第5話 変わったもの、変わらないもの
名残惜しい浮遊感に涙を流しながら別れを告げ、俺は浮上していく。
重い重い瞼を開き、うつろう意識は、やがて現実へと帰還する。
「ん……んんう?」
正しく現実へと回帰。まず最初に青空が視界に入った。
どうやら外で寝てしまっていたらしい。
しっかし、なんだったんだ、
なんだったんだ、あの真っ白な世界は。
俺は意識が回復する直後の真っ白な世界を思い出し、推測を開始する。
…………あれ? それだけだったか?
今だ頭に酸素が行き届いていないのか、はたまた現実に回帰しきれていないのか、妙なしこりを感じた。
夢を見た、ような?
どんな夢だったか忘れたが、謎の美少女に殺され掛けるような夢を見た気が。
なんじゃそれ?
夢はその人の願望を反映しているらしいが、俺は美少女に殺されたいという願望や、自殺願望は持ち合わせていないぞ。
まあいいか。夢だし。いまいち思い出せない夢なのだから、そんなに重要じゃないんだろう。
流れ行く何者にも束縛されない自由な雲を見ながら、考えを纏める。
ってか、ここどこだ?
即座に状況を確認しなかったのは、そこまで覚醒しきってなかったからだろう。
上半身を起こし、周囲を見渡す。
辺り一面の緑。茂る草原が地面と一体化し、色取り取りの花達が蝶に遊び場を提供している。
俺がいるのはそこだけ不自然に盛り上がっている場所だ。すぐ近くに成人男性の十人分の身長ぐらいある巨大な木がある。
暖かな陽気から俺たちを隠すかのように、葉っぱが頭上を覆っている。
肌を撫でる風は涼しくて、少し肌寒い。
これって、もしかして、いやもしかしなくても
異世界転生ってやつ!?
なんかこのやり取り一度やった気がするけど、きっと無意識下で予行練習でもしていたんだろう。
ちらっと、横を見て安心する。
「ぐぅぅがあぐぅ」
腹を少し出し、イビキをかきながら気持ち良さそうに寝ている一名。
「三上、よかった」
そっと三上が起きていたら言えないようなことを呟き、胸を撫で下ろす。なぜか彼女と離れ離れになって異世界に来たifがあった気がする。
きっと不安が見せた幻覚だ。
「にしても不用心すぎないか?俺も一応男なんだがな」
とは言っても仕方のないことだとは理解している。
だがなぁ、カッターシャツなんだよなこいつ。
もろに見える鎖骨とかヘソとか、チラリズムするお胸とか、とても純粋な童貞に見せていいような姿じゃない。
ブレザーを着ている俺ですら少し肌寒いのだから、下手したら風邪引くぞ。
異世界トリップして早々連れが風邪とかハードモードすぎるだろう。
だからこれは必要な投資なんだ。
「仕方ない、か」
そうやって踏ん切りをつかなくして、ブレザーのボタンに手をかける。
脱いだブレザーをそっと三上に掛けてやる。
「ぐうぐうぐう」
こいつ、本当に気持ち良さそうに寝るな。
釣られたように現れた睡魔に、気を抜くとやられそうになる。
いけないいけない。二人とも寝ていては咄嗟の危機に反応できない。
夢の中で御陀仏なんてこともありえる。眠ったように死ぬなんてのは魅力的だが。
両手で頬を叩き、決意を改める。
さて、こいついつ起きるか。
「ふみゃふみゃ……ふにゃ!」
結論から言うと三上の覚醒はすぐだった。体感的には三十分程度か。
「おはよう。まずはその間抜け面をどうにかしたほうがいいな」
「おはようセカイ君」
三上は眠そうに瞼を擦り、俺の顔を見ると数十秒停止した。出来の良い彫像のように。
そして辺りを見渡したかと思うと、ふにゃと気持ちの悪いぐらい相好を崩した。
「夢の中で夢を見るって面白いなぁ」
「夢じゃない、夢じゃなぞ。残念ながらここは現実だ」
「またまたぁ、夢じゃないとここまでセカイ君がカッコいい訳ないもん。現実のセカイ君はもっとボーってした間抜け面なんだよ?」
「ぶっとばすぞ、お前」
とろんとした瞳で俺を見つめる三上。ダメだ、まだ完全に起きている訳じゃないらしい。
それか夢の中ということにして、現実逃避をしているだけかもな。
俺はため息をすると、三上の耳に顔を近づけ、内緒話をするように小声で呟いた。
「お前の足元に犬が寄り添ってるぞ」
「きゃ……」
きゃ?
