第10話 『あの頃に戻ったように』

もう夕陽が陰りかけたホテルの水辺で、解放感に包まれながらの親友との通話は、この上なく楽しい時間だった。


有紗の報告に対してさんざん皮肉めいた口調で脅しておきながらも、ツカサは終始、上機嫌で話している。


「そっか……あなたはあちらにとっても〝希望〟なのね。いいんじゃない? Win-Winの関係ならビジネスパートナーとしては申しぶんないし! 生活も困らない、やりたい仕事にも早々に着手できる! 良かったじゃない!」


「そうね。ただ……その代わりというか、大変なミッションを任されちゃったのよ」


有紗は司に、ミセスランドルフの甥を連れ戻すというミッションを提示された事も話した。


「ほら、やっぱり! あなたしかできない仕事を任されたんじゃない。それで? その御曹司の目処めどはついてるの?」


「それが……全然。その甥っ子が今どこにいるかもわからないの。出国してるらしいから、多分日本だろうってオーナーも言ってたけど。とにかくその問題も片付けなきゃ」


「うわ……探偵もやるわけ? なんか、すごい話ね」


画面の向こうで肩をすくめる親友の姿が目に浮かぶようだった。



「そうだ有紗、住所わかってるんだったら教えてよ」


「うん、わかった。後で送るね。でも多分ものすごく近くだと思うよ」


「そうなの? 嬉しい!」


「それでね、司にも色々付き合ってほしいことがあるの」


「なに? 私で役に立つことがある?」


「うん。これはちょっとした私の好奇心でもあるんだけど……でもね、ひょっとしたら今回の件に大いに役立つかもしれないの」


有紗は手帳の話もした。 


じっと静かに聞いていた司が、突然声を上げた。

「分かった!」


「ええっ……何が?」


「あなたがどうしてこんなにラッキーかってこと!」


「どういうこと?」


「きっと有紗の手にあるその手帳のおかげよ! それがあなたの手に渡るってことが、どれほど不思議でどれほど凄いことか! 有紗、これは運命よ。あなた、運に選ばれた人なのかも!?」  


「そ……そう? ホントにそうなら嬉しいけど。あ……ねぇ司、それでね、ここに載ってるお店に付き合ってほしいんだけど……どうかな?」


「そんなの、お安い御用よ! でもそんなことより、そこに書いてある事をあなたはしっかり把握して、この街で成功を収めるべきだわ。ガイドブックにも載ってないような事がまだ沢山書いてあるかもしれないしね」


「そうね。じゃあ明日早速、行ってみる?」


熱が冷めやらぬ親友は、興奮気味な声を残して電話を切った。

無理もないと思った。

有紗の中にも同じように運命という言葉が既に鳴り響いていたのだから。



翌朝、有紗は早めにチェックアウトを済ませ、スーツケースを転がしながらWDWディズニーワールドを後にした。

タクシーで空港に向かい、そこから出ているアムトラック全米旅客鉄道に乗ってウエストパームビーチに向かう。

少々長旅ではあったが快適で、アメリカでは珍しい電車の旅を堪能した。

時折車窓を眺めながらも、手帳をどんどん読み解いていく。

新たに購入したガイドブックの地図のページに印をつけながら、幾つも店をチェックした。


手帳の二番目に書いてあったレストランは、偶然にも親友の行きつけでもあった。


昨日出向いた『ランドルフ』本社の程近くに住む彼女の家から車で15分ほどにあるダウンタウンの中心部。

このアムトラックが到着する『ウエストパームビーチ駅』のターミナルで待ち合わせをした。

そして手帳に記載された情報が正しければ、徒歩で数分のメインストリートにある、その店でランチをとることになっていた。


数年ぶりに親友の顔を見ると、口からは自然と日本語が溢れる。

「司! 久しぶり!」


「やだ、有紗! そんな大きなスーツケース持ったまま来たの? 荷物なんか送りなさいよ」


数年ぶりに会った親友は、すっかり現地に溶け込んだセレブリティの出で立ちだった。

有紗の荷物を彼女が乗ってきた車のトランクに放り込んで、二人は強い日差しを浴びながらも、いそいそとダウンタウンへ足を向ける。


前々から訪れてみたかった、ウストパームビーチきっての中心地“クレマチスストリート”

そこに足を踏み入れて、目を輝かせながらキョロキョロと辺りを見回す有紗に微笑みながら、司は予約したそのリストランテに案内した。

まず目に飛び込んできたのは、あの手帳に書かれているままに洗練された内装だった。

ロイヤルブルーをテーマカラーにしたファブリックにセンスのいいシャンデリア。

どれをとっても有紗の好みだった。


テーブルにつき会話を始めた瞬間から、二人はかつての同僚時代あの頃に舞い戻った。

次々に運ばれてくる豪勢な料理に舌鼓を打ちながらも、懐かしい話が次から次へと後を断たず、大いに笑った。


「いいもんだわ。このアメリカの地で、髪色も肌色も違う人たちの周りでさ、こんなに長く日本語で話すのなんて、ホント何年ぶりだろう」


昼間から揺らすワイングラス片手に、司は伏し目がちに微笑む。


「大変だっただろうね。こっちに来たばっかりの時は」

有紗は司をじっと見つめた。


「そりゃそうよ。仕事も捨てて、親友とも離れてこんな地球の裏側に来てさ、出産して……あの頃はもう勢いで来ちゃったから、どうにでもなれ! って感じだったけど……」


「それが今では三人の子持ちのセレブリティとはね」


「そうよ! この若さと美貌で」

司は大袈裟にポーズをとって、若い店員にウィンクを投げた。


「あはは、ホントよね。でも司のダーリンは素敵だし、頼りになるじゃない?」


「うわぁ、懐かしいわぁその呼び方! そんな事言ってる時もあったわね。今やすっかり、子供達のパパだから」


「そうなんだ。ミスターウォーレンにもまた会いたいわ」


「そうね、近いうちにあたりバーベキューでもやろうよ。本当は郊外でも行きたいんだけど、とりあえずはうちの庭でいっか! あなたも忙しいだろうから」


「うん。楽しみっ!」


かつて苦楽を共にした新米編集者だった二人は、それぞれの道に分かれ、それぞれの人生を生きて来たなかでまたこうして融合し、同じ時間を育んで行けることに喜びを感じていた。


有紗と司は微笑み合い、何度となくグラスを合わせた。



第10話 『あの頃に戻ったように』- 終 -



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