第4話 神と名乗る不審者


「おおセカイよ。死んでしまうとは情けない」


 誰かが俺を呼んでいる。

「あっれー?ゲームオタならこのネタ聞いたら、死の縁から感涙に咽ぶと思うんだけどな?」

 なんだ、誰だ。ふざけたことを抜かしているのは。

「僕だよ僕、神と呼ばれている概念さ。久しぶりだね!ちょっと今お金に困っていてね。今すぐ指定した口座にお金を」

 ────神様がオレオレ詐欺の常套手段使ってんじゃねぇ!

「あ、起きた?いやー、よかったよかった。オレオレ詐欺じゃないよ」

 いや、どう考えても認知症間際の老人が引っ掛かる手。

「ボクボク詐欺さ。一人称が僕、だからね」

 しばいたろうか!

「おーっと、怒りのボルテージがうなぎ登りだね」

 お前、一回しばかれたいのか? 殴られて喜ぶようなドMさんなの?

「嫌だなぁ、僕はM何かじゃないよ。吹けば飛び、ヒラヒラと舞うような、儚い存在さ」

 それは紙な。同じかみ違いだ。

「いやー、一本取られた。ふっふっふぅ」

 気持ち悪い笑い方してんじゃねぇ!

「笑い方ぐらい好きにさせてくれてもいいじゃないか。いいかい、人権ってのを大切に」

 そ、そうだな。そんなことで目くじらを立てる必要はないな。

 す、すま

「っま、僕は人じゃないんだけどね。ぷぷぅ」

 ……もういい。もう何も言うまい。

「思考を停止しては人間終わりだぞ。何のためにその知性が、頭脳があると思っているのだ。動物との区別がそれ(知性)だと言うのなら、思考を停止してしまえば、猿も同然だぞ。愚者よ」

 人格百八十度変わったな!

 後、深い話をどうもありがとう。

「ま、どこかで見たような、名言らしきものを適当に言っただけなんだけどねー」

 もう、こいつはダメだ。

 んで、ここはどこだよ。上下感覚もあやふやで、景色は真っ白だしよ。いわゆる死後の世界って奴か?

「違う違う。ここはそんな大層な世界じゃないさ」

 じゃあ、どういう世界なんだよ。

「それは君自身が決めることさ。ここは捉え方で価値が変わるからね」

 んじゃあ、俺は生きているのか?

「そうそう。愚者なる権能をもって、君は直前に回避したんだ」

 愚者なる権能?

「それ以上はダメさ。ネタバレになる。重要なキーワードはここぞって時に解明しないとね」

 ここは小説の世界じゃないぞ。そんなこと誰が気にする?

「ふふーん、それはどうだろうねぇ。案外ここは誰かが見ている夢の世界かもしれないよ」

 んな、胡蝶の夢みたいなこと言われても。

 だいたい。俺達より上位の存在が作り上げた世界だとして、それを観測する手段はない。その議論は無駄だ。

 蟻のような矮小な生き物に、俺達と言う存在を説くようなものだぞ。知能からして無理だ。

「本当に?君たちの世界にこういう言葉がある筈だよ。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。ってね」

 そんなことはどうでもいい。三上は無事なんだろうな。

「ふ、ふっふっはははああは!自分より他人の心配かい?愚者足るゆえん、と言ったところかな。君が君である証」

 訳の分からねぇこと言ってないで、いいから答えろ!

「無事かどうかと言えば、無事だよ。君が咄嗟に抱きついたお陰でな」

 よ、よかった。それが聞けただけで、安心して逝ける。

「だから君は死んでないって。普段は聡明なのに、彼女のことになると君は愚かになになるんだね」

 俺の半身みたいな存在だからな。短い付き合いだが、「過ごした時間=絆」と言う式は成り立たないって理解できた。

「その関係はひどく歪だ。って僕が言うまでもなく、理解しているか。ああそうだった。君、地球には帰れないよ」

 ────はぁ!?

「もうすぐ僕の言っていることが分かるようになる」

 おいちょっと待て、知ってる情報を吐け!