「きゃぁああああああああ!」
女性の専用武器、超音波を発動させ、鼓膜を破らんと衝動はが襲ってきた。
「んぐ」
顔を近づけていたため、威力はさらに高かった。頭の中でハウリングを繰り返し、目がクラクラした。
「い、い、犬! いぬぅ!」
俺に大ダメージを与えた彼女と言えば、顔をなすびのように真っ青にさせ、きららかな命の水を目元に湛えていた。
「セカイ君!」
体全体に衝撃。気がついたら仰向けに倒れていた。
理解が追い付いていかない。
柔らかで良い匂いのするものにホールドされている。
俺はどうやら三上に押し倒されたらしい。
胸元辺りに押し付けられる、二つの柔らかいナニか。
「あ、あの、三上? 三上さん?」
「いやああああ!」
俺の言葉に耳を貸そうとせず、駄々っ子のように、か弱い子供のように、いやいやと頭を振る。
や、やり過ぎた。
雑談から三上が犬、牽いては動物が苦手だと聞いていたのだ。
ショック療法のように、腑抜けた頭を醒まそうとしたが、まさかここまでだとは思わなかった。
「じょうだん、冗談だ。犬なんていない!」
いるのかすら怪しい世界だしな。
狼狽しきった三上は、俺の言葉なんて聞いている余裕はないようだ。
どうするか。
あまり騒ぎすぎて、危機が寄ってこないとは限らない。
可及的速やかに、三上を泣き止ませる必要がある。
俺は知識をフル動員させて、ある妙手を思い付く。
悲しいことや嬉しいときにそれをする。笑顔と優しい声を追加させ、それは完成する。
実行したら最後。やられた女子は確実に惚れる。
ソースがラノベ経由だということに、一抹の不安は覚えるものの、大丈夫だ!
「よしよし、犬なんていない。冗談だ。悪かったな」
できるだけ穏やかな声になるように調整して、一言一言区切りをつけて三上にささやく。
「……う、嘘なの?」
「ああ、冗談だ」
きっぱりと言ってやる。
それを聞いて肩をプルプル震わせる三上。
「ば」
ば?
「バカァアアアアアア!」
再び行使させる専用武器。
み、耳が。こ、鼓膜が破れる。
「もう、バカ! 意地悪! 嘘つき! 童貞!」
「す、すまなかった。っておい、最後なんて言った? 明らかに関係ない誹謗中傷があったような気がするんだけど」
「知らない!」
俺に馬乗りになったまま三上がそっぽを向く。代わりに対面した頬は、リスのように膨らんでいる。
「悪かったって。ちょっとしたショックを与えるだけのつもりだったんだ。そこまでトラウマだとは思わなかった」
「ツーン」
声に出しちゃってるよ。現実にツーンなんていっている人始めて見た。
流石は厳しいカリキュラムに忙殺され、常識をどこかに置いていったお嬢様。
からかってやりたいが、今回は全面的に俺が悪いよな。
「どうしたら許してくれる?」
とうとう折れた。弁明と謝罪の期間はとうに過ぎ去り、贖罪をしなければいけないところまでやってきている。
「高いですよ。私の機嫌は」
怒りのあまり敬語になった三上。
「え、エロい要求じゃなかったら」
ピクピクと口許を体操させ、何とかそれだけは返す。
「わ、私をなんだと思っているんですか」
「お嬢様と脳内お花畑の属性が付いている良いキャラ」
「むぅ、もういいですよ。要求をもっと酷くします」
「お、お手柔らかに」
睨み付けるような厳しい視線を下に向け、顔を俺の胸元に擦り付ける。
「ふんっ!」
「ふご。……ホワイ?」
何をして欲しいのか皆目検討もつかない。
「頭を撫でてください」
拗ねたような声色で、端的に要請する。
なるほど頭をね。やっぱり何故?
