第9話 緑の館の秘密(2)

 扉の先は薄暗い書庫だった。

 一番奥の本棚は隠し扉になっており、開けると下へと続く螺旋階段が現れた。妖精たちと思われる光が足下を照らしてくれるので、クロヴィス殿下に合わせて階段をゆっくり降りていく。



「今は忘れ去られてしまったが、実はエルランジェ王国が主神としている神は妖精なんだ。神と王が恋に落ちて、自分たちの楽園を作ろうとしてできたのがこの国で、王家は妖精の血を引いている。特に妖精の祝福が強い王家の直系からは愛し子が生まれやすい」

「それがクロヴィス殿下なのですね」



 エルランジェ王国の歴史は古い。途中で国名が変わったり、国土の地形が変わることもあったが王家の血は途絶えず続いている。その歴史は千年以上と言われている。



「あぁ。その王家の中でも妖精の祝福が強い愛し子は、俺のように緑の館の管理人――守護者という役割が与えられる。だから俺は王宮ではなくここに住んでいるんだ。そして他者を警戒しなければならない理由はこれだ」



 一階を過ぎ、おそらく地下に位置するところまで下がっただろう。

 階段を降りきるとクロヴィス殿下は鍵を開錠し、鉄製の扉を開けた。


 目に飛び込んできた光景に私は息を飲んだ。


 大きくはない空間は氷柱のように大きなクリスタルの結晶で埋め尽くされていた。

 そして部屋の中心には一際大きなクリスタルが鎮座し、中には絵本で見るとの同じく透き通った羽根を持ち、固く目を閉ざした女性が埋まっていた。



「王家の根源の妖精で、主神の女王陛下だ。俺は当代の守護者として、このお方の眠りを守ることが定められている」

「女王陛下はその……」

「今も生き続けている。王家が過ちを犯せば正すために、国の危機には救うために目覚めると言われている。信用できないものを館に招き、怒りに触れるわけにはいかない。その面でナディア嬢は合格だ」



 クロヴィス殿下の警戒心が強い理由に納得した。

 この秘密を守り抜ける人でなければ侍女は務まらない。無茶を要求しても従えるかどうか、忠誠心を試す必要がある。そのひとつが掃除だったのだろう。

 けれど私の場合は忠誠心というより、実家から独立したいという思いからだ。申し訳なさが芽生える。



「掃除をしただけで、こんな秘密を教えていただいて大丈夫なのでしょうか?」

「単に掃除の試練を越えただけの侍女でも教えない。だが君は既に悪意に敏感な妖精に気に入られ上に、愛し子。遅かれ早かれ俺は教えていたはずだ。まぁ妖精だけでなく俺も君を気に入ったから、愛し子でなくても秘密に巻き込んでいたと思うけどな」

「それは恐縮です」



 あまりの過大評価に心がくすぐったい。



「洗礼式とは妖精との繋がりを深める儀式だ。眠っている力を目覚めさせることで愛し子は覚醒する。始めようか。悪いが膝をついて祈りの姿勢をとってくれ」

「はい」



 言われた通りに膝をついて、胸下で手を組んで瞼を閉じた。

 低く、心地よいクロヴィス殿下の声が部屋に響く。



「我らの女神よ、ここに新たな信徒を紹介いたします。心を捧げることを誓う者に祝福を、その偉大なる御心で与えたまえ――ナディア嬢、水晶に触れて自ら名前を告げなさい」



 そっと女王陛下が眠る水晶に触れた。



「私の名はナディア・マスカールでございます」

『我の愛しいナディア、そなたを認めよう』



 柔らかく、清澄な声が頭の中に直接響いた。

 胸の奥から形容しがたい感情が溢れそうになり、片方の手で胸を押さえた。



 その瞬間、景色が変わった。



 周りには手のひらの大きさのほどの、羽根の生えた子供がたくさん飛んでいたのだ。先ほどまで見えていた光の球の数よりずっと多く、どれも鮮明に姿が見えた。



「こ、この子たちが妖精なのですね」



 そう呟くと妖精たちは私を取り囲んだ。



「僕タチト、オ話デキル?」

「は、はい」

「バケツノオ手伝イシタノ、僕タチ。褒メテ!」

「バケツ……」

「私タチハネ、ナディアの願イ通リ風ヲ運ンダヨ。ピューッテ」

「風……もしかして」



 水の入ったバケツが浮いたのも、二階の掃除が終わった時に足元に風が流れたのも妖精たちの仕業だったらしい。



「ありがとう。気付けなくてごめんなさい。じゃぁクローゼットのシーツも妖精さんが?」

「俺タチダヨ! キチント掃除シテルカ見テタノ」

「まぁ気付けて良かったですわ。皆様、立派な試験官ですのね」

「モチロン! 俺タチ、クロヴィスヲ守ル」



 小さな男の子の妖精はエッヘンと胸を張った。

 狂犬と呼ばれる彼を守るのが、こんなにも可愛らしい妖精たちとは想像していなかった。


 男の子の妖精の頭を指先で撫でれば、他の妖精まで頭を出してきたので順番に撫でていく。


 あぁ、癒されるわ。


 妖精たちと戯れていると、クスリと笑うクロヴィス殿下の声を耳が拾った。



「申し訳ございません。殿下がいらっしゃるのに妖精さんたちと勝手にお話して」

「かまわない。愛し子でも急に見える妖精にひどく驚いたり、異質の力に拒絶してしまう者もいるんだが、ナディア嬢は大丈夫そうだな」

「えぇ、皆さまとても可愛らしくて仲良くしたいですわ」

「本当に君は色んな意味で目が離せないな」



 クロヴィス殿下はどうしてか、嬉しそうに仰った。

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