第7話 『大手ブランドの内情』

フィリシア・ランドルフは会社の沿革に留まらず、有紗に対して自分達の現状から話し始めた。


「実はね、義理の弟のジョージ・ランドルフの日本人の妻は、このウォースアベニューで店をかまえてるの」


「え? ジョージさんは日本におられるのに、奥様はこちらフロリダに?」


「うふふ、おかしな話でしょ? まあそれもあって、日本語での会話は私にとって日常的なの。彼女のことも近々あなたに紹介したいと思ってるわ。彼女もあなたと話したいと言っていてね」


有紗は資料を差し出しながら言った。

「あの……事前にお渡しした企画書に、もしご不明な点がありましたら、今からでもご説明させていただきますが……」


フィリシアは首を横に振った。

「いいえ、そうじゃないの。あなたの企画書は完璧よ。いいアイデアだと思う。彼女もそう思ってるわ。実は……折り入って、お願い事があって……」


「お願い事? ……ですか?」

有紗は首をかしげる。


「ああ……ええ。内々の事で。少しプライベートな話になるんだけど……かまわないかしら?」


「ええ。もちろんです」

有紗は膝に手を置き、座り直す。


「ご存知かもしれないけど、私には子供ができなくてね。だからというのもあって、弟夫婦の一人息子……私にとっては甥っ子なんだけど、その彼のことを、生まれた時から息子のように思ってきたの」


「はぁ……」


「あはは。なんのことかわかんないでしょうけど、まあ聞いてて。その甥っ子はね、とにかくじっとしてない子なのよ。何かと言うとすぐ父親がいる日本に行っちゃうの」


「日本へ? ジョージさんの所へですか……」


「そう。その日本の会社なんだけど……この前調べさせたら、甥っ子も社員として名を連ねてるのよ。私には内緒だったのかも。その子は……なんせ、逃げ足が早いというか」


有沙は更に首をかしげた。

「逃げ足?……ですか? あの……その甥っ子さんが、逃げる理由とは?」


フィリシアは、少し目を伏せて自嘲的に笑った。



Randolphランドルフ』に跡取りが居ないことは、有紗も知っていた。

未亡人が『Randolph』を継いでいるという事実からも、後継者問題が頭痛の種だということは、容易に想像がつく。

しかし……


「まぁ……簡単にいうと、あの子はここをがされされるのが、嫌なのね」

フィリシアは笑ったまま溜め息をつく。

その細い肩を見ていると、有紗の心はなんだか無性にざわついた。


何をおいても、今や世界中に認識され、高級ブランドと名高い『Randolphランドルフ』、背負うものはかなり大きなものであると想像できる。

それでなくとも元々のオーナーであるご主人が亡くなられて不安な思いをされていたはず。

それなのに、近親者が手を差しのべないなんて……

甥っ子がなぜ事業承継を拒むのか、その理由は解らない。

しかし、なんにせよ、逃げるなどと……

Randolphランドルフ』のほどの看板を自ら遠ざけるとは、一体どれ程甘やかされた、ワガママなお坊ちゃんなんだか……


「なぜですか! こんな素晴らしいハイブランドのオーナーになれるのに、それを嫌がって日本に逃げるなんて!」


思わず心の声が出てしまい、有紗は慌てて口を押さえた。

「あ……すみません」


「ふふふ。あなたは正直ね」

フィリシアは朗らかに笑った。

そして改めて優しい眼差しで有紗を見据えた。


「あなたは正直者だから、私も正直に話すわね」

フィリシアはそう前置きをして、また話し出した。


「今回のお話、本当の事を言うと、頂いた当初はお断りしようと思っていたのよ。でもその子の母親、つまり主人の弟の妻ね? 彼女が言ったの。面白いんじゃないかって」


「そうだったんですか」 


「ええ。彼女は、私と違って情報通でね。日本人なだけに、イベント会社の『ファビラスJAPAN』もあなたのファッション誌の月刊『ファビュラス』も知っていたわ。それに日本のビジネス雑誌に掲載されたあなたのインタビュー記事を見せてくれたの。あなたって最年少編集長なのよね?」


「あ……はい」


「調べるつもりはなかったけれど、それを読んだから、あなたについてはけっこう把握しているつもりよ。あなたはどうも……面白い人材のようだわ。素直だし」


「えっと、あの……ありがとうございます」


「うふふ」


「あ、是非、その義理の妹さんですか……その方ともお会いして、お礼申し上げたいです」


フィリシアは微笑みながら頷いて、再度有紗にお茶を勧める。

そして、同じタイミングでカップを戻すと、内線で秘書に二杯目のお茶を注文した。



「アリサ、今回私は、あなたにお願い事をすることにしたの。会ってみてそのアイデアが正しかったって、今嬉しく思ってるわ」


「はい……」


「アリサ、固い商談といわず、お互い相談しながら事を運びましょう」



フィリシアはまず、会社組織としての『ランドルフ』の内情や、高級ブランドとして世界で認められているゆえの悩みを語り始めた。

そこには代々受け継がれた歴史におけるステイタスから生まれたおごりによって、実は会社が傾きかけているという話も含まれた。

今はそれを救うため、フィリシアの義理の妹が何かと助言し、協力しているようだった。

あの謎の手帳にも書かれていた事も含まれてはいたが、それ以上に逼迫ひっぱくした内情すらも、フィリシアは有紗に赤裸々に話して聞かせた。


「この会社を立て直して、あの子がここを継ぎたくなるようにしたいの。それが今の私の夢でもあるわ。その為に何をするか。そこね。具体的には難しけれど、でもあなたの提案のように、日本での立ち位置を引き上げれば、あの子にはきっと響くと思うのよ。何年か前にね "老舗は守りに入って斬新さに欠ける。つまらないんだ " って、捨て台詞みたいに言われたの。普段は意見どころか、関心すら示さないあの子が言ったその言葉が、今は私にもようやく解るようになった。ファッション業界はセンセーショナルで魅力的で、常に展開していかなきゃだめなのよね? そういう点でも、若いあなたのアイデアは私にはまぶしかった。そして思ったわ。きっとあの子も、ここから離れて別の場所で “そういったもの” に携わろうしているんだろうって」


有紗はその言葉一つ一つを飲み込みながら、しばらく考えていた。


「ミセスランドルフ……私やってみたいんです。ここを、この地域を、改革する事を。私にチャンスを下さいませんか」


真っ直ぐに顔を上げてそう言った有紗の顔を見て、フィリシアは頷いた。


「ええ、そのつもりよ。義理の妹とあなたの提案について話していたのはその点よ。もちろん自社ブランドを上げていくのも大事なことだけど、この『WorthウォースAvenueアベニュー』一帯を底上げする努力が必要なのかもって。老舗だ、ハイブランドだ、と言われてお客様をこちらが選ぶような時代ではないし、あなたはその時代の流れを読んでいる。あなたの商談は成立ね。アリサ、この波を変えてほしいわ。力を貸してちょうだい」


有紗はパッと明るい顔を上げて、もう一度差し出されたフィリシアの手を握った。

「はい。ありがとうございます!」


白く美しいその華奢な手を見つめながら、有紗は微力ながらもこの人の役に立ちたいと、心から思った。



第7話『大手ブランドの内情』- 終 -

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