「時間だ。次はもっと落ち着いた場所で再会するとしよう。愚者の意思を継ぐ青年よ」


 ☆☆☆


 覚醒は唐突だった。


「────はっ!?」

 上下感覚すらあやふやな世界から抜け出した俺は、急に舞い戻った感覚に酷く動揺した。

 鼻から吸収した酸素がやけに鋭く、全身の血液を活性化させるように循環していく。

 それと同時に霧がかかったように不明瞭だった頭脳も、歓喜の声を上げ、正常な回転に戻っていく。

 平衡感覚が少しおかしくなっているのか、体がふらつく。

 目を閉じ、一度精神と体を整える。

 確かな感覚にも慣れ、余裕の出た俺は、今更ながら異常に気づく。


「ん、な!?」


 この場所────いや、この世界は俺がもっとも慣れ親しんだ、そして、最もありえない所であった。

 砂だらけな石畳の地面。レンガ造りのオレンジ色をした古びた廃墟。

 先端部分が尖っている、ピラミット形式の塔が遠目で見えた。そこだけ別世界のように、鈍輝く白銀にされていた。

 空気はやけに新鮮で、汚染していないことが体感的に分かる。

 風は穏やかで清涼。それだけでも俺がいた世界とは違うと認識させられた。

「こ、ここは」

 俺は趣味柄、この場所がどういう所か、またどういうことが起こったのか、灰色の脳細胞がうねりを上げる前に理解した。


 ここはどこ? 私は誰?

 ここは異世界。私は異世界転生者。

 いや、待てよ。生身の体を保有しているということは、トリップか。

 オタク魂が顔を出しワクワクしてしまうが、心を押さえ脳内お花畑を探す。

「いない、のか?」

 あの真っ白な世界で謎の概念は三上は無事だと告げた。

 その言葉を鵜呑みにするのであれば、一緒に同伴していることになるのだが。

 いない。

 少し離れたところにいるのかもしれない、或いは先に目を覚まし、厄介事に巻き込まれているかだ。

 最悪の想定として、バラバラに異世界トリップをしてしまっていることを考慮したが、すぐに首を振り否定した。

 否定したかった。

 この世界は現実だ。異世界転生なんて、それこそ物語にしか起こり用のない現象だが、実際今起きてしまっている。

 絶対的なハッピーエンドなんて夢のまた夢だし、運命様がそんな殊勝な性格をしているなんて、期待していない。

 全く何の知識も力も無しに、別世界に放り込まれたらどうなるか。

 奴隷になるのはまだ幸せな方だろう。その場で即刻殺されるか、野垂れ死ぬか。どんな方法かは断定できないが、行き着く先は死だけだろう。

 奴隷になり永遠と使役されるよりかはマシだ、と思うかは個人によって別れるだろうがな。


 …………不安になってきた。

 言霊玉っていうのはスピリチュアルなもので、論理的ではないが、言葉事態に宿る力はすごいと思う。

 特にそれが不安などの負属性であった場合は特に。

 早る動悸と意識を押さえ付け、常に冷静足れ、という自分の訓戒を実行する。

「人影は見当たらない、気配も感じられない」

 辺りを見渡し気配を探るが、人っ子一人見付けられない。

 あるのは寂れた、廃墟にも等しいレンガ造りの家々と、ポツンと設置された井戸だけだ。

 空は黄金色に染まっていて、哀愁感と孤独感を引き立たせる。

「俺もヤバイんじゃ」

 一度そう思ったら、不安と言うのはこれ見よがしに自己顕示してくる。

 町中であるだけマシだが、かなり治安の悪そうな所だぞ。

「と、とにかくあいつを探そう」

 目的を提示して、行き場のない不安をカットする。

 この場を動くこと事態にリスクを感じるが、このまま案山子となっていても意味はない。それどころか、ここが絶対に安全な訳でもないのだ。

 で、あるのなら移動するのは自白の名。

 そう結論付け、一歩踏み出そうとした所で。


 ────空気が変わった。

 窒素と酸素のことを指しているのではない。

 雰囲気と言えば分かりやすいか。

 肌を針でつつかれる────いや、ぶっ刺されるかのような、冷気。

 凍える気配が背筋を撫で、同時に体を萎縮させていく。脳が逃げろ逃げろと体に懇願する。


「対象確認。確定は出来ないため、問いを投げ掛けます」


 まな板みたいに平坦な、それでいて聞くものを魅了するような機械音声。

 いや、機械音声じゃない、人体が発生させた声だ。

 けど、感情がごっそり抜け落ちたような音程に、俺は咄嗟にそう思った。

 カチャリ、と少女の身長はありそうな槍を、軽々と俺に向ける。

 ついさっきまで誰も居なかった空間に少女がいた。

 ありえない!

