第5話 花嫁の条件
私は以前大神官と初めて面会した部屋に、通された。
既に大神官は椅子に腰掛けていて、優雅に足を組み背もたれに寄りかかっていた。部屋の中ほどまで緊張しながら進み、膝をつく。
一ヶ月ぶりに見る大神官は、相変わらず見るもの全てをひれ伏させる様な圧倒的な空気を持っていた。
「キムの下で勉学に勤しんだか?厳しく優しい師であったろう。」
厳しいが優しくはなかった、と心の中で反論した。
「晴れて本日、そなたに大神官付秘書としての地位を与える。早速ではあるが、明日東のグノー平原に向かいなさい。そこの神殿に勤める神官修習生の一人に、神力あらたかな若い娘がいるらしい。」
グノー平原なら王都から割と近い。どんな遠隔地に飛ばされるのだろう、とドキドキしていた私は少しホッとした。初めての仕事とあって、配慮してくれたらしい。
「そなたから見て、高神官並みの神力があると思えたら、大神殿まで連れてくるのだ。………ただし。」
急に大神官の金茶の瞳が強い光を帯びた。私はなぜか肉食獣に威嚇されている気分になった。
「基準となるのは神力だけでは無い。ここへ来る事ができる娘達は幾つかの厳しい条件を満たす必要がある。」
私はキム先生に勉強を教わり始めて以来、肌身離さず持ち歩いていたメモ帳とペンを取り出した。
大神官の夫人と言えば、国王妃と似た様な立場になるわけだから、様々な条件を兼ね備えていなければならないのだろう。ただ神力が強いだけではいけないのだ。
私が真剣な顔でメモ帳を構えると、大神官は身を乗り出して話し出した。
「まず、身体は適度に肉付きが良く、かと言って腰回りは細ければ細い程宜しい。」
いささか疑問を感じつつも、私は一言も漏らさぬ様ペンを走らせた。
「瞳の色は青か緑。髪は金でなければならぬ。」
私の疑問は更に膨らんだ。
「鼻梁は良く通り、年の頃は十代後半から二十代前半が相応しい。」
私はメモ帳から顔を上げた。
それは条件というより、大神官の個人的な好みでは無いのか。
彼は私の非難がましい目付きにようやく気付いたのか、もっともらしく弁解を挟んだ。
「年齢は看過できぬ条件の一つだ。次代の大神官を生む女性なのだから。」
私は思い切って聞いてみた。
「あの、大神官様はおいくつなのですか?」
「29だ。」
それで十代後半からって、ちょっと犯罪の香りがするんですけど……。しかも年齢以外の点において、大神官のキャパは狭過ぎないか。関係ないが私は間もなく、その年齢層を外れるわけか。微妙にオバサン扱いを受け、不愉快になった。
大神官は少し考えこんでから訂正した。首を傾けた拍子に、肩にさらりと長い金の髪が流れた。
「いややはり、見た目が若ければその限りでは無い。三十代であっても良かろう。」
大神官様は論理が破綻している事にはお気付きでは無いらしい。
私はひとしきり大神官の出した条件を書き連ね、尋ねた。
「復唱致します。グノー平原から金髪碧眼に凹凸ある体型を持つ、見た目の若い美女を連れてくれば宜しいんですね?加えて神力が強い程良い、と。他にはありますか?」
大神官は厳かに頷いた。
「大変よろしい。そなたの見る目に非常に期待している。」
条件として神力は二の次で良いのか。この大神官は本気で婚活をする気があるのだろうか。
そもそも私なんかがこの大役を担っている時点で間違っていないだろうか。神職の頂点たる人物の伴侶選びの大事な経過地点に、私がいて良いのか。
「心配せずとも良い。そなたが地理に詳しく無い事は承知している。護衛と水先案内人を兼ねて、大神官付秘書たるそなたに、大神殿騎士団の騎士を同行させる事にした。名誉に思うが良い。」
そう言うと大神官は手を叩き、それを合図に私の後ろの扉が開いた。
その音に振り返ると、見覚えのある男を発見し私は思わず、あっと声を上げそうになった。
「セルゲイとアレンだ。今後そなたの任務には常に同行させる。そなたも心強かろう。」
セルゲイは私と目が合うと笑った。
アレンと呼ばれた騎士は、これまた容姿の整った男だった。短く揃えた金の髪と緑の瞳は、高潔で涼し気な印象を周りに与えた。
この意図的としか思えない様な、見栄え重視の人選は一体何のつもりなのだろう。良い男達を揃えてやったのだから、美女を連れて来い、という大神官による言外の脅迫と受け取るべきか。
私が二人の騎士達を複雑な心境で眺めていると、大神官は言った。