けど、それを聞いて機嫌を損ねたくない。頭を撫でるだけで許されるなら安いものだ。
「な、撫でるぞ」
風によって流される黒髪に手を当てる。
さらさらとした、絹のようなさわり心地が俺の手に伝わってきて、動機が激しくなる。
三上は脱力し、俺に全てを委ねている。
そう思うと、妙な背徳感がせり上がってきた。
頭を撫でさせるなんて、無防備にも程がありすぎる。
「お、とうさん」
「…………」
風の流れに乗って、俺の耳までその言葉を運ぶ。
バカか俺は。
三上は、多分もうとっくに与えられていない、父親の愛情に飢えていただけだ。
こうやって頭を撫でられたことがあるから、俺を父親に重ねたんだろう。
普段は見せない彼女の弱さ。
寝起きだから、いつもと違うだけだ。
しばらくしたらきっと、いつも通りになる。
肉親にこっぴどくやられたから、温もりなんて求めてもいないし、理解はできない。
けど、その時までは、彼女の父親役を勤めてやっても一興だ。
「それで、ここはどこなんだろう?」
数分の抱擁の後、「もう大丈夫だよ」という三上の言葉で離れた。
数分ぶりに見た三上の表情に、弱さなんて欠片もなかった。
少し安心した俺に、小首を傾げながら質問を投げ掛けてきた。
ようやく話を進めると、若干ホッとする。
「いいか、落ち着いて聞けよ」
そう前置きして、俺の推論を包み隠さず、身振り羽振りを交えて説明する。
謎の大爆発のこと、ここが異世界の可能性が高いこと。そして、あの真っ白な空間のこと。
全て聞き終えた三上は、面白いほど狼狽した。
「ちょ、ちょっと待って。整理をさせて」
顎に手を当て考えるポーズ。あーだうーだ、と言いながら、難しい顔をして唸る。
事前に知識を持っている俺は、飲み込みが早かったが、やっぱり何も知らずにってなると理解が難しいか。
いや、理解事態は三上のハイブレットな頭なら簡単だ。
それを受け入れることが出来るか。結局そこに集約される。
見知らぬ世界で、何の知識も無しに放り込まれる。普通の人なら卒倒ものだろう。
俺? 俺は失うもんは何もないし、地球に返る目的もないしな。恐怖はあまりない。
「セカイ君は怖くないの?」
自分の世界であれこれ考えていた三上が、俺を見る。
「恐怖はないな。失うもんはないし、ラノベで見たような世界に興奮さえしている」
多分、まだ感覚が麻痺してるんだな。現実感のなさに実感できてない。
「そっか、セカイ君はそうなんだね。私は────」
「帰りたいか?」
途中で三上の言いそうな言葉で被せる。
「ううん。私はセカイ君がいるならどこの世界でも良いよ」
な、なんてどそっちゅうな告白なんだろう。
それが文字通りの意味じゃないことが、残念な所だが。
依存相手として、傷を舐め合う存在として、俺を必要としているだけ。
分かっているさ。俺だって、そんな思いを抱いていないと言ったら鼻が伸びてしまう。
「そうか。じゃあこれからの行動方針を立てるぞ」
「うんうん」
とは言え、ラノベ知識もない三上にロクな作戦が立てられると思えないが。
「まず、一番最初に確保すべきは安全だね。取り敢えず人里のある所に行くことが、第一目標かな。後────」
次々と、良く途切れないと感心するぐらい作戦を立てていく。
学年主席なのは伊達じゃないか。地頭がいいから、知識なんて関係ないんだな。
しばらく話し合いをし、計画が決定された。
第一目標。人里の発見
第二目標。住みかの確保
第三目標。収入の安定
第四目標。書物等で知識を付け、この世界の常識を身に付ける。
第五目標。自衛手段を身につける。
自衛手段が後者にあるのが気にくわないが、いつ来るか分からない外部による危害より、絶対的にしなきゃいけないことを優先していったらこうなった。
「それじゃあ、第一目標を達成させようか」
んんっ、と背伸びをし、三上が提案する。
「そうだな。ここにいても仕方がない。食料もないし、リミットは今も近付いてる」
俺たちは一歩前に進む。一歩一歩一歩。
見渡す限り人里なんて気配もないが、探すしかない。
三上は微笑み、俺と平行して歩いている。
暖かな太陽だけがその様子を眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます