第8話 『パワーランチの幸運』
有紗はソファから身を乗り出すような格好で、ブロンドの貴婦人を見つめた。
「ミセスランドルフ、信頼を頂けて嬉しいです。ただ……大切な御社の内情を私なんかにお話しなさって……よろしいのでしょうか?」
フィリシアは少し口角を上げて見せた。
「フフッ、そうねぇ。タダで聞かせる話ではないかもね? ねぇアリサ、一つ条件を出してもいいかしら?」
「条件……ですか? はい、なんなりと」
「あの子を……甥っ子をね、連れ戻したいの」
「はい? あの、それは……私はどういったことを……」
有紗はまた首をかしげた。
「もちろん実際に『
「私で……大丈夫でしょうか?」
「ええ、もちろんよ。あなたの発想力なら、あの子も興味を持つと思うの。これは直感よ。だって、こんなにワクワクしたのは
フィリシアは優しい瞳で笑った。
「ありがとうございます」
「あの子の状況は、私も日本から情報をもらうしかなくてね。今後はあなたにも共有するわ」
「はい。その方は……どんな人なんでしょうか?」
「そうね、そんな話も追々していきましょう。彼の名前は『
「そうですか……レオンさん……」
いわば新しいそのミッションに、有紗はまた気持ちを引き締めた。
人を説得するのには、必ず引き合いとなるものが必要となる。
ある程度の提示できるものを作る為に、まずは自分の力を発揮して何らかの結果を出さなければならない。
それには時間を要するかもしれないが、有紗はそれに全身全霊を傾けようと心に誓った。
「それで? あなた今どこに泊まってるんだったかしら? ああ、確かディズニーリゾートに迎えを出したんだったわね。なぜなの? 観光でもするつもり?」
「いえ……あ、一週間ほどしたらこの近くに友人が住んでいるので、そこの家に少しお世話になることになってるんです」
「なに? あなた、すぐ日本に帰るつもりだとか?」
「いいえ! 実際に出版社との約束でショップもオープンさせなくてはなりませんし、なにも成せないうちは当分日本へは帰れません。実は……」
有紗は少しばつが悪そうに、声のトーンを落とした。
「あ……私は形式上ではありますが、編集長を
「そうよねぇ? 聞いてるわよ、Mr.江藤から」
「えっご存知で……そうだったんですか? 江藤部長が……」
それを聞いて有紗は腑に落ちた。
自分には後がなく、捨て身でやって来たこともすべて承知の上で、この貴婦人は自分の提案を飲んでくれたのだと。
「だったらなぜ先に家を探さないの?」
今度はフィリシアが首を
「あ、それは……今まで各国渡りましたが、実際に居住するのは初めてで……さすがに日本国内のようにスマートフォンに指一本で確定するってわけにもいかないと思って、とりあえず現地に来ようと……」
フィリシアの顔がフッとほころんだ。
「ふふふ、そう? Mr.江藤に聞いた通りだわ。アリサは行動的で大胆だけど、いつも仕事優先で自分のことは後回しだってね。分かったわ。住む所を提供しましょう」
その言葉に有紗は驚いた。
「え? あ……いえ! そこまでしていただかなくても……」
「アリサ、いい仕事をしようと思うなら生活の基盤は重要よ。仕事に打ち込める環境が必要なの」
「はぁ……でも……」
「いいのよ。実は使ってない家があってね。ちょっと掃除はしてもらわなきゃならないけど、むしろ住んでもらった方が私も好都合よ。家も生き返るでしょうし」
よくよく話を聞くと、この周辺にはランドルフ家の所有物件が幾つもあるらしい。
家賃を納めさせて欲しいと有紗は言ったが、フィリシアはそれを受け入れず、罷免されたのなら『
驚く有紗にフィリシアは、更に社員の扱いをするので居住に伴う生活基本料金すら取らないと言った。
「こんなに良くして頂いて……」
フィリシアは、そう戸惑う有紗の肩に手を置いた。
「その代わりとして、こちらが一段落ついたら、偵察と称して一度日本に行ってもらいたいの。そしてそこでレオンとコンタクトをとって欲しいわ」
加えてフィリシアは、その際に
「ね? 悪い条件じゃないでしょ?」
