第4話 老教師と騎士
「リサですね?私は今日から一ヶ月間、あなたにここでの礼儀作法を教えます。」
カリスマ性半端ない大神官との面会に精神的に疲弊した私を待ち受けていたのは、やたら厳しそうなお婆ちゃん教師だった。
細く上を向いた眼鏡を掛け、年齢を感じさせないほど背筋のピンと伸びたおばあちゃんだった。髪は金髪なのか白髪なのか判別がつかない。薄い青い瞳は、凍てつくオホーツク海を連想させた。
彼女は動揺する私を値踏みする目付きで見ていた。はっと気付き、頭を下げた。
「よろしくお願いします。リサと申します。」
「声が小さいっ!やり直し!」
突然お婆ちゃんに怒鳴られ、私は心臓が縮み上がるほど驚いた。このご老体はどこからそんな怒声を出しているのか。慌てて大きい声で挨拶し直した。
「私はキムといいます。良いですか。ここは本来あなたの様な娘がいられる所ではありません。長年神殿に尽くし、各地の神殿から選りすぐられた者達だけが中央神殿に入る事を許され、更にそこから極限られた者達だけがこの大神殿につとめる事が出来るのです。それをゆめゆめ忘れてはなりません。」
「はい。」
「返事が小さい!!」
「はいっ!」
鞭を持たせたら非常に良く似合いそうな教師だった。
私はキム先生にこちらで使わせて貰う部屋に案内された。なかなか大きな部屋で、天蓋の付いた寝台や焦げ茶色の机、クロゼットなどの一通りの物が揃っていた。
クロゼットには神殿の職員が着る様な、頭からスッポリ被り、腰のあたりで帯を結ぶ装束が掛けられており、私はそれに着替えさせられた。ヒダがふんだんについていて、歩く度にサラサラと音がする。静かな神殿の中では、この衣擦れの音がそこかしこで響き、独特の雰囲気を醸し出していた。
キム先生は私を連れて大神殿の中を練り歩き、神官やその他の職員の着る装束が、位ごとにどう違うかを教えてくれた。たまに理解度を確認する為に私に質問してくるので、必死に覚えなければならなかった。間違うと激しく叱責されるからだ。特に上位の神官の位を間違うと、頭をはたかれた。体罰は暴力です、というスローガンはご存知無いのだろう。
食事はここに住む神官や職員と一緒に食堂で食べた。キム先生は食事の作法にも手厳しく、とりわけサル村で身につけたマナーは彼女の逆鱗に触れるらしく、片時も気が休まらなかった。
しかしながら、大神殿に部屋を与えて貰えるのはここで働く人々の中でも極一握りのエリートだけなのだと分かり、私はキム先生のとどまるところを知らぬ説教を甘んじて受けた。
屋敷や丸石を破壊した私が、文句を言う立場にもない。
食事が終わると、神殿の歴史について一通りの講義があり、ようやく解放された。部屋に戻ろうとするとキム先生は言った。
「明日、日の出の時刻に中庭で待っています。朝一番に聖水を汲みに行きますからね。」
唖然とする私を置いて先生は帰って行った。
そんなに朝早くから?