 ここには誰もいなかった。それはとっくのとうに確認した。

 少なくとも半径50メートル以内は。

 遠くからここまで来るのに時間的に合わないし、例え超スピードで可能だったとしても、気配を察知すら出来なかったのはどういうことだ?

 何もない所から、忽然と、空間を割るかのように登場した。


 汚れを知らない、澄んだ水面のような髪をショートカットにしている。対照的に眼は漆黒で、闇を内包していた。

 小柄で慎ましやかな体を黒のブレザーで包み込んでいる。

 芸術作品もかくや、と言った絵に描いたような美少女。

 俺はその少女を見て、見惚れるより先に恐怖した。

 ロクに対話しなくても分かる。この少女に感情なんてなく、他者の命令ひとつで軽々と人を殺すような、そんな人形なのだと。


「質問。あなたはアリスを殺しましたね」


 聞き覚えのない名前だ。殺人なんて大層なこともしていない。

 そんなことをしてたら今ごろ、罪悪感を清めるため入水(水の中に身を投げ出して自殺)してるだろう。


「殺人なんて貴重な体験、したことがないな」


 何とかその言葉だけは、絞り出せた。

 少女はそれだけで人を殺せそうな冷たい目線で、俺を捉える。


「嘘は言っていませんね」


 今まで突きつけられていた槍が下ろされ、俺は生きた心地ってのを取り戻す。


「教官、はい。了解しました」


 少女は左耳を押さえ、誰かと会話をする。魔法かなんかだろうか。じゃないと痛い奴過ぎる。


「残念ですが、あなたを殺すように指令が下りました」


 くじ引きで残念賞が出たような気軽さで、俺に告げる。


「まてまてまてまて! 俺は殺人なんてしてないって言ってるだろ。ってか納得してただろ!?」

「命令なので仕方がありません」


 こいつは人形だ、操り人形だ。

 全身に糸を巻き付けられていて、慣性に従うしかない。


「殺されてたまるかよ!」


 先手必勝! ずるいだろうが知ったこった!

 武士道精神などドックフードの代わりに犬に食わせとけ。

 こんなよく分からん奴に、しかも冤罪で殺されるなど許容できるか。

 地面に足先を叩きつけ、砂を飛ばし、目潰しをする。


「うぉおおおおお」


 立ち向かう振りをして、踵を返し全力逃走。

 ボスを絶対に倒さないと進めないRPGじゃないんでね!

 ばか正直に戦ってもそれこそバカだろう?


「視界不良。なるほどこれが不快ですか。魔術即興改編ウィンドブレス


 空気が膨張し、風が不自然に発生した。それを俺に叩きつけてきた。

 咄嗟のことで、異常なスピードの攻撃に対処しきれず、もろに食らってしまう。

 重い衝撃。五臓六腑をシェイクされたような不快感と、俺の体もシェイクシェイクされ、回転しながら吹き飛ばされる。

「ごあぁ」

 全面から数メートル離れた廃墟に、思い切り突っ込む。

 痛みで目がチカチカする。意識が朦朧となり、雑言ですら発せなくなる。


「拘束完了。これより排除を行います」


 最後の最後まで、感情を見せない。死刑宣告ですらも。

 きっと、いや絶対。泣いて媚びて土下座しても眉ひとつ動かさないだろう。この少女は。

 また、空間と空間を無理やり繋げて移動したかのような、不可解な速度で俺の目の前に来る。

 片手に持つのは、獲物に歓喜し煌めく槍だ。


「くっそぉお!」


 こんな所で死ぬのか俺は。

 まだ、まだ何もやってない。何も産み出してない、何も成してない。

 折角異世界に来たのに、早々に退場かよ。クソ運命が。さぞ面白いんだろうな、この喜劇はよ。

 槍が引かれる。力を溜め俺に一突きをするために。狙う先は俺の心臓。配点の高いポイントだぜ。


「排除実行」

「くっそぉぉおおおお!」


 少女の細腕に力が籠り、俺を殺さんとする、その寸前。

 カチッと何か俺の中で、リミッターが解除される音がした。

 正体不明の謎の力が溢れ出る。暖かいような禁忌の背徳感のような。

 思考が真っ白に塗りつぶされ、俺の意識も無色になった。


 ────おめでとう。この世界に来て初めての解放だ。愚者。


 そんな厳かな声を聞き、俺は深き眠りに囚われた。

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