「大神殿騎士団の中でも、特に見目良い二人を選んだのだ。彼等と共にいれば、そなたも軽んじられる事は無いであろう。」
まさかとは思うが、一応確認をする。
「他に一緒に行かれる方はいないのでしょうか…?この三人だけでグノー平原やその他の場所まで行くのでは無いですよね?」
「三人だけで行くのだ。そなた一人で充分役割は果たせるであろう。その為に弁償を免除してやったのだから。神力分析器としての能力をいかんなく発揮して来なさい。」
つまり私がたった一人で、判断しなければいけないというわけだ。あまりの重責に眩暈を覚えた。
翌朝、大神殿の入口には馬車が準備され、二人の騎士が車体に寄りかって待っていた。
「おはようございます。セルゲイさん、アレンさん。宜しくお願いします。」
「おはようございます。リサ様。どうぞ中へ。」
アレンは馬車の扉を開けてくれた。私が乗り込むと、二人も後に続き、扉が閉まると馬車は動き出した。
私は狭い車内で長身の騎士二人に囲まれ、若干の居心地の悪さを感じつつ、鞄から地図を取り出した。大神殿からグノー平原までの道程を確かめるのだ。
縮尺から推測するとだいたい三時間くらいで着けるだろう。
「現地の神殿で推薦のあった女性と会って、今夜には大神殿に戻ってこられますね。」
「そんなに急がなくても。リサは仕事熱心なんだな。」
セルゲイがやや驚いた様子で言った。彼は長い足を組んで前に投げ出し、背もたれに深く寄りかかり、物凄くリラックスしていた。
対する私は全く落ち着かない。
私は地図を見るフリをして、向かいに座る二人を密かに観察した。
セルゲイは本来一番上までしめられるべき詰襟のボタンを幾つか開けて、純白の軍服を勝手にゆったりと着こなしていた。隣に座るアレンは軍服の着こなしの手本の如く、胸章からバッジ一つ一つに至るまで僅かも曲がる事なく、着こなしている。膝まである黒いブーツは砂粒一つ付いてない。
私はいつも通り、神殿職員が着る無駄にヒダの多い服を着ていたが、履いている靴を最後に磨いたのがいつだったか思い出せず、俄かに焦った。
騎士団の軍服は襟や袖に豪華な刺繍がされ、ベルト等の小物達も手抜き無く立派な品々が使われていた。二人の軍服を見比べていると、セルゲイの胸元を埋め尽くすバッジの数が気になった。アレンのそれと比べて遥かに多いのだ。
そうか。セルゲイは騎士団の中で相当出世しているらしい。だからこんなに余裕綽々とした着こなしが許されるのだろう。学校であれば風紀委員に怒られるところだ。
「俺達の服がそんなに興味深いか?」
弾かれた様に顔を上げると、セルゲイがいかにも楽しそうに私を見ていた。私は猛烈に恥じ入った。
「すみません。珍しかったので、……つい。」
「そうかそうか。そんなに気に入ってくれたのなら記念にこれをあげよう。」
更に上機嫌になったセルゲイは胸元のバッジを外し出した。まさかそれをくれるつもりか、と私が目を剥いていると、アレンが口を挟んだ。
「ご冗談でしょうセルゲイ様。一つでも無くすと懲戒の対象になりますよ。」
「見てるだけで充分満喫してますから、何もいりませんよ!」
私も慌ててセルゲイの手を止めた。懲戒事由の片棒は担ぎたく無い。
「そうか?それなら心行くまで眺めて満喫してくれ。」
セルゲイはなんだか疲れる男だ。
気を抜くとセルゲイの開き過ぎた胸元に何故か視線が吸い寄せられてしまうので、私は地図に再び目を落とした。
「そんなに地図を見ていると酔うぞ。それともその地図はそんなに面白いのか。」
セルゲイはそう言うと身を乗り出して地図を覗き込んできた。それを見たアレンが、若干呆れた口調で言う。
「セルゲイ様。リサ様は仕事でグノー平原に行かれるのですよ。邪魔なさらないで下さい。」
「……アレン。そのセルゲイ様って呼び方いい加減やめるつもりはないのか?いくらお前の入団が俺より五年遅くても、お前みたいな大貴族の長男にそう呼ばれると、嫌味にしか聞こえないぞ。」
「改める予定はございません。セルゲイ様。」
アレンは表情一つ変えなかった。
彼は私と目が合っても愛想笑いの欠片も披露するつもりは無いらしく、終始その整った顔立ちを能面の様に強張らせていた。折角の美貌がこれでは宝の持ち腐れである。
私は妙に浮き足立ったセルゲイと、切り立った氷崖の様に取っ付き難いアレンという、二人の同行者にやや不安を抱いてグノー平原に到着した。
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