それより、日の出の時刻って何時なんだ?遅れたら殺されかねない。しかも中庭がどこにあるのかも分からない事に気付き、私は冷や汗をかき始めた。今のうちに確認しておこう。
日が落ち、暗くなった神殿内をフラつき、中庭を探した。外へと続く扉を開けて、出てみると、建物に囲まれた中庭らしき所に出れた。
きっとここだ。
ホッと胸を撫で下ろし、引き返そうとすると、後ろに男が立っていたので、私は驚いて叫んだ。
「新入りか?こんな時間に中庭で何をしている。」
長い黒髪を後ろで束ね、腰に剣をさした長身の男だった。神官や職員の装束では無い。
何者だろう。夜目にもかなりの端整な顔立ちであると分かったが、容貌が良ければ善人だとは限らない。一体、何時の間に私の真後ろに…。
「中庭を探してたんです。……あの、神殿の方ですか?」
すると男はにっこりと笑った。彫りの深い青い瞳が楽し気に踊っていた。
「俺は大神殿騎士団のセルゲイだ。」
男は自信有り気に名乗ったが、私がたいした反応を見せなかったので、幾分落胆したようだった。大神殿には騎士が警備しているのか。それはまだキム先生から教わっていなかった。騎士は貴族しかなれない筈だから、きっと良い家の人なのだろう。王都では大神殿騎士団と名乗れば女子達はウットリしてくれるのかもしれない。期待を裏切って申し訳ないが、私はそれどころではなかった。
「今日来たばかりで、明日も早いので。失礼しますね。お休みなさい。」
私が神殿の中に戻ろうとすると、セルゲイは道を塞ぐ様に私の前に立ちはだかった。
「もう少しくらい良いだろう?ここで会ったのも何かの縁だ。」
「明日、朝一番に聖水を汲みにいかなくてはいけないんです。もう寝ないと…。」
彼は尚も立ちはだかった。その長い手足は人の道を塞ぐ為にあるのか。
「そうか。では又明日会えるか?」
「会えないと思います。」
あっさりと私が答えるとセルゲイは苦笑した。
何を隠そう私は軽そうな男が苦手だった。この手のタイプは何を考えているか良く分からないので、サラッと流すのが一番だ。
セルゲイは肩をすくめると、ようやく道を開けてくれた。続けて彼は恭しく神殿の扉を開けて、どうぞ中へ、と言いながら胸に手を当てお辞儀をした。
「お休みなさいリサ。」
「お、お休みなさい。セルゲイさん。」
神殿の中に入ると私は自室へ戻って寝る支度を整え、寝具に潜り込んだ。
とんでもない一日だった。
私、なんで大神殿になんかいるんだろう。
私は六年振りに考えた。
私、なんでこんな世界にいるんだろう。
今更考えても仕方の無い事に心を痛めながら、気づく。
そういえば、セルゲイさんはどうして私の名前を知っていたのだろう。私はもしや、大神官の屋敷を破壊した女として話が広まっているのだろうか……。
翌朝、日の出ギリギリに中庭に出られた私は、既に待っていたキム先生から、銀色のヤカンみたいな物を手渡された。
そのまま神殿の裏へと続く道を進み、木々の茂る中を抜ける小道を歩く。少し行くと円形に開けた草地があり、その真ん中に小さな泉があった。覗くと清水がコンコンと湧いている。これが聖水だろうか。
私はキム先生に聞いてみた。
「このヤカンに水を汲めば良いのですか?」
「ヤカンとは何です!?神器と呼びなさい!」
「すみません。」
詫びつつも私は屈んでヤカンを泉の中にさし入れ、冷たい湧き水を汲んだ。そのやり方が乱雑だったせいか、頭ごしにキム先生から聖水を敬う心掛けが欠如している事について、お叱りを受けた。朝早く、ボンヤリする頭に浴びせられるキム先生の叱責は剣山級に痛かった。
それから毎日聖水を汲み、それを大神殿の祈りの間に神器と共に供えるのは、私の仕事になった。キム先生の授業も朝から晩まで続き、気分は受験生だった。キム先生は一貫して厳しい態度で私に接し、笑う事を知らないのでは、とすら思えた。
そんな詰め込み状態で一月がたち、ついに最後の授業だ、とキム先生が厳かな面持ちで私に告げた。
「付け焼刃でここの作法を教えて来ましたが、この講義が終われば、あなたには大神官様の秘書という肩書きが与えられます。……私はあなたが秘書だなど、絶対に認めたくはありませんが、せめて恥をかかない程度には頑張りなさい。」
最後の授業は神殿に焚く香について教わった。香の保管庫には様々な種類の香があり、大神殿の場所や時柄にあわせて、焚く香が細かく決められていた。一種類だけの場合もあれば、少量ずつ混ぜて出す香りもあり、複雑な世界だった。
定番の香を幾つか実際に焚かせてもらい、扱いに慣れた頃、キム先生は慎重な手つきで、小さな瓶を出した。
「これは大神官様のご衣装に焚きしめる、大変希少で高価なお香です。この瓶一つで同量の純金と同等の価値があります。決して割ったりしないように。」
そんな脅しを受けて私は震える手で、香を陶器製の香炉に移し、焚いてみた。控えめな、どこか渋さを感じさせる甘い香りだった。
無事に最後の授業が終わると、私は大神官に呼ばれた。
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