第9話 『DWD:癒しの黄昏リゾート』

フィリシア・ランドルフに案内されたレストランで意気投合し食事を共にした有紗は、店の前でフィリシアと分かれた後、別に用意されたハイヤーに乗せられて、またディズニーリゾートに戻ってきた。


ホテルのエントランスで車を降りて真っ直ぐ部屋に戻ると、有紗は着の身着のままベッドに倒れ込む。


「はあぁ」

大きく息をついた有紗は、まるで地球に貼り付いているかのように全身の力を抜いて天井を見上げながら、今日の商談を振り返った。


満点を上回るハイスコアでクリアしたと言えるだろう。

すぐにでも今回力添えしてくれた上司にダイレクトに報告をしたかったが、日本はこれから深夜を迎える時間帯なので、公用に開設したアドレスからアクセスしようと、ここ数時間の出来事を頭の中で整理し始める。


ある程度まとまったところで、寝返りを打つように同じくベッドに投げ出されたバッグに手を伸ばした。

無意識に手帳を取ろうとして、ハッと気付く。


「あ……私の手帳じゃ、ないんだったわね」

そう言いながら、引っ込めた手をもう一度伸ばして手帳に触れた。


ついさきほど、あのレストランについてフィリシアに提案した内容。

実は、あれは有紗自身が導き出したものではなかった。

この誰の物とも分からない手帳の、その主の受け売り……いや、その人物の発想そのものだった。

しかしそれはあくまでもその意見に大いに同意点があったから発言したことは確かだった。


「とりあえず、江藤部長にはありのままを書けばいいわね。そうだ! 江藤部長ったら、ミセスランドルフとかなり親しいんじゃない! もう……だったら最初からそう教えてくれればいいのに。ついでに、文句も書いておこう!」


そう言いながらも有紗は、フィリシアから、あの江藤部長が自分のことを"秘蔵っ子"と言っていたと聞かされて、すっかり気をよくしていた。

サッと起き上がり、そのままデスクでパソコンを開いて、言葉を発するようにスピーディーに打ち込むと、有紗は髪を束ねてシャワールームに向かった。



夕食までまだ少し時間があったので、ラフな服装のままホテルの周囲を散策する。

夕闇が迫る空の色が刻々とあおを帯びていくのを眺めながら、まるで海岸にいるような錯覚すら起こすような海を模したプールの水辺に腰を下ろす。


「なんだか、ようやくリゾートに来たことを実感できる感じ? まぁ大きなfirst stepをクリアできたからね」

そう呟いて辺りの景色を一通り瞳におさめた有紗は、脇に置いたバッグから 例の手帳を取り出す。

パッと見たところ、自分の物と寸分違いはない。

随分長い時間、それが自分の物ではない事にも気が付かなかった程だ。


「ホント、不思議な事もあるもんね? 何がどうなって、君は私のもとに来たの?」


そう言いながら有紗は、その手帳の最初のページから開いて読み始めた。

今のところまだ見つかっていない持ち主の情報も探していた。

手掛かりがあれば、その人の元に戻してあげたい。


今日フィリシアと行った店の情報は、更にページを進めるともっと具体的な内容も書かれていた。

例えばオーナーの出身地や得意料理、メニューについては別のシーズンのメニューまで。


「これを書いた人は、プロのグルメレポーターかもしれないわね。きっと女性だわ。繊細な字だし、細かいところにもよく気が付く人みたい」


他にもビックアップされている店の中で、ウォースアベニューの超高級フレンチ店に関しては食器のブランドの名前までも書かれていた。

そしてどんどんページを重ねる。

レストランからバーへ移り、そしてあらゆるブティックの情報までも……


そこにはまたコアな意見までも書き加えられており、有紗はこの筆者がファッション関係の人間でかもしれないと思い直す。

選ぶ店には、格段のこだわりを感じた。

パームビーチだけに留まらず、ウエストパームビーチのダウンタウンのメインストリートに軒を連ねるハイソサエティな店の情報もかなり含まれていたが、不思議と大型ショッピングモールにあるような、大手のデザイナーズブランドにはひとつも触れていない。


だんだん分析するのが楽しくなってきた有紗は、その手帳を夢中で読みあさった。


「ひょっとしたらとんでもない幸運の鍵を拾ったのかも……」

そんな思いを抱きながら、更に読み進めていく。


手帳の内容が、ここパームビーチから、しいてはこのオーランドにいての土地にまつわる話やその歴史に至る内容にまで及んだ箇所に差し掛かった時、日本では聞きなれない鳥の声にハッとした。


「ん? フクロウ?」


我に返って辺りを見回すと、さっきまでプールで遊んでいた子供たちの姿はもうそこにはなかった。

時間を忘れる程に、手帳に夢中になっていたのだと気付く。

ずいぶんと低い位置になった太陽が燃えるように真っ赤に染め上げた姿を、もうじき地平線に沈めようとしている。

それは、かつてロスに行った時、マリブのパシフィック・コースト・ハイウェイで車を走らせながら見たロマンチックなサンセットを思わせた。


その時、バッグの中で有紗のスマートフォンが振動し始めた。

手に取った画面に視線を落とすと、有紗は目を見開いて慌ててタップする。


「あ! もしもしツカサ?! ごめん! 私、電話するって言ってたのに……」


「いいわよ。ひょっとして食事中? だったら後にするけど」


「あ、食事するの忘れてた」


「はぁ? 一体何してるの? 今どこ?」


「ホテルに戻ってきてる」


司は溜め息をつく。

「一旦こっちパームビーチに来たのよね? そのまま帰っちゃうなんて!」


「ごめん! オーナーがハイヤーを付けてくれたから……まっすぐ帰って来ちゃった!」


「オーナー? 『ランドルフ』の?」


有紗は電話のむこうの親友に、今日一日の出来事を簡単に説明した。


「ふーん。思ったよりもずいぶん早く事が進みそうじゃない?」


「ほんとよね。なんだか怖いくらい」


「随分身構えて行ったのにね」


有紗は苦笑いする。

「ええ。それはもう。だけどすんなり受け入れてもらえて……その時点で、既に予想外だったんだけど」


「まあ親族が日系人っていう事もそうだし、オーナーが日本語を話すっていうところもラッキーだったんじゃない?」


「うん、まさしくツイてるとしか言いようがないわ」


「で? 有紗、結局オーナーがすすめてくれるその別宅に住むってことなの?」


「うん、まぁ……」


「いつからよ? 当初はそこWDWに一週間滞在するつもりだったんでしょ? どうするの?」


「あ……それがね、オーナーがその場で早々にホームクリーニング業者に連絡して、明日でも入れるわよ、なんて言われちゃって……」


「ははーん……なるほど。有紗、あなた捕まったわね」


「捕まる? どういうこと?」


「わかんないの? あなたは『ランドルフ』からすっかり包囲されて、もう逃げられないように、そのオーナーに囲われたってことよ!」


「え? そんな、囲われたなんて……」


「だってそうでしょう? そこに住んだら、あちらはあなたの全てを把握できるのよ? オーナーの手中に収まったってこと! まぁせいぜい働かされなさい」


「もう司! あんまり脅さないでよ!」


司は電話越しにカラカラと笑った。


第9話 『DWD:癒しの黄昏リゾート』- 終 -

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