「滅相もないです……そこまでしていただいて……」
「大丈夫。私もあなたから貰うものが沢山あると思うの。アリサ、あなたらしい仕事ぶりを見せてちょうだい。それに、Mr.江藤には随分お世話になったのよ。主人が亡くなった時もね。その彼がアリサの事を秘蔵っ子だと言ったわ。これは私にとっては彼へ恩返しするチャンスでもあるのよ。だからアリサ、あなたの会社にも良い報告ができるように頑張りましょう!」
「はい! ミセスランドルフ」
フィリシアは嬉しそうに微笑むと、再び立ち上がってデスクまで行き、受話器を持ち上げて言った。
「アリサ、これから食事をとりながら相談しましょう。あなたのビジョンをもっと具体的に聞きたいわ」
フィリシアに連れられて『ランドルフ』の正面から表通りに出ると、一層強くなった日差しと共に、純白のリムジンが二人を出迎えてくれた。
その傍らの運転手が、爽やかな笑顔でドアに導く。
「good job!」
有沙の耳元でそう囁いた彼は、またもや優しい表情でウィンクを投げた。
ランチに訪れたその店は、今朝『ランドルフ』に向かう前にリムジンで通りかかった、大通り沿いにある料理店だった。
日本でいう洋食屋のようなhome-style cooking
こじんまりした外観のその小さなレストランを有紗が認識している理由は、その店が今もバッグの中にある例の手帳に記されていたからだった。
「確かに、歴史を感じる……お店ですね」
フィリシアは驚いた顔で尋ねた。
「あらアリサ、あなたこの店を知っているの?」
「あ……いえ。来たのはもちろん初めてですが、隠れた良質の老舗だと……」
「そうなのよ。Soul foodが中心だけど、ここの料理は素晴らしいわよ。楽しみにしてて!」
フィリシアが言うように、運ばれて来る料理はどのプレートも驚くほど美味で、新鋭さを含んでいた。
毎回感嘆があり、会話も弾む。
それも手伝ってか、食後の紅茶をいただく頃には、二人はすっかり打ち解けていた。
「失礼かもしれませんが、私の中では、アメリカでの食事って “ボリューミーで大味” っていうイメージだったんです。でもここは繊細な味付けで日本人の口にも合うような、素晴らしいお料理でした。だだ……この店構えをもう少し……」
フィリシアは察するように頷いた。
「そうね。この店のオーナーにも話してみようかしら。昔からお世話になってなっているお店なの。あなたの言う通りかもね」
お茶をすすりながら、フィリシアが思い出したかのように眉を上げた。
「そういえば、いつだったか……うちの甥っ子も同じようなこと言ってた事があったわ。このお店を立て直してコンセプトを持たせればもっと流行るのにって」
有紗は深々と頷く。
「確かにそうですね。もったいないなって思います。オーナーにこだわりがあって今のスタイルなのでしたら難しいかもしれませんが、もしそうでないのなら、いくらでも展開する方法はあるような気がします」
フィリシアは笑顔のまま、有紗の顔を見つめた。
「さすがに、あなたらしい意見ね。改めてあなたと組めることに喜びを感じるわ。うちの甥っ子もマーケティングに興味があるみたい。あなたと発想が似てるもの。だったらうちの店を何とかしてくれたらいいんだけどね。あの子は私がその話をしだすと、プイッとどこかへ行ってしまうのよ。アパレルに興味がないとも思えないのだけれど」
再度カップを持ち上げ、視線を下げるその美しいフィリシアの横顔に、淋し気な表情がよぎった。
「きっと……そのレオンさんって方も、ランドルフの素晴らしさに気付くと思います。それを証明しましょう!」
フィリシアの表情が明るく満たされた笑顔を変わったのに安堵しながらも、かなり責任重大な案件に宣言をしてしまったことに後から気付く。
有紗は気持ちを引き締めながらも、笑顔で返し、最後のお茶をすすった。
第8話『パワーランチの幸運』- 終 -
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