作ったりする人もいるとのことだ。


 愛し子が国に留まってくれるだけで妖精の祝福が受けやすくなるため、極論この国に住んでるだけでも十分なのだとクロヴィス殿下は説明してくれた。



「初めて聞きましたわ」

「知っているのは王家とほんの僅かな者たちだけだ。公爵家でも知っている人間と知らない人間がいるほどの国家機密。まぁ見えない存在に、話しても信じないものもいるけどな。幽霊と間違われることもあるし、密約もあって簡単に口外できない……例外として愛し子には教会の洗礼式のあと、司祭から内密に本人だけに説明があるはずなんだがな。知らされなかったのか?」

「教会ではなく屋敷にて洗礼式を行ったのです。もしかしたら家族が近くにいたので、話せなかったのかもしれません」

「へぇ、屋敷に司祭を呼んでの洗礼式か」



 クロヴィス殿下は腕を組んで、瞼を閉じて黙ってしまわれた。長い指で腕をトントンと叩きながら数分ほど逡巡したのち、彼は再び私を見た。



「今から洗礼式をやり直そう」

「教会に行くのですか? 殿下のお仕事は」

「妖精に関する管理が俺の仕事だ。そして洗礼式は緑の館で行ない、司祭役は俺がする。ついて来い」



 くいっと肘を出される。

 これはエスコートしてくれるということなのかしら。恐る恐る腕に手を回せば、彼は私を連れて執務室の奥の扉を開けた。


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